第七話 ドリンク
その後、階段で五階まで訪れた俺達。
しかし進む足取りは軽やかなものとは程遠く、むしろ一段一段階段を踏みしめる度にどんどん重くなっていく。
さっき入口付近で「帰る」……と、きっぱり告げればよかった。
先ほどの光道さんとの衝撃的な出来事が原因で、別の衝撃的出来事をごくごく短時間ながらうっかり頭から忘れ去っていたマヌケな俺である。
……この施設…………なんだかヤバそうだ……。
こんなにも激しく『白』を前面に押し出した建物なんて、これまで一度たりと目撃したこと無い。
加えて先ほどの住人? らしき人達。
明らかに常人は行わないと思しき不審な行動。
一体何なんだここは……?
そんな風に俺がもたもた思考を張り巡らせている内に、気づけば光道さんの部屋に到着していた。
ガチャリと白い扉を開けると……やはりというべきか、まず真っ先に白色が眼に飛び込んでくる。壁も白ければ家具も白い。ついでに扉の取っ手も白い。
唯一、部屋にいくつか置いてある学校で使用する道具――教科書とかノートなど……だけが、いつにも増して鮮やかな色彩を放っているように感じられた。
「着替えてくるから、ちょっと待ってて」
別室に移っていく光道さんを見送ってから俺は室内に目を移す。
生活感はあまりない。何となく、必要最低限のモノだけが揃っている……そんな印象の部屋だ。広さとしては……心持ち窮屈な気もする。……いや、一人で暮らすには十分か?
「白雪姫?」
これも――『読書』も淑女のたしなみの一つ、というものか。
絵本だな。子供にも読みやすいように表紙の文字はひらがなだ。机の上に置いてあるその絵本を何とはなしに手に取り、パラパラと捲っていく。
あれ? 白雪姫の物語の最後の方はこんなだったっけ? 棺を落とした拍子にリンゴが口から飛び出して――みたいな内容だった気が……うーん、あんまり覚えてないな。
でも、絵本には王子様のキスで白雪姫が目覚めるとあるし、俺の記憶違いなのだろう。
「それはこの施設で読書を推奨されている本だよ。何度も何度も何度も何度も何度も読んだ」
振り返ると……先ほどのスキップしてきた一団、その中の女子の格好と寸分違わない服装に身を包む光道さんの姿が。この施設ではユニフォーム? 学校の制服? みたいな扱いなのか。白い長袖に白いロングスカートといういで立ち。
「推奨?」
『白雪姫』……白ゆきひめ……〝白〟。
これは…………もう間違いないだろう。この本は内容で選ばれたんじゃなく……『白』の一文字が使用されているからこそ推薦図書に選ばれたんだ。
なんだ? この病的なまでの『白』の数々は。
「実は会わせたい人がいる」
俺が質問するより早く、光道さんが本日俺をここまで誘った事情を説明してきた。
「会わせたい人?」
こくん、と小さく頷く光道さん。二つ結びの黒髪が微かに揺れる。
「あと十三分後」
どうやらタイムスケジュール――段取りもすでに決められているようだ。
……しょうがない。もうここまで来たらとことん付き合おう。
「それで……どうしてここに住んでいるんだ?」
早速だが、これを問わねば今日俺は気になって夜眠れないことだろう。俺は部屋の様子を興味深く見回しながら質問する。
「…………両親が、死んだ……から」
これは……中々重い話が飛び出してきた。
「そ……うか……」
俺は細く息を吐き出しながら、ばつの悪そうに俯く。
「好きなところ、座って」
「あ」
光道に指摘され、俺が未だ落ち着かずに立ったままいることにようやく気づかされた。
促されるままひとまず白いふかふかなカーペットの上へと静かに腰を落ち着ける。
すると……自覚がなかったものの随分緊張していたらしい。体から力が抜ける感覚と共に、急に喉が渇きを訴えてきた。
俺は自分の鞄から白い水筒を取り出す。外したフタ逆さにして机の上に置き、中身を注いでいく。
「それは何? その〝白い液体は〟なになになになになになに?」
突然、猛烈に反応を示した光道さんはあっという間に俺の元へにじり寄ってきた。
机に身を乗り出すや、超・近距離でフタの中身を覗き込んでくる。
「えっ! こ、これは、牛乳――」
「牛乳?」
「に、長芋をすりおろしたものと大根をすりおろしたものを投入し、しばらくかき混ぜる。その後、スプーン一杯の砂糖と、道場の近くで取れる岩塩を投入してもう一度静かにかき混ぜ、冷蔵庫で十分に冷やしたものがこれ――『白光ドリンク』」
『白光ドリンク』。先生曰く昔からその名称を変えながらも代々受け継がれてきた、白光流を学ぶ者達が日々の鍛錬の合間に喉を潤す為の健康飲料なのだ‼
「飲んでもいい?」
「あ、ああ……いいけれど」
予想外の食いつきの良さに目を丸くしながら俺が了承すると、光道さんは早速手に取るや躊躇い無く口に流し込んだ。
「ぶっ! げほっ、けほっ……」
だが、器官にでも入ったのか。光道さんはまるで噴水のように勢いよく『白光ドリンク』を噴き出した。霧状になったドリンクが俺の顔面へと満遍なく直撃してくる。
「………………大丈夫か?」
「まずかった……」
率直な感想に俺の胸がちくりと痛む。これを何年も飲み続けている俺は味に慣れてしまったのか、それとも味覚に問題があるのか……。
い、いや……それ以前に『白光ドリンク』は『白光流』の誇り。それを不味いだなんて……うそだぁあああ! そんなの信じないぞ!
「なんか拭くものないか……」
意味もなく、ただただ虚ろな瞳で宙を仰ぎ見ながら光道さんに尋ねる。
「霧白君の後ろに……ああ、私が取るから動かないで」
「えっ?」
まるでネコが這うような前屈み姿勢でじりじりとにじり寄ってくる光道さん。襟元の服が垂れさがり、胸元を覆っている純白の布が、ちらりと姿を現した。
俺は不覚にもその光景にうっかり目が釘付けになってしまう。その一瞬生まれた隙が原因となり、俺は光道さんのその後の接近を許してしまった。
そのまま、一切の迷いなく我が膝上に身を預けるように乗りかかってくるや、俺の腰に抱き着くみたい両腕を回してきやがった‼ おかげで、膝付近にやわらか~い胸がとにかく密着してきて……正直、たまらない。
「ちょえええ! ちょっえええええええええ!」
珍妙な叫びをあげる俺の気など意識した様子もなく、光道さんはぐりぐり好ましい感触のする胸とか体を俺の膝や太ももに押し付けもぞもぞする……という、この全く持って意味不明な図に頭の中が真っ白になってしまった俺は……まるで金縛りにあったみたく、動けない……。
「取れた」
ふと、そんなことを言いのけてみせた彼女の手には、ティッシュ箱が掴まれていた。
……どうやら俺の後方にはティッシュ箱があったらしいことを悟る。
だが……どうか次からは、ぜひとも横着せずに行動することを心掛けて欲しい。というかそもそも、普通こんな取り方をするものだろうか?
これまでの人生で一度たりともここまで女子と触れあったことがない俺としては、何だか今すぐにでも頭がパンクしてしまいそうな気分だ……。
『先生』……どうして白光流の奥義の一つに〝華麗な女子の回避方法〟がないのでしょうか? もしあるのならぜひ教えてください……。
というか現代都会の女子とは、これぐらいの触れ合いなど軽い挨拶程度――日常生活の一部なのか? ……うーむなんだか恐ろしくなってきた。これ以上考えるのはやめておくことにしよう。
さて……ここで一つ、俺はあることを見落としていたのである。
色々なパニックが立て続けに発生したということもあったが……とにかく見落としていた。
『どうしてここに住んでいるのか?』という俺の質問に対し、『両親が死んだから』という光道さんの返答は、今一つ噛み合っ|て
《・》いないということに。




