第二十五話 本気
びっ…………びっ……。
……えっ、な、何この音……。
しかし、音源への疑問はすぐに解決した。というのも、服の袖がわずかに捲られるや、俺の手首が〝ガムテープ〟と思われるものでひじ掛けにがっちり固定されてしまったのだ。あの不安を煽るような不気味な音の正体は、おそらくテープをちぎる音だろう。
視界が完全に覆われているので、どんな光景が眼前で繰り広げられているか詳しくわからないが……だいぶ手際が良いよう感じられる速さで、両腕にガムテープがぐるぐる何重も巻かれていき、ひじ掛けへ完璧に固定されてしまう。
だが。それにて作業終了とはならないらしく……続いて、ズボンの両足首部分が少し捲られると、こちらも執拗なまでにガムテープが巻かれ、椅子の脚部分に固定されていった。
……お、終わった……のか?
ぴたり、とテープをちぎる音が止む。
!
直後。俺の頭部を覆っていたものが取り除かれ、ようやく俺は鮮明な情報を視覚から得ることが可能となった。ちなみに、顔を包み込んでいた正体は予想通り少し大き目な紙袋であった。
薄暗いな……。
現在、俺はリビングにいた。
うちのリビングは台所と一体となっている造りなのだが…………どうしてか、その台所に備え付けられている、手元を照らす程度の光量しかない電気しか点灯していない。
「こ……光道?」
そして――やはりというべきか。眼前には、俺を見下ろすように佇んでいる光道がいた。
「………………」
んん……?
なんだか……いつにも増して雰囲気のおかしい光道は、無言のまま俺に背を向けると……すぐ近くにある机の上から〝何か〟を手に取った。
「おっ……おい……待て光道……。それをどうする気だ?」
彼女が振り返り、手元に何を握っていたかが判明したのだが…………どこからどう見ても〝カッターナイフ〟以外の何物でもなかった。
光道はカチカチッ、と独特の音を鳴らしながら刃を突き出させる。そして、カッターナイフをゆっくり逆手に持ち変えるや……じりじりと俺に迫ってきた!
「なぁ‼ ……や、やめろぉ! 早まるなっ! 何があった知らないが……とにかくお、落ち着け! 冷静になれっ!」
「………………」
しかし。体中からだらだら冷汗垂れ流し説得する俺の声には、まるで聞く耳持たずといった具合に完全無視だ。
わずかな距離しかなかったので、あっという間に俺の目と鼻の先に立たれてしまう。
すると彼女は、おもむろに左手を俺の首元に伸ばしてくると……胸倉をぐいっと、掴みあげられてしまう。
わけが……訳がわからない‼ なんだなんだなんだ! 何なんだこの状況は⁉
「しょっ……しょ、正気か光道! 一体俺が何をしたんだぁっ!」
俺は必死にぶんぶん首を横に振り、信じられない光道の奇行を直ちにやめさせるべく全力で訴えかける。
だが、やはり彼女は俺の呼びかけに応答しない。
周囲の薄暗さ、それに一ミリも動じない無表情な顔面……それらの要素が折り重なり、より強く光道の異常性を俺へと感じさせる。
「…………」
こっ……怖……!
ついに、光道の腕が俺の眼前で高々と掲げられた‼ もはや冗談でやっている雰囲気は完全にない。しかも、何がどうなってこんなことになったしまったのか……考える暇もないときている。
そして――。
カッターナイフが……容赦なく俺の胸元目がけ――――振り下ろされた‼
「……っ‼」
………………………………………………。
……………………。
……………………。
……おかしい。
きつく閉じていたまぶたをゆっくり開けていく。
あ、穴が開いてる………………俺の……洋服に。
そう。光道はどういうつもりか。俺を斬りつける……ではなく、カッターで洋服に切れ込みを入れてみせたのだ。
続いて。彼女は机にカッターナイフを置くと、代わりにハサミを手に取りこちらへ戻ってくる。
ジョキ……ジョキ……。一切の躊躇いなく、切れ込みを始点としたハサミより、俺のTシャツがどんどん見るも無残に切り刻まれていくではないか。
「あの…………何を、やってるんでしょうか?」
「服を切っている」
そんなの見ればわかるわっ! 俺が知りたいのは、どうしてそのような蛮行に走ってしまったのか? であってだな……。
そして何ヶ所か裁断されたところで……すとん、と俺の服が地面に落下。とうとう上半身を裸にされてしまった。
だが、彼女の腕はまだまだ止まらない。カッターナイフで、今度は俺の穿いているジーパンの足首付近に縦の切れ込みを付けるや、ハサミで容赦なく切り裂いていく。
ズボンの生地が堅かったせいか、多少手間取っていたようだが……こちらもついに全て剥かれてしまう。
結果――――パンツ一丁で椅子に固定されている男という奇妙な図が生み出された。
…………一体、どこの変態なんだ俺は?
というか……なんでまたもや俺は椅子に拘束されているのだろうか……。まあ、施設の時とはだいぶ状況が異なるが。
一方的に俺を脱衣させるという、意味不明な作業を終了させた光道は……静かにハサミを机の上に戻した。
そして、次に彼女が手にしたのは……黒い油性のマジックペンであった。それも太いやつ。
蓋を外しハサミの隣に並べるよう置くや、ほぼ全裸状態な俺のもとにやって来る。
「ほ、本当に……何をする気だ光道⁉」
キュッ……キュッ、キュッ、キュッ……。
「……ふっ……くふっ! ひぃぃっ‼」
くっ……くすぐったい‼
光道は俺の胸元にマジックの尖端を押し付けるや、デカデカと何やら文字を書き出しやがった!
文章はごくごく短文ながらも、一つ一つ字のがやたら大きいこともあり……二行に渡って書かれていく。
そこで光道の手は止まらない。俺の腹に文字を書き殴ったと思いきや、今度は右の腕に、その次は左腕、さらにその次は背中に、さらには俺の顔面にまで何やら記入していく。
右腕と左腕の文章は同内容だったので、恐らく俺の体中にマジックペンで同一の文章を書き連ねているのであろう。
俺は極度に理解し難き行為に対しぴくぴく頬を引きつらせながら……ふと頭の片隅に〝そういえば体中にお経を書きまくる〟みたいな昔話があったな……なんて、全く関係ないことを考えていた。現実逃避である。
やがて、右足左足にもキュッ、キュッ、と着手していく光道。
さて。その肝心の文字だが……このようなものであった。
〝白紗季のもの〟
右にも左にも前にも後ろにも……体のあちこちに白紗季のもの、白紗季のもの、白紗季のもの、白紗季のもの…………。
………………。
………………。
俺に……俺に…………。
名前を書くなああああぁっ! 俺は、お前の所有物じゃないんだぞぉぉぉっ‼
思いの丈を全力で叫んだ! ……心の中で。
ちなみに。なぜ声に発さず胸の内で留めてみせたかというと、一応こんな状況下でも〝近所迷惑〟にならないよう配慮したためである。
都会とは、このような細やかな配慮の積み重ねが求められる場所なのだ。
‼
驚愕事態の発生により、強制的に意識が引き戻される。
「い、いや……ダメだ……光道……。そこは……ダメ……ゼッタイ」
光道の白くしなやかな指先が、まるで焦らすようにゆ~っくりと……現在俺を覆う唯一の布――パンツの端にかかってきた!
「いやいやいや待て待て待て待て待て待て待てぃ‼」
自分でもビックリするほど滑舌のよい早口で、必死に彼女へ落ち着くことの重要性を訴える。
「…………大丈夫。優しくするから……」
なになになに? なに〝優しく〟って⁉ 何のこと⁉
だ、ダメだ! この眼は…………本気も本気、超本気だっ‼




