第六話 施設
さて、学校から程なく歩いた地点。俺の過去の記憶とだいぶ変化を遂げてしまった街並み――住宅街を光道と二人並んで進んでいた時だ。十階建て? くらいの白を基調とした横に長いマンションが眼前に出現した。比較的新築のように綺麗で、目立った汚れも見受けられない外観。
「ここで暮らしている」
……あれ?
光道さんの指し示す方向――マンションを眺めながら、ふとある疑問が浮かんだ。
そもそも今更ながらに根本的な問題だが……どうして光道さんは俺を住処にまで招いてくれたのだろう。
俺が光道さんについて来た理由は、自身の自宅があるにもかかわらず光道さんが自宅に帰らない原因がわかるかと思ったからだ。言わば好奇心。
だが、逆に光道さんはどうして俺を誘ってくれたのだろう? どうやら俺のことは忘れてしまっているようだし…………。
……まあいいや。行けばわかることさ!
マンションの入り口、自動ドアが左右へ滑るみたく静かに開かれていく。
○
「白い!」
あまりのインパクトの大きさに思わず第一印象がぽろりと口からこぼれてしまう。それほどまでに白い。驚きの……圧倒的な白さだ。
壁も白ければ、柱も白い。階段も白ければ、設置してある手すりも、扉も白い。
白い白い白い白い白い……白白白白白……とにかく白い。
とにかく何もかも、内装が基本的に白いのだ。
というか……ここマンションじゃないの?
まるでマンションのような外装に反するかのように、中身が全く想像の上をいっている。
まず広い。すばらしい開放感だ。もし本当のマンションで例えるなら、二階くらに相当するだろうか……それぐらいの高い天井、広々した空間。
それに高級ホテルみたいなイメージを持たせる造りのエントランス。前方にはクワガタの角みたいなゆるいカーブを描く二階に続く階段が二つあり……高級ホテルという印象はより強烈になる。
そして何より……どことなく気味が悪い……。本能が何か薄ら寒いものをひしひしと俺に感じさせる。あまりにも白ばかりで他の色が見当たらないせいか……。
「おかえりぃ……なっさぁああい!」
!
無人かと見紛うほど人気のなかったエントランスに、突如として響き渡る女の声。
それだけに止まらない。その一声を皮切りに、リズミカルな大人数の声が続けざまに聞こえてくる。
「「おかえり・おかえり・おかえり・おかえり・おかえり・おかえり」」
十人の男女。皆一様に張り付いたような見事な笑顔。声が皆はきはきしている。
二人で一列を形成し計五列。どこから姿を現したのか、まるで軍隊を彷彿とさせるような素晴らしい統率力のもと、綺麗でぶれない整列状態を維持しながらこっちに向かってくる。
スキップしながら。
「…………」
異様な光景に思わず息が詰まる。
食い入るように目前で繰り広げられているものを見つめる。
し、正直言って……不気味だ。
どうして一歩一歩を九十度くらい膝を曲げてスキップしているんだ。どうして全員作られたような笑顔を浮かべているんだ。どうしてどうして……。
それに服装も変だ。全員白い。真っ白。
男は長袖長ズボン。女は長袖ロングスカート。年齢はバラバラ、若そうな人もいれば多少なりと年を取っていそうな人もいる。
タンッ、と最後に高らかに靴音鳴らせ、俺と光道さんの前で立ち止まった一団。その内の先頭にいる女が、光道さんに迫るよう一歩前に踏み出す。
「おかえり光道さん!」
そう言い放つや、直後。
くいんっ! と、やたらとキレのある動作で俺に体を振り向ける女。その両目はとても大きく見開かれている。
「あなたは…………………………ダレ?」
「…………えっ?」
まさか突如俺に話しかけられると露程にも想定しておらず、呆気に取られる俺。
するといきなり、けして笑顔を崩さないまま女に腕を掴まれたかと思いきや、やたらと強い力で、気づけばかごめかごめするときみたく輪になっていた先ほどの一団の中心に放り投げられる。
「「だれ・だれ・だれ・だれ・だれ・だれ・だれ・だれ・だれ」」
『おかえり』の時と同様、みな一斉に『だれ』という言葉を、正確に声を合わせ何度も何度も何度も何度も何度も連呼してくる。
しかも、じりじりとこちらに滲み寄って来るのだ。まるで俺を追い詰めるみたく……徐々に徐々に人の輪が狭まっていく。
「私の知り合い。私が誘ったの」
光道さんの一声に、ぴたりと、まるで電気のスイッチを押したみたく一瞬で〝だれ〟コールが鳴り止んだ。
「光道さんのお知合いぃぃぃ!」
「「私たちの知り合いぃぃぃ!」」
長い期間、訓練されてきたかのようなスムーズな動きで輪形態からもとの整った隊列へと戻っていく一団。
「「しりあい・しりあい・しりあい・しりあい・しりあい」」
そのまま現れた時のように、大げさなスキップで廊下の奥へと姿を消していった。それに従い、声も次第に俺の耳へと届かなくなっていく。
「んっ」
光道さんが、情けなく尻もちついた俺にそっと手を差し伸べてくる。
「あ、ああ……」
すっかり頭がパニック、放心状態に陥った俺は、ほぼ何も考えないままに差し出された光道さんの手を握る。俺を引き起こさんと光道さんの腕に力がこもるのを肌で感じられた。
「わあっ」
その時だ。微妙に驚きの度合いが伴ってないような、そんな小さな叫び声と共に俺目がけ倒れ込んでくる光道さん。
俺を引き起こそうとして――でも力がなくて逆に倒れ|込
《・》んできたのだ!
〝もにゅん〟だか〝むにゅん〟だか。とにかく、この時の情景を擬音で表現するとしたら、こんな具合になるだろうか。
俺の顔面いっぱいに、細身の体形の割に意外と大きかった光道さんの胸が惜しげもなく飛び込んできたのである。おかげで俺は光道さんに押し倒されるように地面へと二人仲良くもつれるように倒れ込む。
「んっ‼ んんんんんんっ! んーんー!」
声にならない叫びとはまさにこのこと。
もう訳が分からず……取りあえず絶叫するしかない! 音は全て光道さんの体へと虚しく吸い込まれるだけだが。
と、というか……これ、呼吸が……苦しい………………あっでもいい香り……いや違う違う、いい感触……そうじゃないそうじゃないそうじゃない、クッソ邪念が……くっ!
落ち着け落ち着け。冷静に体を捻るんだ俺。
「ぷはぁっ! はあっ! はあ……はぁ……」
楽園……じゃない、光道さんのクッションのようにやわらか~い胸からどうにか顔を引き離した俺は、肺全体へと酸素を行き渡らせるように荒い呼吸を繰り返す。
「ごめん」
「はぁ……はぁ……い、いやぁ! だ、だいじゅうぶじゃからぁ!」
あり得ないくらい上ずった声で、焦りながら早口で答える。
「今の……方言?」
「い、いや……違う……」
俺の体からゆっくり離れていく光道さんの心地よく沈み込んでいた胸や体に若干の名残惜しさを感じ……てはいないが、まあちょっと気になる程度……いやいや違う。とにかく、離れていったのである!
「それじゃあ行こう」
「わ、わかった……」
…………。
「あの、その、どいてもらえると――」
上体を起こしただけで、未だ俺の腹の上で馬乗りになっていることを伝えると、光道さんようやく気付いたらしい。「ごめん」と再び呟くや、ゆっくり立ち上がる。「それじゃあ行こう」と言うセリフは、せめて完全に立ち上がってからにして欲しかったものだ……。
⁉
な、な、ななな何たることか!
光道さんは仰向けに横たわる俺の眼前を跨いでいったのだ。光道さんの下半身はスカート姿、おかげで本日二度目の純白可憐な下着を不可抗力にも我が網膜へと刻むことになってしまったのである。
「ひぃっ!」
「どうしたの?」
「いや、大丈夫……大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」
俺は『大丈夫』をひたすらに連呼する人にでもなったかの如く、とにかく同じ単語を唱えまくりながらすぐさま跳ね起きた。
「こっち」
まるで俺など道端の石ころくらいにしか思ってないのか……まるで気にする様子もない、すました表情で案内を続行する光道さんが不思議でたまらない俺であった。




