第二十話 名前
それにしも…………姉さんは、一体どういうつもりなんだろうか?
都合よく二人が窓際に座ってくれたおかげで、俺と光道さんは物陰に身を潜めつつ、店内の様子を外から観察することが可能となっていた。
「おっ……霧白のヤツ、姉さんの隣に移動しましたね。一体何があったのか……って、光道さん⁉ それ……どうしたんです?」
理由はわからない。理由はわからないのだが…………いつの間にか、光道さんの美しき右手には、どこから入手したのか経緯が不明なソフトボールくらいの大きさをした石が握られていたのである。
「…………右腕を鍛えていた」
「――ああっ! なるほど!」
さすがは光道さんだ‼ ただ突っ立って時間を持て余すのではなく、ついでに自分の肉体を磨き上げようとするなんて…………くうぅっ~、俺も見習わなくては!
「……ところで宇津白君。あのガラスって…………石を投げたら割れるかしら?」
「えっ! う、うーん、たぶん出来るんじゃないでしょうか……。まさか防弾性のモノとは思えませんし」
「そう」
ガラスの強度を心配するなんて、すごいなぁ光道さん……。まさか、店内にいる客の身の安全まで思いやるとは……人としての器が違う。
ひとしきり感心し終えた俺は、改めて姉さんと霧白へ視線を戻す。
それにしても……なんだか姉さん、いつもより服装に気合いが入っているような……。
ちなみに。光道さんの服装は白い半袖の服に、長めの白いスカート姿。あまりにも素晴らしすぎて……数秒も直視出来そうにない神々しさを放っている。
「姉さん……顔赤いな……」
どのような会話が繰り広げられているかは不明だが、姉さんはテーブル上にノートを取り出したかと思うと……遠目からでもはっきり視認できるくらい、びっくりするほど顔を赤らめ出したのだ。
「って! ……なんで姉さん抱き着いているんだ?」
姉さんは顔をほころばせたかと思いきや……突然、霧白の頭に抱き着いた。しかも、霧白の頭を撫でるように、そのまますりすりと頬ずりし始めたではないか。
こ、こんな光景生まれて初めて見た……。普段の姉さんなら「ハレンチだっ!」と、絶対にしない行為であり……思わず唖然としてしまう。
なんてったって……以前、姉さんがテレビのドラマを見ていた時のこと。恋人が抱き合うシーンが流れた瞬間、いきなりテレビを拳で叩き割ろうと詰め寄った人物なのだ。
以後、宇津白家では夜の九時以降……ちょうど何かしらのドラマが始まる可能性が高い時間帯における、テレビ視聴は禁止となったのであった……。
「⁉ ちょっ……光道さん! ダメですって!」
突如、光道さんが物陰から飛び出したと思いきや……そのまま、石を振り上げながら二人の元へと向かおうとしたのだ! 慌てて俺は、光道さんの腕を掴んで引き止める。
「ああっ‼ いやっ! そそそそその……それ以上いくとあっちに気づかれてしまいましゅ!」
「…………そうだった」
お、思わず光道さんの腕を触ってしまった……。なんとなんと、なんという好ましい触り心地なんだ! これなら高級なシルクにすら引けを取らないだろう。
心臓が早鐘を打って止まってくれない。俺は深呼吸を執拗に反復して行い……どうにか荒ぶる精神を鎮めようと試みる。
そして努めて冷静さを保つことを意識しながら、喫茶店内にいる二人に視線を戻した。
…………っ!
眼を放したわずかの間に何が起こったのか、姉さんの顔面が完全にとろけていた。口元など完璧に緩みきっており……なぜ口から涎が垂れてこないのか不思議でしょうがない。
これほど嬉しそうに、無邪気な笑顔を浮かべる姉さんを見るのは本当に久しぶりかもしれない……。
最後に目撃したのは……確か、数年前くらいだっただろうか。
…………霧白、お前…………姉さんに何を言ったんだ?
○
「それで……最初は何をするんです?」
「いや待て。それよりもだ……霧白君。前も言ったろう、そんなにかしこまるような話し方などしなくていいと。特に……今からは絶対にダメだぞ。今回登場するメインの男子キャラクターは、タメ口で話す設定なのだ!」
うっ! ……やはり気づかれていたか。
実は俺も「あれ、口調が元に戻っちゃったな」とは思っていた…………いたのだが。特にこれといった事情はないものの、何となーく再びため口で話すのが躊躇われていたのである。
まあ、宇津白さんの言うことはもっともだ。それに協力すると約束もしたことだし……とにかく努力してみよう。
「わかったよ……宇津白」
すると…………彼女は一瞬キョトンと、まるで狐につままれたような表情をしたかと思うと……「うへへへっ……」と嬉しそうに顔をほころばせた。
「な、なんか……いいな……こういうの……うん、悪くない…………って、私に何を言わせるのだバカぁぁっ‼ べ、べべべべべ別に今日は、と、と、東子って……名前で呼んでもいいんだぞ~」
「えっ!」
そ、それは……ちょっとハードル高いっていうか……。
いっ、いやダメだ! 臆するんじゃない俺! これこそ宇津白……いや、東子とある程度親しくなれるチャンスではないか。この絶好の機を逃すのは余りにも惜しすぎる。まさしく愚の骨頂だ。
それにさっきも考えたが、今日は彼女に協力すると約束したのだ。一度約束を交わした以上、それを守らねば信頼関係も何もあったものじゃない。
「い、いいよぉ……と、と、とう……こ」
しまった。声が裏返った。
だが、そんな失態などまるで意に介す気配のない東子は……自分から言ったというのに、両手を頬に添えるや、嬉し恥ずかしそうにぐねぐね体を左右に揺らしだした。
ちょっ……ひ、ひじ……肘が、ぶつかってる……何度も……。
それからしばしの間、彼女はひたすらにくねくねし続け……ようやく普段の落ち着きのある凛々しい大和撫子美少女の状態に戻っていったのであった。




