第四話 提案
○
「白ちゃん。俺、母さんに聞いたんだけど……もうすぐ引っ越すんだって」
「引っ越す?」
「そう! なんか遠くの方らしいよ」
白ちゃんはしばらく黙り込む。
「……ダメ! 龍太優しいし……すぐダマされるし……だから私と一緒にいなきゃダメなの!」
「え……ええっ‼ でも、俺が決められないしなあ……」
「龍太、あんまり力が強くないし……いじめられる」
「いやいや、暴力したらだめでしょ……」
「とにかくダメだからね」
「…………ど、どうしよう……困ったなぁ……」
○
翌日。
何だか小学生の時の夢を見てた気がする……なんて、ぼんやり考えながら目を覚ました朝。
学校へと登校した俺は、普段よりもわずかに力がこもる足取りで教室へ入っていく。
よし、いるな……。
意を決して、隣に着席する女生徒――光道さんに声をかける。今回は担任の依頼という大義名分もあり、心なし話しかけるのに躊躇いも少ない。
「あ、あの……光道さ……」
……い、いや待てよ。
ここで、相手に〝さん〟付けしてしまうのが、他人との障壁を生むきっかけになるんじゃなかろうか……。もっと気軽な……友達と話すような感じに。
「はい」
淡々とした口調。凄まじく緩慢な動作でこちらへ首を向けた光道さんは、表情を一切変えないまま俺と向き合った。
「実は……昨日先生に頼まれたんです……いや、違う。頼まれたんだけど……」
……あ、あれぇ?
ど、どうしよう……。こ、光道さん……全然表情を変えない……。
正直昔の彼女をはっきりと覚えていない俺としては……これが素の状態なのか、それとも突然馴れ馴れしい口調になった俺に静かな怒りを感じているのか……判断できない……。
「こ、これ……なんです、が」
結局、情けなくも元の話し方に回帰した俺は、鞄から担任に託されていた進路調査票を無駄におどおどした態度で手渡す。
「先生に、渡せって……」
……。
無言で受け取った光道さんは、しばし用紙の内容へと視線を落とす。そして再び俺の方へ向き直ると、一言。
「ありがとう」
…………え?
相手は普通に接してきたぞ。
たった一言……その返事で俺の心はすっと羽のように軽くなったような……そんな安らかな気持ちに包まれた。
もしかしたら、俺が勝手に周囲に壁を感じていただけなのでは……と。
そう思った拍子。気づけば俺は、無意識的に光道さんへ尋ねていた。
「光道白紗季……さん。俺のこと……知ってる?」
「うん、目の前にいるし」
そりゃそうだ。俺の質問の仕方が悪い。
「覚えてない……かな? 俺……霧白龍太。君の家の隣……昔よく遊んでた」
なんか話がコマ切れになってしまったな。説明ヘタクソか……いや、久しぶりに同年代と会話するから鈍ったのか。
すると突如、彼女のただでさえ綺麗な姿勢の背筋が、まるで電流でも流されたみたいにピンと張られる。
「むか……し? 霧白……龍太、隣……昔……むかしむかしむかしむかしむかしむかしむかしむかしむかし……」
なっ……なん……だ⁉
様子がおかしい。
光道さんは眉間にしわを寄せたかと思うと、苦し気に目を強く閉じたではないか。しかもうわ言みたく何度も「昔」という単語を連呼している。
「ちょっ、大丈夫!」
「…………だ、大丈夫……」
慌てて声をかけると、光道さんは正気を取り戻したのか、次第に表情を元の無表情へ変化させていく。
「ごめん、あんまり覚えてない」
「そ、そう……」
もしかしたら……彼女なりに真剣に記憶の発掘をしていてくれたのかもしれない。その負担はだいぶ大きそうだが……きっと真面目な性格なのだろう。
ここで彼女に重ねて質問を行ってよいものか……。だがそんな一瞬の逡巡も好奇心という誘惑には抗えず、続けて俺は尋ねる。
「そ、それで……実は君の家に行ったんだよ……まあ、といっても隣だけど。そしたら……なんか、人が暮らしているとは思えなくて……」
だが発言後、俺はすぐ後悔の念に襲われた。やはりあんまり気軽に聞くような内容ではなかったか……と。
フォローになるか、蛇足となるか。俺はさらに言葉を加える。
「いや、その……俺、今一人暮らしで……生活するのって大変だな……って。だから何か手伝えることがあればと――」
「一人暮らし?」
すると、光道さんの反応があった。今までは首だけだったのが、体全身を俺の方へと向けてくる。
「霧白君、親は? 親族は? いないの? 世話をしてくれる人は?」
心なし早口になる光道さんは、どうやら俺の一人暮らし理由が気になるらしい。
こっち――都会に戻ってきてから知ったのだが、高校生で一人暮らしというのは中々珍しい人間……という扱いに分類されるそうな。
つまりその事実から導き出される結論として、光道さんの反応はごく自然のもの……ということだ。
「親だけしかいないかな……それも今、転勤でいないけど……」
すると……光道さんはゆっくり、まるで何かを確かめるように教室内を満遍なく見回す。それから俺の耳元に小さくて艶やかな唇寄せると、小声で語かけてくる。
「秘密にして欲しいんだけど、私は施設で暮らしている。それが家にいない理由」
施設? ……これはいわゆる〝訳あり〟という類のものだな。さすがに俺だってそれぐらいの察しはすぐにつく。それと、やっぱりあの家に光道さんはいないらしい。
「わかった。誰にも言わないよ」
自分なりに真剣な目つき作り、俺は光道さんに一つ頷いてみせた。
「……」
どういう訳か、数瞬何か考え込むように光道さんは黙りこむ。それから。
「よかったら、来る?」
「く、来るっ……て?」
「今、私の暮らしているところ」
光道さんの言葉を理解するのに俺の脳はしばしの時間を要した。そして、きょとんと意表を突かれた表情のもと、意味もなくまばたきを十数回ほどしてからようやく俺の口をついて出てきたのは。
「へ?」
一文字であった。




