第三十七話 気力
○
……。
…………。
………………。
「ほぅ……君には何度も驚かされるよ」
「…………」
俺は――――立ち上がった。
「かつての君なら、すでに数回は死んでいるはずだよ、霧白君」
よろよろっと、酩酊者のような千鳥足で、右……左……と、足がもたつくのを気力だけで抑えつける。そのまま、なんとも弱々しい前傾姿勢ながら腕を構えた。
……どうしてか、ひどく冷静だ……。いや、もう怒ったり慌てたりする気力も底を尽いただけか。
だが……くっそ、視界が揺らぐ……。
「さらに君を評価するよ、霧白君。まさかここまで耐え凌ぐとはね……。だが……そろそろ終わりにさせてもらう。予定の時間よりだいぶ遅れてしまった」
白中は両手を握って開いて、握って開いて……と、何度か握りを確かめるような動作を行うと――――やって来た! 俺の下へ……情け容赦なく……俺を完全に仕留めにかかってくる。
――【左霧宙白】
相手からは、俺が左に移動するよう錯覚する、体さばきを重要とする技。
…………。
白中は――出会って初めて平然とした顔を崩し、その口元に薄い笑みを浮かべた。
浮かべながら――俺から見て左に軌道をずらしてみせた。通常【左霧宙白】を使用した際、相手は俺を追って左に……俺の視点からは右に軌道をずらすはずなのだ。これはつまり…………一度この技を目撃したことのある白中に、技を見破られてしまったことを意味する。
もう本日何発目かわからないくらい放たれ続けた、殺傷力の極めて高い拳が何の躊躇い迷いもなく迫ってきた!
………………。
――――だが、そこに俺はいない。
【左霧宙白】の動きをしつつも――最後の一動作を土壇場で変更したのだ。
……賭けの部分もあった……が。
白中は、先ほど俺が行おうとして途中で止められた『白光流』の技【白紙の撃】を〝以前やったもの〟……であることを見破っていた。
〝【左霧宙白】もおそらく見抜かれる〟……という可能性への賭け。けして部の悪い賭けではなかった……はずだ。
俺は腰だめに拳を構えながら右足へ体重を込めつつ、軽く前傾に腰を曲げ――俺に行動を誘導された白中へと……放った。
〝白……鳴!〟
白中の正中線上――上半身、心臓部付近を渾身の拳が……綺麗に突き刺さる。
そのまま、穿つくらいの気持ちで俺は拳を振り抜く。
――。
白中が一言も発することを許さぬ豪速で吹き飛んでいくや、施設出入り口のガラスで出来ている自動扉に衝突。
――さらにそこで終わらない。軽々扉を破壊し、無数のガラス片を千々に巻き上げながら道路へ直進、途中白いガードレールをもひし曲げ、道路反対の民家の石垣に激突。石壁を派手に崩し……後は距離が遠すぎて、細かな詳細はわからなくなった。
【白鳴】――は、体重を全て一撃の拳に乗せて相手へ放つ。タイミングも重要で、相手のこちらへ迫ってくる勢いも威力に加算するので、恐らく『白光流』の技の中で最も威力が高い技と言えるのだが……とにかく隙が大きく、へたすれば簡単に反撃を許すということもありえる。
タイミングの問題もあり使いどころが大変難しい技である……。上手く当たれば〝大地すら鳴動させる力がある〟――そう説明された当時「何て大げさな……」と一笑に付したものだが……これは、本当にシャレにならない……。
…………行こう。
戦闘前に脱ぎ捨てた制服を拾って、再び着込む。
ふと、ただでさえぼやけていた右目の視界がさらに悪くなる。原因は何なのかと額付近を拭ってみると……手には血がべったり張り付いていた。一体いつケガしたのか……。
……というか、もうどこに傷を負っているかよくわからない。一応立ち上がれたということは……足の骨は奇跡的に折れていないらしいが……他は……どうかな……。
だが、数歩進んだところで……よろけて倒れそうになった。壁に手をつき何とか姿勢を保持。そのまま壁に手を当て支えにすると〝速く進みたい〟という俺の意思に反抗するみたく、緩慢な速度でしか進んでくれない四肢を無理やり駆動させ、亀のようにのろのろと階段のある方へ向かう。
『長の部屋』は……三階だったか。
階段を上がる。
上がる……上がる……上がる。
足が鉛のようだ。一段踏み込むたび、ふらりとすぐにでも地面に倒れ込みそうになる。意識も明瞭とは遠くかけ離れ、まるで靄がかかったみたいになっており……ただただ〝先に進まねば〟という目的のみが俺の精神を支え、前進するための原動力へと変換させた。
「はぁっ……はぁっ……」
標高の高い地点にいるような荒い呼吸を繰り返し、苦境に堪えるよう眉間をいっそう険しくする。再び滴り落ち視界を滲ませる煩わしい血液を、上手く上げられない腕を気力で動かしもたもたと拭う。
その時だ。
階段の手すりを長年使いこんできた杖のように頼りとしつつ、よろめきながら歩行する俺の眼に『3』という階層数字が飛び込んでくる。
こ、こ……だ。
白い壁に寄りかかるようにして廊下を進んでいたところで……ふと足元のバランスを崩してしまい、どさりと、もはやろくに受け身も取れないまま横に転倒してしまう。
ふと――かつて光道が何も躓くものがない廊下で転んだ光景が脳裏にフラッシュバックする。
…………この体たらく……光道のこと……笑えないな……。
「っっっっ!」
転倒した時よりも、その状態から起き上がろうとした時の方がより大きな苦痛に襲われる。
胸部? それとも下腹部? ……いや、もう全身か……。とにかく痛む。
だが……俺は間近に迫った『長の部屋』――というプレートをぼやけた視界中で見据えるや、身を……魂を削るように力を振り絞り、肢体を動かす。
そのまま……少しずつ、少しずつ……じりじり『長の部屋』の扉へと近づいてく……。
すると――。
ガチャン、という軽快な金属音が鳴った。
そして、豪奢な扉が――まるで俺の接近を待ちわびていたかのようなタイミングで開放されていく。
………………。
どう、すべきか……。
だが……一度瞑目した俺は、誘われるままに部屋へと歩を進めていく。




