第三十六話 再戦
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俺は上に着ている制服を脱ぎ、横の方へ放り投げた。それからワイシャツの袖を捲り、気休めでも機動性を追求してみる。
そして……右手は顎の近くに、左手は目の高さくらいに肘を曲げつつ掲げ、顎を軽く引いて構えた。ボクサーの構えと少し似ているだろうか……。
白中を真っすぐ射ぬくよう視線を集中させ、やつの一挙手一投足も見逃すまいとする。
……一方、白中は前のよう棒立ち。一見、隙だらけの恰好なのだが……まるで「どこからかかってきても構わない」という相手の圧倒的な自信を、ひしひしと俺に感じさせた。
周辺の環境音が一切耳に伝わってこない。単に辺りが静かなだけか、それとも眼前の男に全神経を集中させすぎて聞こえないだけか。
冷たく張り詰めた空気…………嫌な緊張感が周囲に漂い始める……。
…………。
ふー、ふー、と細く長い呼吸を意識的に繰り返し、高まる心を落ち着かせる。
…………。
………………。
………………!
前回の邂逅時と同じ、先に動き出したのは白中だ。
眼の前へ一瞬で肉薄してくるや、ためらいなく顔面目がけ右こぶしを振るってきた。俺は迫る初撃を、上半身を左方へ傾けるようにし、ごくギリギリのところで回避する。空気を裂く振動音のようなものが鼓膜を震わせ、巻き起こったわずかな風が俺の髪を揺らした。
もちろんこれで終わりなわけがない。白中は一発、二発、三発……と、凄まじい速度の連撃を繰り出してくる。脳がひりつくような感覚を味わいながら、あらゆる神経を研ぎ澄ませ、白中いわく『カンフー』っぽくて見栄えがいいらしい『白光流』の手捌き、足捌きで、どうにか……どうにか、弾き、受け流す。
――っ!
白中の腹部に隙が生まれたのを俺は見逃さない。すかさず、ここぞとばかりに右足を踏み込みつつ腰を少し落とすや、右肘を白中の側面から抉り取るように腹部へとめり込ませた。
すると――白中は『く』の字に体を折り曲げたまま――吹き飛んでいくではないか。さらに、そのまま数メートルは勢い衰えないまま直進していくや、白亜の壁にゴォッ……という鈍い重音と共に激突した。
白中は白い床へ顔面から落下し……倒れこんだ。白中が衝突した個所の壁からは、パラパラと白い破片がこぼれ、そこには小規模のクレーターのような衝突跡がくっきりと生じていた。
…………な……にぃ……?
肘鉄を打ち込んだ俺自身、自分のやったことをすぐに飲み込むことができない。ややしてから、ようやく自分が口を半開きにしたまま茫然としていたことを自覚する。
驚愕とばかりに目を丸くしながら、しみじみと自分の両の手を表、裏とひっくり返して眺める。ついでに自分の腕の太さも改めて見やる。
……けして手を抜いて放った一撃ではない。ない……が……。
あっ……あんな……普通……飛ぶか? それも、壁をへこませるほどの力。
「ありえな――」
破片が周囲に撒かれるような細かな音がしたかと思うや、白中がゆっくりと起き上がった。
〝ありえない〟――そう呟こうとしたところで、俺は出かかった言葉を呑む。
眼前にその〝ありえない〟をやり遂げてみせた男がいるではないか……。
「……霧白君。私は君の評価を変えなくてはならない」
準備運動するみたく、首を数回ゆっくりと回す白中は……ダメージを受けているのかいないのか……相も変わらず平然とした表情を維持しており、判別しづらい。確実なのは、まだ戦闘を継続するくらいには元気……ということ。
「ますます、君を解剖する必要が生じたようだ。君は死亡しなかったどころか……身体まで強化されている」
すると……白中はその場で軽くジャンプしたと思うや、宙で体を九十度回転させ仰向けの体勢になる同時、両足を屈伸するよう深く曲げると――――壁を蹴りつけた。
!!!!
こっちに来る!
水泳の蹴伸びみたく、両腕を前に突き出すという――さながら空を飛行するような恰好で…………というか実際飛んで、瞬きする暇すらなく俺の懐まで突撃してきた。
「うっ……!」
予想外のアクションに動揺し、わずかに反応が遅れた俺の腰に抱き着くようにタックルかまされる。
勢いはそこでとどまらない。そのまま一度たりと足が地につかないまま、なすすべなく地面と平行にすっ飛んでいくや……白中共々、二人揃って壁に激突した。
「っ……はぁ……はぁ、ガハッ、ゴホッ!」
まるで金属バットか何かで思い切り叩かれたような衝撃。数日前の俺だったら体のあちこちを重症――最悪、死んでいたかもしれない……それ程の威力を秘めた突進だ。
しかし――現在の俺はまだ気力や意識を残しており、今の衝撃で生まれたクモの巣状のへこみがある壁を支えに、ふらふらおぼつかない両脚で立ち上がる。
なにより……この壁面の衝突跡が、威力の規模を物語っているか……。
⁉
背中を強打していた俺だが、そんな体に鞭振るって俺は左方向へと全力で飛び込む。
痛っっ‼
地べたを受け身を取るよう転がった俺は、そのまま休む余裕なく直ちに起き上がる。
俺がついさっきまでいた箇所、その虚空を白中のミドルキックが高速で通過。ガッ! という破砕音を奏でながら、つま先がめり込むように壁を破壊した!
たった一発の蹴りで、コンクリート……らしき白壁を砕いてみせたのである。
白中は攻撃を外すと……即座にその場で直上へと跳躍した。
もはやこいつの跳躍力が尋常ならざることを承知している俺は、少し大げさめに後方へと跳び退く。
三メートルくらい上空を舞った白中は、俺が後方へ避ける直前にいた地点に着地――いや、落下してきた。その落下による威力は、細かな欠片をいくつも周辺へとまき散らせ、雪面みたく白い床に浅い円形のへこみを作り上げた。
こんな豪快な踏みつけをしてくるヤツ、地球上にそうはいないだろう……。
……って、痛っつぅ…………。
どうにか回避に成功したものの……着地と同時、痺れるような痛みに堪えるようわずかに右目を引き攣らせる。
先ほど転がった時も生じたが、まだ背中から壁にぶつかった際の鈍痛が残っているらしく、大きなアクションを取ると痛みが駆け抜けるのだ。……一応、徐々に和らぎつつはあるが……。
…………しかし、泣き言はいってられない。
「はあ……はあ……はぁ……」
荒い呼吸を吐きながら、よろけそうになる身体を気合いで踏みとどめる。
――――それから、俺は上半身に力を込めるや……再び、白中に対して両腕を構えた。
そうして……ゆっくりと、俺のいる側へ首を曲げてくる白中に……告げる。
「……来い」
白中の表情は真顔……だったが、まるで俺の言葉に反応したかのように、両の拳をきつく握りしめる白中の姿が、心なしか俺の瞳には〝苛立ち〟という感情らしき感情を示した……ように映った。
………………。
………………。
数瞬の静寂を打ち破ったのは……やはり白中だ。
――やってやる!
白中の攻撃は単調だ。下手な小細工などない。
だが――速い。一撃の速度が桁違いだ。白中の超速で繰り出される打拳が俺の真横を掠め、虚空を穿つ度に生じる微風が肌を撫でるたび、心臓をひやりとした寒気が通り抜ける。
……しまっ!
右手首を掴まれた。すかさず左手首もだ。
「――っ」
俺は奥歯をきつく噛み締め、腰を少し反らすと――思いっきり頭突きを喰らわしてやる。
もう一発!
二回、三回……叩きつける都度、俺の額から頭蓋骨を震わせるような衝撃が伝わってくる。頭突きというのはやる方だって痛いのだ!
だが、そのおかげで白中による両腕のロックにわずかな綻びを発生させることに成功。
いける‼
俺は白中との距離を空けるのではなく、むしろ反撃に転じるべく足を一歩前へ踏み出す。
そうして、俺の両腕から剥がれた白中の右腕を目いっぱいの握力を込めて逆に掴み上げるや、逃がさんとばかり強引に俺の元へ手繰り寄せ――ボディーに突き上げるようなアッパーをお見舞いした。一発じゃない、もう一発……さらにもう一発……背部の痛みも一切無視、しつこいぐらい間髪入れず何度も何度もぶち込みまくる。
くっそ……倒れろ! 倒れろ! 倒れろ! 倒れろ! 倒れろッ!
⁉ 白中の両足が……体が、後方によろめく姿が両眼へ鮮明に映り込む。
――――この機を逃すわけ……ねぇ!
電撃のような意思が体中を一瞬にして駆け巡る。
ここで決めてやる‼ 【白紙の――。
「……っ……ぁ!」
――――しまっ‼
ゆ、油断した……?
こんな愚かな――バカな過ちを犯しまったのか。自分のあまりのマヌケさに反吐が出そうだ。
勝ちを……勝利を焦りすぎたせいで……瞳が曇ったのか……?
攻勢に出過ぎた俺は、注意が散漫になっていたらしい……。白中の俺が掴んでいない反対の手――左腕により、難なく首を絞め上げられてしまったのだ。
こ、呼吸が……。
そのまま俺の足は地面につかない高さまで、ぶらりと浮かべられてしまう。
「ぁ……くっ……」
酸素を求めるように喘ぐ声を口から漏らしながら、なんとか首を絞める白中の腕を引き離さんと、俺は自分の両腕に満身の力を込め、白中の腕を払いのけようと抵抗する……が……。
一瞬、全身が浮遊感に包まれた……と認識した直後――俺の体が仰向けになるように、地面へと勢いよく叩きつけられる!
「………………っ……」
骨が――肉体が砕け散った――と、確かにそう感じた。
キーン……という高い耳鳴りがとにかく頭蓋で反響してやまない。同時に、耳鳴りが発生しているという事実が、未だ俺の頭部がスイカ割りのスイカみたくなってはいなかったことを悟らせた。
「霧白君」
白中は床に横たわる俺の胸倉を右手で掴み上げるや、再び足裏がつかない程の高さへと持ち上げられる。そして、そのまま宙で俺から手を放してみせるや――まるでさっきの逆襲か、腰のひねりと拳の回転が見事に組み合わさった正拳突きのような一撃が、俺の鳩尾へとまるで吸い込まれるよう――叩き込まれた‼
俺はボロきれみたく、一切の抵抗もままならない状態で七、八メートル先の壁へ一直線に減速することなく飛ばされていき……大の字でぶち当たった。
「先ほどの腹部への拳はさすがに……そう、肝だ。肝を冷やしたよ。君がその後やろうとした〝『はっこうりゅう』の技〟……あれは以前、私が君に集会所で受けた技だ。もし今の君から受けていたらと想像すると……危なかったかもしれない……」
カツッ、カツッ、カツッ――……。
静寂が訪れたエントランスに、白中の闊歩する靴音だけが響き渡る。
「まあ…………死人はもう動かないがね」




