第三十一話 恐怖
「数分で視界が――」
ふっと、長の一言が俺の脳をよぎる。
「こ、光道……? 光道! い、いるの……か……!」
弱々しく、焦りのこもる声で……光道へ必死に呼びかける。
――その時、俺の右手に暖かな温もりが伝わってくる。俺の手がそっと優しい温もりのする彼女の手に握られているのだ。
「ここにいる」
「そ……そう、か……。何だか……眼が、見えなくて……な。暗い、んだ」
「目が見えないの?」
俺は力なく頷く。すると、改めて俺の腕が光道の肩にしっかりと回され直される感触。
「よくわからない……けど、私は近くにいるから……」
俺はかつて、これほどまでに光道という人間を頼もしく思ったことがあっただろうか。俺の腕が回されている華奢な光道の肩も、今の俺にはやたらと大きく、広く感じられる。
しかし……なぜだろう……。
光道の指示されたことは〝俺を自宅まで運ぶ〟だけのはず。俺がどれだけ体調不良を訴えようと別に気を配る必要はない。強引にでも引っ張り歩かせていけばいい。こんな状態の俺だ……ろくな抵抗もできない。
…………よく考えてみると、不可解な点がある。
どうして光道は一人で俺のことを運んでいるんだ? 誰か適当な信者数人にでも助力を願って、荒っぽくでもさっさと運搬した方が効率もいいだろうし、彼女の負担も大幅に減ることとなるはず……。
――これだと、まるで……光道が俺を気にかけているみたいではないか。
……だが……だが。
仮にだ。仮にわずかでも俺を気にかけてくれている……という仮説を立てるとしたら、なぜ『白き扉』に入った俺を『侵入者』とアナウンスしたのか? どう考えてもあの行動は俺を不利に……悪い状況へと追いやるものだ。実際そうなった。
それになぜ、こんな人の助けを借りてようやく前に進んでいるようなふらふらな俺を〝病院〟ではなく律儀にも言いつけ通り〝自宅〟に送り届けようとするのか……。
一方では俺のことを気にかけてくれていながらも、その一方で『白光神援教』への配慮。
矛盾……というか……この微妙な〝ズレ〟はなんだ?
「後五分くらいで到着するよ……」
光道の一言で、自宅までもうすぐであることを教えられる。
周りの景色が判明しないと、時間の感覚、どれだけ自分が歩いたかという距離感、そのどちらも曖昧になるようだ。
あと五分の地点……ということは、俺が視力を失った路上の地点から、さらに数分は経過している頃だろう。ということは……。
――あまり実感がないのだが、すでに俺の鼻は利かなくなっているのだろう。
すると、次は耳だ。それに続いて体の自由が失われ……。
そして…………。
「なあ……光……道。俺……死ぬのか、な……この、まま……」
「そんなの私が許さない! 霧白君は『試練』に負けない……」
…………まったく。ついさっき――階段で尻もちついた時も思ったが、どうしちまったんだよ光道。声を荒げるなんて普段のお前らしく――。
あ。
ああっ。
ああああっ!
一つのヒラメキが、俺の脳で生まれる。
そ、そうか……何となくわかったぞ。
光道の中で起こっている、ズレの正体。
そもそもヒントはあったじゃないか。よく思い出してみろ、若い男の文章内容を。
あの男は、入ってはいけない『白き扉』を通過し『復活の薬』が量産されていた……という真実を認識した。
だが……はたしてそれ起因として、彼の信仰心に大きな影を差すことになっただろうか?
〝私の白き光への信仰心が薄れることはありません〟云々……と、しっかり書かれていたのではなかったか。
つまり――本来は『白き光』から授けられるはずの『復活の薬』が、実は大量生産されていた……という事実では、それなりに動揺を誘いはするものの、信仰心が激しく揺さぶられるほどの影響には至らなかった。
そして……きっと光道も同じなのだ。だからこそ、地下の光景を目撃した時の一言が〝驚いた〟という淡白なものだったのだ。言葉通り驚いて……それで終わってしまった。
しかし、俺はもっと光道の心を動かせる、簡単な方法を知っているではないか。……むしろ、どうしてこれまで見落としてしまっていたのか、謎なくらいである。
〝過去の記憶〟だ。
光道が昔の記憶を思いだそうとして、取り乱す光景を俺は数回目撃している。
きっと『白光神援教』によって、過去の記憶を呼び起こさないような、こう……訓練というか、暗示か何かを受けているのだ彼女は。
『白光神援教』は勧誘対象となる者を不安や孤独にさせ、そこから勧誘まで漕ぎつける手法を採用している。
そうして極度に不安や孤独を抱えた者達が『白光神援教』に入信した結果、次第に過去の――苦しく……悲しくなる記憶を、マインドコントロールか何かで甦らせなくなっていく……。
すると、そのような状況になった信者達はこう捉えるのではないか?
〝施設に来て、白い光を信じていたら、いつの間にか不安や孤独が消え去った。ああ、これも全て白い光のおかげだ…………ありがたい……ありがたい……〟
……あくまでこれは全部、俺の妄想の範疇に過ぎない。
しかし、もし間違っている箇所があったとしても……それはそれで構わない。ここで重要となるのは、記憶が脳の深くに封印されてしまっていることだ。
以前、学校の教室で「昔一緒に遊んでいた俺のことを覚えているか」と、光道に尋ねた時、突如として苦しみだした末に「覚えていない」と彼女は返答した。
だが…………光道。
本当に今も覚えていないのか?
ひょっとして、少しずつ……自覚がないだけで、昔の記憶が蘇ってきているのではないのか?
だからこそ…………幼馴染の俺を、自分でもよくわかっていないながら、助けてくれようとしてくれてるんじゃないのか?
もし、俺のことを……完全に思い出してくれたなら。そのときは今度こそ、俺の――〝『白光神援教』を抜けてくれ〟という願いが、光道の心に届くかもしれない……。
もし、その願いが叶うのなら……。ここで俺は終わるとしても、せめて最後に光道を今の俺と同じ目にあわせないよう出来たのなら。心の整理も少しはつくだろうか……。
「光道……き、……れ」
ああっ……くっそ!
…………こんな時に……なんてタイミングが悪いんだ。
ついに耳へと不調が侵食してきた。自分の声すらノイズのように上手く聞き取れない。
「耳……え……い」
〝耳が聞こえない〟――そう伝えてたはずだが……。
「も……聞こ……はい……み……え……だをた……」
俺の右肩が光道の手で軽く叩かれる感触を得る。
咄嗟に俺は〝はい〟なら右肩を〝いいえ〟なら左肩を叩くよう伝えてみたのだが……どうやら成功したようだ。光道の呑み込みが早くて助かる。
「もう家に着いたのか」と俺は尋ねる。たまに掠れた声が俺の鼓膜を振動させることから、口パクではなく一応喋れているということを確認する。
すると、光道はいきなり立ち止まったかと思いきや、何のつもりか俺の肩――ではなく、ズボンのポケットに手を突っ込んできやがった。
……しかし、すぐ光道の意図に気づく。
俺のポケットに収められていた自宅の鍵を取り出したのだ。わずかな重みが消えた感覚を、俺は確かに感じ取れた。
そうしてから、俺は右肩を叩かれる。そして、そのまま少し前進してから地面に地面に座るよう促された。そこで光道に靴を脱がされたことにより、自分の現在地点が玄関だと悟る。
‼
…………。
はっ……ははっ…………。
……もう、なのか……。
玄関に座り込んだ俺は、気づけば胴体どころか、指先一本たりとも、筋肉が凝固したかのように力が入らなくなっていた。
脳から発せられる〝動け〟という信号を――俺の肉体が完全に拒んでしまっている。
長によれば……耳に異常をきたしてから〝数分後〟……という話だったんだがな。体の自由が利かなくなる段階を迎えるのは……。少し早すぎるぜ。……いや、個人差が云々(うんぬん)がとも言っていたっけか。
…………それで、だ。体が動作しなくなってから数分後には……。
その事実を自覚した瞬間。
怖い……。
歩くことや他のことを考えることに集中していたため、わずかに和らいでいた死の恐怖が一気に俺へと襲いかかってくる。もう目前となってしまったことで、それはもう上手く表現できないくらいの圧倒的な恐怖が、濁流のように湧き上がってきたのだ。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
すぐにでも発狂しかねない。だが、叫び声を上げていることを認識できない俺には、それすらも行えない。全身が極寒の寒さにも引けをとらないだろう冷気で覆われていくような絶望的恐怖。
怖い……怖い……。
……だが……それと同時に……。なぜか〝恐怖〟だけでなく……奇妙な感覚に包まれている自分も存在していた。
広大な宇宙空間を一人でゆらゆらと漂っている……もし例えるなら、そのような不思議な感じか。
壮絶な恐怖におびえながら、一方で冷静な自分がいる。
「――――――――――――――――――――――――――」
一応俺としては、光道に話しかけた……つもりだ。まあ、声が発せられたのかという以前に、そもそも口が動いていたのかを確認する術はないがな。
これが通じていれば……あるいは……過去の記憶を……。
光道……お前なら、きっとマインドコントロールなんか打ち破れる。
「居間に置いてあるアルバムと手紙を読んで……白ちゃん」




