第三十話 影響
○
「では光道君、彼を自宅に運んでくれたまえ」
廊下で光道を待たせていたのは、俺を自宅まで送り届ける役が課せられていたからだったことを知る。
俺は廊下にどさりっ、とまるでゴミでも捨てるように雑に転がされた。
「彼は現在『試練』の最中だ。しかし、この建物は『白き光』を信じ、敬う者のみの『試練』が許される場であり……彼にはふさわしくない。霧白君の自宅はここからそう離れておらず……というのは、私より君の方が重々承知しているか……」
なにやらそれっぽい理屈を光道に並べてみせた白中は、そのまま俺を放置して、もう一人の付き人と共に用は済んだとばかりに、カツッ、カツッ、と靴音響かせ廊下を進みだしたかと思うと……そのままどこかに消え去ってしまった。
「大丈夫……霧白君?」
光道は崩れ落ちている俺のすぐ横でしゃがみ込むと、俺の腕を自分の肩に回し担ぐようにして、ゆっくりと立ち上がらせる。
…………だい……じょう、ぶ…………だと?
ふ……ふざけるな……! お前の口から……よくもそんなセリフを……。
心の奥底から湧き上がる怒り……全身に回る痛み……二つの苦しみを必至に耐える。
しかし、光道の腕を振り払うような気力は根こそぎ奪われている俺は、光道の補助があってようやく歩けているという様であった。
………………………………。
…………俺は、どうして歩いているのだろうか。
わからない……。
こんな状態になって……もはや無理をしてまで家に行く必要性はない。
…………ない……が。
しかし――――ただただ〝帰りたい〟という強い意志が、どういう訳か心の奥深くにまで根を張っており……もしかすると、その意志の力が満身創痍の俺を歩かせているのかもしれない……。
「階段だよ。慎重にね」
あぁ……俺は今階段にいるのか……。
……‼
い、今……俺……。
俺は驚愕する。
…………い、一瞬…………前が見えていなかった……?
視線の先を阻む障害物があったわけでも、ましや目を閉じていたわけでもない…………いきなり視界が暗く……暗転したのだ。
疲れを取るようにぎゅっと眼をつぶり眉根に手を当てつつ、改めて一歩を踏み出した……その時。踏み出した感触に何か違和感を覚える。
――――直後、俺は足を滑らせるや、勢いよく階段上で尻もちついてしまう。
「霧白君!」
神経が鈍ってしまったのか? 足を踏み外したことを自覚するのに、体に衝撃走ってから数秒ほど時間を要した。
「平気? どこをぶつけたの?」
こんな時に運がいいのか悪いのか……幸いにも顔面から倒れ込まなかったのが唯一の救いだ。結果として、俺への被害がより甚大にならず済んだのだから……。
……平気……な、わけがない。
光道は非常に珍しく……いや、もしかしたら出会って初かもしれない、〝慌てる〟という感情らしい感情を滲ませながら、俺の身体の心配をしてくる。
優しく俺の腰をさすりながら、それは丁重に俺のことを補助してくれる。長の付き人二人に比べると天と地ほどの待遇の違いだが――。
それでも、光道に心配されると……むしろ腹が立つ……。
光道……お前に……俺の気持ちがわかるってのか?
わかる……わけがない…………。
……今なら少し、俺にUSBを渡した男の気持ちを理解できると思う。
もうじき死ぬことがわかっていて……ただじっとしているなんて普通出来ない……いや、世界中見て回ったわけじゃない、もし出来る人がいるとしてもおかしくはないが……少なくとも俺には無理だ。
――――体が……心が、落ち着かない。
きっと……心の整理が必要なのだ。
自分がこれから死に向かう為の心構えを形成するための。それには、人それぞれのやり方があるだろう。
若い男はあの文章を残した理由を気まぐれ……なんて言っていたが、とんでもない。迫る死期に備え、無意識の内にその心構えを〝文章を書く〟という方法で形成してみせたのだ。
だが……唐突に訪れてしまった俺にとって……もはやそんな時間の猶予はない……。
加えて俺には、現実を受け入れられず……落ち着くとは対極の行動――混乱して喚き散らし暴れる、ということを実行する体力も気力もすっかり底をついている。
……俺にはもう……やれることが、残されていないのか……?
俺の…………俺の人生とは……なんだったのだろうか……。果たして、何か意味はあったのか?
………………。
……いや…………まだだ……。
…………せめて……疑問だけでも氷解させよう。
「こう……ど、う。お前……どうして『白き扉』の中へ入った……」
喋るだけでもやたら手間取る。口が……舌が、いつもより滑らかに動かしづらい。
「…………」
またお得意のだんまりか? この光道の反応は、長が光道に――「なんで『白き扉』の中に入ったか」と質問した時と同じものだ。やはり何も答えないのか?
そんな中、ついに俺は施設内から外へと出た。お出迎えは盛大にしてくれるのに、出ていく時には全く見送りなしってのは、いささか薄情すぎないかね……。
空一面にはオレンジ色の幻想的な輝きが溢れていた。気づけば、外はすっかり夕暮れ時だったのだ。
「霧白君が……心配だった……」
「えっ?」
完全に無視されたものと思っていた俺へ、ふと……彼女はそう述べてみせた。
「お腹が痛いって……辛そうだったから。男子トイレに呼びかけても返事がなかった。そこで偶然長と会って、霧白君が「白き扉の先に行った」って聞いたから様子を見に行った……」
………………はっ?
そ、それで……? そんな理由で――。
たったそんな理由で――〝入ってはいけない〟部屋に入ったのか光道は……。
だが……そうか……。俺は一つ合点がいく。
地下――『復活の薬』が無数に保管されている場所。あそこでたしか、光道は俺を見とめるや開口一番腹痛について尋ねてきた事情を……ようやく理解した。
〝なんて単純なヤツ〟……そう言われれば何も反論出来ないが…………実は心配されていたことを知った俺は、ふっと、自分の中で沸々と煮えたぎっていた光道に対する怒りが、その鳴りを潜めていくのを実感する。
ジャッ、と靴が擦るような音が耳に飛び込んできた。
「っ……!」
体……特に膝をしたたかに道路へ打ちつけてしまう。
あっ、あれ、俺……転んだのか?
自然と擦りむいたはずの膝にケガがないかを確認せんと、這うように視線が足へと向かっていく。
……………おか……しい、な……。
……本当に……ケガしたのかな? ……俺。確かに痛みも、膝を擦りむいてしまったような感覚もあるんだが……。
……って、何を考えてるんだ俺。そんなの確認すればいいだけ…………。
――あれ……?
あれっ……あれっ……あれっ。
くっそ……おかしいな……何も、視えない……。
‼
そこで――――俺は気づいてしまう。
膝どころの騒ぎじゃない……世界のありとあらゆるものが視えなくなってしまっていることを。
暗い……漆黒だ。光という光が存在しない暗闇。
「数分で視界が――」
ふっと、長の一言が俺の脳をよぎる。
「こ、光道……? 光道! い、いるの……か……!」




