第二十七話 戦闘
…………………………。
周囲の空間に、重々しい空気がみるみる充満していく……。
気息を整えつつ……ごくり、と俺は生唾を飲み込む。
………………。
…………来たっ!
仕掛けてきたのは白中だ。
勢いよく俺目がけて駆け寄ってくるや、まずは小手調べとばかりに殴りかかってくる。
――――速い!
かろうじて反応できた俺は、片手ではじいて拳の軌道を逸らせる。
その一撃を皮切りに、次々と苛烈な攻撃を仕掛けてくる。相手は珍妙な……俺を惑わせ困惑させるような武術を駆使してくる……ようなことはなく、むしろ、その動きはあまりにも単純と言っていいだろう。
……しかし、俺は防戦一方の立場にならざるをえない。
もちろん俺は一切手など抜いていない。信者相手の時は、なるべく相手をケガさせないように……と〝殴る蹴る〟という行為は一応意識的に控えていたのだが……もはやそんな配慮をする余裕は一かけらも存在しないのだ。冗談じゃなく、こっちが先にやらなけば、本当にやられてしまう。
まず、一発一発がとにかく信じられないくらい速すぎる。持ちうる集中力を全力稼働してやっと反応できるレベルだ。加えて、まるで体力が無尽蔵かとばかりに、その驚異的速度を常に維持したまま、打撃の応酬を繰り出してくる。
しかも、たちの悪さは圧倒的な速度だけにとどまらず……どの一撃もまるでハンマーのように重く、相当に威力が高い。
『白光流』はいくつか名前のある技も存在するが……基本的には相手の攻撃をさばいてさばいて、隙あらば反撃の一打を放つ――それが『白光流』基礎となるのだが……とにかく凌ぐことだけでも精一杯。戦いの火蓋が切られて早々に、俺は明らかな劣勢に立たされてしまう。
トンッ、俺の背中が壁に触れる。
気づけば、じりじり後退させられていたのだ……俺は。
追い詰められている――その揺るがない真実が……焦燥感を否応なく駆り立てていく。
「……っ!」
俺は半ば強引に体を捻り、右方向へ位置を移動する。何とか、壁際で身動き取れなくなることだけは回避する。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
怖い……。
相手とのあまりの力量差に全身という全身が恐怖心で覆われていく。助かる見込みが徐々に失われていく中、それでもどうにか俺の身が竦まずにすんでいられるのは、毎日欠かさず行っていた鍛錬で精神力が少しでも培われていたからか……。
か……壁……。そ、そうだ……。
このままでは、後数分と白中の猛攻を耐えきれるか怪しい。
俺は震えそうになる体に鞭打ち、額に汗を垂らしながらも歯を食いしばって戦っている。
だが一方の白中はというと……俺と対極をなすように涼しい表情。全く休んでいないにも関わらず、疲労した様子をおくびにも出さず、先ほど会話していた時とまるで変化がないというのは……もはや驚異としか表現できない。
こうなったら……やるしかない…………一か八か……だ……!
【左霧宙白】――足の運びと重心移動が何よりも重要となる、まさに今俺が使おうとしている技。相手視点からはゆらりと陽炎のように俺の体が一瞬だけブレ、その後左に移動するよう認識される……相手を誘導する技……。
つま先への力の入れ具合を強く意識しながら左足を一歩、前方へ軽めに踏み込む。それから、体を……うねらせるとでも言えばいいだろうか。波のようにぐわんぐわんさせるようなことはしないが、イメージとしてはそんな感じに体重を移動させていく。
この重心移動がとにかくやたらと難易度が高い。しかも、地味な動作を何度も何度も繰り返し反復練習することが、肉体的にも精神的にも大変苦労したことをよく覚えている。
――通じた!
成功だ。白中は俺が左へ移動しようと判断したらしく、行く手を遮るように体を動かした。…………だが、そこに俺はいない。移動したのはその逆だ。
その瞬間、俺は壁を蹴りつけていた。
一歩……二歩……もはや壁を真横に駆け抜けてしまおうという意気込の下、渾身の気合いを込めて側面にある壁を蹴りつけ宙に躍り出た俺は……そのまま体を強烈に一回転させる。
【白紙の撃】!
四肢に残されたあらん限りの力という力を注ぎ、さらにそこへ胴体を回転させた力も上乗せして――白中の横っ腹を蹴り飛ばした。
傍から見れば、おそらくただカッコつけた回し蹴りくらいにしか思われないだろうこの技。だが、この技にもしっかり放つ手順があったりする。
「なっ……‼」
あまりの動揺に開いた口が塞がらない。
確かに――しっかり技が決まったという……手ごたえのようなものを感じた。
…………だが、びくともしないのだ。例えるなら、まるで石像でも蹴りつけたような感触。事実、白中が痛がっている素振りはまるでない。
予想外の衝撃で危うく俺は着地に失敗しかけ……体にすっかり染みついた習慣が自然と受け身を取らせはしたものの、着地時に右手首を少し捻ってしまう。結果的に、蹴られた側よりも蹴った側の被害が大きくなるという状況。
唯一幸運だったのは、捻った痛みのおかげで完全に呆けてしまう事態だけは防げたことか……。
「ふっ……ふふっ……ふっふっふっふ……」
白中は……なんといきなり低く笑い始めた。口元以外の顔面の筋肉がほぼ動いておらず、加えて、楽しいという感情が完全に欠落したかのような平坦な笑み。
「久しぶりに面白いものを見せてもらったよ」
悠長に床で転がっている暇はない。両手で地面を強く押し出し、急いで立ち上がる。
「そうだな…………君の戦い方を表現するとしたら……さながら『カンフー映画』という具合かな。手足の動きも機敏で、見栄えもいい。やや、実践性に欠けるところもある気がするがね……」
ヤ……ヤバっ……い……。
どうするどうするどうするどうするどうするどうする?
マズイマズイマズイマズイ!
ほんのついさっきまで〝正々堂々戦ってやる〟――などと高尚な考えを持っていたが……どうやら叶いそうにはなさそうだ……。
何だよ……何だよ今の! コイツ人間なのかよ……! 『石』のように硬すぎる。
衣擦れか、はたまた空をかき分けるているのか、ブオンッ! という不気味な音を唸らせながら、白中は正拳突きのように真っすぐな拳を放ってきた。単純な軌道で俺の身体の正中線上を狙ってくる。
………………えっ?
咄嗟に左斜め横へ弾こうとしたのだが……先ほど蹴りつけた時同様、全くビクともしなかった。
「はっ――――」
一挙に肺から酸素が失われる感覚――直後、俺はそのまま後方へ紙切れみたいに吹き飛ばされた。
本当に現実なのかと疑うばかりの距離を吹き飛ばされていった俺は、とても鈍く……重々しい破砕音と共に背中から壁に激突する。その痛烈な威力といったら、衝突時に体内にある臓器という臓器が余さず全て、腹から零れ出してしまったとすら錯覚させた。
ずるずる、と壁にもたれかかるように滑り落ちていき……そのまま力なく大の字に床へ倒れ込む。
「ぁ……ぇ……ゲホッゲホッ……ッ………はぁ、はぁ、はぁ……ガハッ、ゴホッ……」
浅く乱れる呼吸を何度も繰り返し、口からは幾度となく咳が漏れる。
視界がぼやけて歪み、腹部を中心とした激痛に苛まれながら、今までは全て手加減されていた……という無慈悲な事実を、否応なしに理解させられてしまう。
――――経験の差、筋肉量、体格の違い、相性――もはやそんなもんで説明がつかない。相手と俺の差はもっと根本的で――――〝住む世界異なる〟というか、明らかに人類の限界点を超えている。これぞまさしく……『次元が違う』……。
白中は少し乱れた自身の服を簡単に整えると、おもむろに部屋の扉を開いた。そこから、外で待機していたらしい何人もの信者がわらわらと、まるで地中から湧き上がる湯のようにどっと入ってくるや、あっという間に倒れ伏す俺をぐるりと包囲してしまう。
「ではみなさん。彼を『長の部屋』まで……」




