第二十二話 白き扉
カツッ……カツッ……カツッ……カツッ……。
階段を登る二人の靴音だけが、周囲の静謐な環境へと染み込むように響いていく。
次は三階……。光道の部屋は五階。仕掛けるならそろそろか……。
「うっ!」
階段途中、突如俺は腹部を手で押さえながらしゃがみ込む。
「おっ、オナカガイタイヨー」
その一言が口から発せられた瞬間、思わず俺は自分の口を両手で押えそうになる。
…………し、しまったぁ!
俺の演技はここまで下手だったのか!
信じられないくらいの棒演技ぶりに、当の本人である俺ですら驚愕してしまった。
「えっ……?」
「オナカガイタイヨー」
しかし、今さら路線は変えられない。棒演技でも、せめて雰囲気だけは伝われ! と、ひたすらに心の中で念じながら、俺は演技を続ける。……続けるしかないのだ。
伝われ……伝われぇぇ……伝われ伝われ伝われ伝われ伝われ伝われ伝われえええぇ!
………………。
光道は感情のこもってるんだがないんだかが察しにくい無感情な瞳で、じーっと黙って観察してくる。
一方の俺はというと完全に針のむしろ状態。背中に冷や汗だらだらかきつつ、とにかくうずくまって俺なりに苦痛に苛まれていそうな雰囲気を演出してみせる。
「……大丈夫?」
よっしゃきたああぁ! 光道に隠れて小さくガッツポーズ。
「だ、ダメみたいだ……。トイレは……トイレはどこかにないか?」
「私の部屋にな――」
焦燥感をアピールすべく俺は光道の言葉を強引に遮って告げる。
「いっ、一刻の猶予もないんだぁ! くぅっ……ここ、から……すぐ近くの……場所に……」
「…………こっち」
三階から二階へ降りる。そこから二階の廊下をしばし直進したところにトイレはあった。
――ちなみに男女のマークも白かったので、ちょっとばかし眼を凝らさないと間違ってしまいそうになる。ぜひともデザイン変更した方が良いだろう。
作戦通り、俺は次の発言へと移行する。
「こ、こう……どう。何か、薬はないか……腹痛に効く……」
「私の部屋にあったかも……探してくるわ」
これはなんたる好都合だ。光道の親切心を利用するみたいで心が痛むが……これといったひと悶着もなく俺は一人になるという計画が達成で出来たではないか。
よし……行くか……。周辺に人影は無いな。
さて。
ここからが本番だ。
光道の華奢な背中が完全に視界から消失するのを確認し、俺は足早に階段へと戻る。
首だけそっと突き出し階下を覗き込む……と、どうやら一階の階段付近に人影はないようだ。極力足音を立てないことを意識し、慎重に一歩一歩降りていく。
一階の階段付近は、二階から確認した通りやはり人の気配はなく……シーンとした静寂が辺りを支配している。
そのあまりの静けさといったら、こんな大きな建物だというのに、まるで誰も人がいないのではないか? ……という錯覚すら俺に抱かせる。
壁に背をつけ、そっと顔だけで右側廊下を覗き込む。
誰もいない……か。
――今から俺が開始しようとすること、これはなるべく信者に発見されず行いたい。
何せやる事が事だしな……。行動目的がバレて捕まる……という最悪の事態に繋がらないよう、極力リスクは減らしておきたい。
廊下の構造は、学校の廊下と近しいところがある。真っすぐに続く長く白い廊下、左右の壁には等間隔で複数の扉が配置されており、廊下の奥は行き止まりだ。
これじゃあどの扉かわからないぞ……どうする?
今まで意識的にこの建物の廊下を観察したことはなかった。しかし『白き扉』を探す――という明確な目標ある状態で改めて眺めてみると……その扉の数の多さに気づかされる。
しかも、問題は扉の量だけに止まらない。さらに困ったことに、階段から右……だけではなく、左、前……と、道は三方に分かれているのだ。
前方に関しては、そのまま建物出入り口に続く一本道。まずこれは無視していい。
ということで……右か左か、選択肢は二つに絞られるわけだが……。
左……には、扉が一つだけ。しかも廊下の長さもさほどなく、すぐ行き止まりに突き当たる。逆に右方向には扉が複数……。
左に一つ、ぽつんと佇む扉……というのは、いかにも何か『特別な部屋』であるという印象を受ける。……だが、あまり扉に特徴がない。というか、多数並ぶ他の扉とデザインは全く同じものだ。
本当に入ってはいけない部屋なのであれば、もうちょっと人の視覚に警告を訴える装飾があるのでは? それを考慮すると逆に罠……というか、ハズレの部屋な気もする。それとも深く考えすぎか……。
くそっ……時間があまりないんだ。長考している暇はない……。
俺は左を選択した。階段の陰から思い切って身を乗り出すや、左の廊下に一方踏み出す。扉までの距離、約五メートル程――。
ガチャン。
‼
直後、なんてタイミングか、目指す扉のノブが捻られる金属音が俺の鼓膜を揺らした。
マズイ‼
慌てて体を後方へ反転させるや、階段側の壁に息を潜めて直ちに身を隠す。
「…………っ」
俺は細く息を吐き、突然の事態に跳ね上がった鼓動を落ち着かせる。
「「おかえり・おかえり・おかえり・おかえり・おかえり・おかえり」」
例のスキップする集団じゃないか。
あの部屋は、スキップ軍団の控室だったのか……。
じっと息を呑み潜んでいる俺の目前をあっという間に過ぎ去っていった一団は、そのまま階段の前方にある道――建物入口方面へと、気持ち悪いぐらいの統率力を遺憾無く発揮し、スキップしながら姿を消していった。
「……はぁ……」
ダメだ……まだ油断するな。
ひとまず気づかれなかった……という結果に俺は少し脱力するも、すぐに気を引き締め直すよう首を左右に数度振る。
左が違うならば、早く右側へ進行しなくては。さっきは俺の方に――階段に背を向ける形を取って集団が通過していったからこそ、隠れ通すことにどうにか成功した。
だが、もちろんのこと永遠にエントランスに駐在しているわけがない。出迎えが終わった信者達が部屋に戻ってくる時、その一団の向いている方向を考慮すると……まあ、見つかるだろうな……。くっそ、なんて厄介な十字路なんだ……ここは。
俺は意を決するや再び廊下に身を繰り出す。そのまま右方廊下を一気に駆け抜ける……のではなく、早足で直進していく。
これは、一つ一つの扉の特徴を少しでも時間をかけて観察するためであり……やむをえない行動だ。
どこだ……どの部屋に入ればいい?
どの扉も全部同じに見えるぞ……ああっ、どれだ? どれだどれだどれだ?
「……っ……っぷ……」
――!
ふと、背後から……彼らの声が壁を反響して俺の耳に伝わってきた。それも次第に音量が大きくなっていくではないか。
「「しろっぷ・しろっぷ・しろっぷ・しろっぷ・しろっぷ」」
複数の入り交じる男女の揃った声。
も、もう帰ってきたのか……⁉ アイツら……。
やばいやばいやばいやばい……。自身の意思とは関係なく、勝手に手から汗が滲んでくる。
そ、そうか……俺が施設に入る時は、俺というこの施設の住人にとって未知の人間に対して「お前は誰だ?」と、スキップ軍団が尋ねる時間があった。
通常の〝お出迎え〟はこれくらいの短時間で終わるものなのだ……。
「…………」
もはや「しろっぷ」という掛け声が何なのか考えている余裕など皆無。
「どうするどうするどうする……」
あああぁぁ。とにかく激しく眼球を左右に張り巡らせて……扉を一つずつ慎重かつ迅速に観察していく。心臓の鼓動がうるさいくらいに騒ぎ立てる。
「あっ…………」
だが、よりにもよって俺はこんなところで……最悪なことに気づいてしまう。
そもそも……はてして扉に『鍵』はかかっていないのか? ……と。
…………。
しまった。計画がずさんだった…………。
完璧な作戦が聞いて呆れる。いかに完璧から程遠い作戦であったかを、俺は身を持って重々実感させられてしまう。
……?
次の手も思いつかず、まるで崖に向かって歩いていくかのようにすら思えてくる。
そうして、絶望的と焦りが絡み合うような複雑な面持ちで、行き止まりの壁へと進んでいた俺だったのだが……ある違和感を覚える。
……行き止まり……じゃ……ない?
左への……曲がり角の存在を視界の端でしっかり確認した瞬間、俺は脱兎のごとく全力で駆け出す。
そのまま一息にを曲がり角へと距離を詰めていくや、なだれ込む込むような勢いで左方へ飛び込んだ。
俺が行き止まりだと判断していたのは目の錯覚。
あまりにも辺り一面が雪景色のように〝白一色〟であるせいで、遠目からでは曲がり角の存在に感知できず、ただ壁があるようにしか思えてなかったのだ。
「「しろっぷ・しろっぷ・しろっぷ・しろっぷ・しろっぷ」」
…………聞こえる。
「「しろっぷ・しろっぷ・しろっぷ……っぷ……っ…………」」
………………。
い、行った……のか?
背を預ける壁から首だけをそっと出すと……廊下に一切の人影は存在せず、元の静寂が取り戻されていた。
彼らは俺を発見しないまま、あの控室? まで帰還していったのだ。
‼
慌てて、すぐさま首を引っ込める。
カツッ、カツッ、カツッ……。
………………………………。
祈るように両のまぶたを閉じながら、身じろぎ一つせず全神経を耳に集中させる。するとしばらくして、一時的に反響してきた足音は消え去っていった。
…………あ、危なかった……。
それはそうだ。信者達が誰かを迎えに行ったということは……つまり誰か外から帰って来たということじゃないか……。それぐらいすぐ察知しろよ俺……。
一瞬よろけそうになり、壁に手をついて姿勢を支える。それからしばしの間、ぎゅっと固く目を閉じて……開く。
「…………行くか」
確かに廊下の造りは似ているかもしれない……が、ここは学校じゃない。〝休み時間〟などという時間は設けられていないのだ……。
まずは俺が隠れるために飛び込んだ、曲がり角の先がどうなっているか、確認して――――。
「……………………」
絶句した。
四歩くらいで奥の扉にぶつかるくらい短い、一本道の廊下。奥の扉以外にドアはない。
奥に……俺のすぐ眼前に、唯一存在している白い扉――――。
扉には張り紙が一枚張ってある。
ノート……くらいのサイズの張り紙には、黒いマジックで殴り書きしたみたいな感じに一筆、こう書かれていた。
『白き扉』
「…………………………………………………………………………は?」




