第十九話 手紙
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なんだ夢か。
どうやら過去の……引っ越しをした幼き日の夢を見ていた…………らしい。
自室を抜け出し、洗面所で脳の覚醒を促すように冷水で顔を洗う。
タオルで水滴を拭い、それか冷蔵庫に向かうや『白光ドリンク』を取り出し、寝起きの一杯を――。
――――?
飲み物に口をつけるまさにその瞬間。別段、何かしらのきっかけもなかったというのに、どうしてか俺はあることに引っかかりを感じた。
夢……。
夢……夢……。
さっきまで見ていたはずなのにもう薄れ始めた夢……。そこに何かあった……ような。
…………まっ、いいや。
とにかく学校の支度をしよう。本当に大事なことなら、いつか思い出すだろうさ。
昨夜、精神的な疲労から来たと思われる半端ない眠気を堪えに堪えやり遂げた宿題を鞄に詰め込み、今日の授業に使う教科書を放り込み、筆箱……。
ぴたっ、と慌ただしく動いていた両手が、ブレーキでもかけたみたいに急停止する。
そ……そうだ…………。
手紙。手紙……だ!
田舎に引っ越してから何回か、光道からの手紙が届いていたのであった。夢で得た引っかかりというのは手紙のことじゃないだろうか。
「あれ、どこやったっけな……?」
そもそもちゃんと残しているのか? とっくの昔に捨ててはないだろうか?
不安な気持ちを抑えながら、俺はまだ開封せず部屋の片隅に鎮座している引っ越しの段ボール箱を開ける。
すでに開封した段ボール箱にそれらしきものはなかったはず。
思い出せ……思い出せ……。
……ええと……そういや田舎の方で使っていた机の引き出しの中に……手紙を入れたような……入れなかったような……。
それで、引き出しの中にしまい込んでいた紙類は……何か、やたらと書類を収納するのにちょうどいいサイズの……元はすごい昔にどこかの旅行先で買ったクッキーの容器にひとまず放り込み、それを段ボールに詰めたんだったか。
「あっ! これだ……」
ところどころに細かなキズがつく銀色の入れ物が出てきた。フタを取り去ると、中から何枚もの紙が姿を現す。小学校や中学校からの配布プリント、漢字練習に使用されたと思われる汚い字がたくさん書かれたノート、恐竜らしき生物と剣を持った棒人間が戦っている絵が描かれた、くしゃっとしている紙。
……俺、よく捨てずに持ってこようと思ったな……これ。もしかしたら俺は、結構過去の思い出とかを大事にしちゃうタイプなのかもしれない。
時々頭がくらりとしそうな雑な絵や文字を発見しては、その都度げんなりし……それでも根気よく紙束を探っていたところで、二通の白い封筒を俺は探り当てる。
「……見つけた……」
あとちょっとしか残っていなかった紙束を一応最後まで調査し、目的としていた手紙は二通しか入っていないことをしっかり確認する。
封筒を表、裏とひっくり返してみてから、早速中身を丁寧に取り出す。
二つの封筒にはそれぞれ一枚ずつ手紙封入されており……俺は日付の古い方から内容に目を通すこととした。
これは――俺が田舎に引っ越して一年後くらいのものだな。
龍太。私は頭がおかしくなってしまったのかも。こんな話、誰にも出来ない。けど龍太には聞いて欲しくて手紙を書いたの。
というのもね、最近おじいちゃんとおばあちゃんの葬式があったんだけど、その日から私、後ろから誰かに見られている気がするの。でも、後ろを向いても誰もいなくて。
私、どうすればいいと思う? 気がするだけで本当に怪しい人を見たわけじゃないから警察にも学校の先生にも言えないし、お父さん、お母さんにも出来れば心配されたくないの。
それじゃあね龍太。龍太は絶対車にひかれちゃだめだからね。
今回はなるべく早く龍太の返事が欲しいな。
続いて二つ目の手紙。これは一通目から二週間が経過している。
龍太、まずは安心して。親切な人達が私を助けてくれたの。それからは、誰かに見られている気もしなくなったわ。
でも、手紙で龍太に言われたことも続けるからね。
龍太に早く会いたいな。龍太ちっとも帰ってこないし。今年こそ帰ってきてね。
「ええ……と」
――そうだ。引っ越し当初は光道から手紙が頻繁に送られてきて、その手紙達は別の場所に保管したんだ。
でもその後、どういうわけかしばらく光道からの連絡が不通になって……で、久しぶりに来たこの二つの手紙は読んでからそのまま座っていた机の中にしまい込んだ――こんな流れだったかな。
…………ううむ……。
光道を施設から脱退させるための説得に利用が可能そうな、何らかの参考資料を入手できるんじゃないかと考えていたんだが……。
うん?
ひとまず学校もあることだ……と、一旦考えるのはやめクッキー箱を戻そうと思い、箱を戻すスペースを確認すべく段ボールの中を覗いた俺の瞳に、ふと気になるものが映る。クッキーの箱の下に置かれていたのでさきほどは気づかなかった。
『アルバム』だ。
まあ、これも見ておくか。過去のことを思い出すのにはちょうどいい。時間もまだ、もう少しばかり猶予があることだし。
きっと光道が俺と一緒に写りこんでいる写真もあるだろう。それをきっかけに光道が昔どんなやつだったかを思い出せれば、光道の説得もやりやすくなる……かもしれない。単純に、どんな写真があったかを見てみたい気持ちもあるしな。
手紙は後でしまえばいいと取りあえず放置、俺は紺色をしたアルバムの表紙をめくる。
それからしばらく、俺は写真の数々を眺めていった。俺が赤ん坊のころから始まって……次第に女の子の姿が俺と一緒に写真へ入ってくることが多くなる。間違いなく光道だ。
顔つきは今といくらか違うが、この少しぼんやりというか……そんな感じの目元が今とよく似ていた。
これは……運動会の写真。こっちは動物園か。ほとんど、どれも光道と一緒だな……。男友達との写真も、もうちょっと撮っておいて欲しかったものだ。
そうして、過去を懐かしみ、時には心の中でツッコミをいれながらアルバムをめくっていくと、もはや何度目になるかわからない俺と光道が一緒に写る写真が出てきた。次のページには写真がなく、これがおそらく最後の写真だ。
写真は引っ越しの時に光道の家の前で撮られたものだ。
俺はアホみたいにへらへらと……いかにも子供っぽい……今の俺からは完全に失われてしまっただろう純粋無垢さを存分に前面へと押し出したような笑顔を浮かべている。
一方の光道はというと、ムスッと不機嫌そうにしながらも瞳いっぱいに涙を溜めた顔で俺の腰に抱きついているという……こう、なんというか……全体的に混沌とした構図である。
……なつかしき思い出であることは確かだけど……これは使えそうにないな……。
「ってやばっ! ……そろそろ行かないとじゃん」
しばし時間感覚を失っていた俺は、壁にかけられた時計を目撃し我に返る。そのまま慌てて学校の制服に着替えるや家を飛び出した。
だんだんと通い慣れてきた道を駆け抜ける。右、左――と、俺の横に広がる風景が勢いよく後方に過ぎ去っていく。もはやパトカーのサイレンが鳴り響いても、いちいち驚いて立ち止まるなんてこともない程度に、都会での生活に馴染んだのさ俺は。
学校にはギリギリ間に合った。席について数十秒後に担任が教室にを来たことが、いかに危なかったかを物語っているか――。
これといった連絡事項もない担任の話はすぐに終わり、女教師が教室から去っていくと同時、教室内が瞬く間に生徒のにぎわいで満たされていく。
隣でぼーっと虚空を眺めながら座っている光道の肩を軽く叩いた。
「光道、聞きたいことあるんだけど、今いいか?」
「うん」
「その……もし、答えたくないようなことなら、答えなくてもいいんだけど……お前の両親って、何が原因で……その……亡くなったんだ?」
光道は答えを渋るように深くうつむき――――なんてことはせず、すぐに返答してくれた。
「交通事故。車の運転中、海に落ちた。死体は落下の衝撃で開けてた窓から車外に放り出されたと聞いている。だから、会えていない」




