第十八話 説得
いったん俺は自宅に帰るや自分のジャージを手にし光道家へとんぼ返り、そのまま光道に貸してやった。一晩と言えど、こんな小さな服着て過ごすのは窮屈で仕方ないだろう。
今度は少しぶかぶかな学校のジャージに身を包んだ光道。どういうつもりか上下着こむや、おもむろに袖口を自身の鼻に近づけるや、スンスンと犬みたく匂いを嗅ぎだした。
俺はそんな光道の奇行を慌てて止めてから目の前に座らせると、こほんと一つ咳払いし……改まって告げる。
「光道、あの施設を抜けろ」
途端にギリッ、と光道の射ぬくような鋭い視線が俺のそれなりに決意の固まった視線と交差する。
「……それは、どういうこと?」
彼女の鋭い視線にわずかにたじろぎつつも……俺は同時に若干の安心感も得ていた。というのも、光道の声に怒気が紛れている……というようなことがなかったからだ。普段通りの落ち着いた口調。
「光道……お前の……命が危ない」
「よく意味がわからないのだけど」
俺はパソコンを――若い男に託された文章が表示される画面を指さす。
「光道も読んでくれ。それであの組織の危険性がわかる。実はこのメモリーはな光道、お前と同じ組織にいたやつが俺にこっそり渡してきたものなんだよ」
俺がとやかく説明するより、まずは現実を……この文章を確認させる方が手っ取り早い。
すると光道はこれといって反論することなく俺の指示に従ってくれ、ただ静かに文章を目で追い始めた。
そして数分後。画面から頭を離した光道が俺へと静かに向き直る。
「全部読んだ」
「そうか。なら……これで俺の言葉の意味、わかるだろ? あそこにいたら、もしかするとお前も死んでしまう可能性がある」
さて……光道の答えは……。
「この人の境遇に…………同情は出来る」
……同情?
「でも内容を、信頼出来ない」
くそ……やはりか。この返答は予想出来ていた。結構頑固そうだしな……光道。
少なくともこの文章に触れた程度で簡単に身を引いてくれる女ではない……というわけだ。動揺したという感じもない。
きっと一度信頼したものはコイツの中でそう簡単に揺るがないのだろう。
「――わかった」
光道の眉が、ピクリ、と微かに反応した。
「それじゃあ……今日は帰るわ。ありがとな、パソコン使わせてくれて」
「……かえ……るの?」
意外そうな顔つきだ。何かまだ俺に伝えたいことでもあるというのか。
「ああ」
「そう……わかったわ……。はい、これ。面白い創作だった」
光道の白くて綺麗な手の平からUSBメモリーを受け取った俺は「じゃあ明日学校で」と最後に一言残し、光道家を立ち去った。
○
「霧白君。今まで白紗季と遊んでくれてありがとうね」
「うん……白ちゃんのお母さん。ところで……白ちゃんは?」
「それがね……霧白君とのお別れの日なのに、白紗季ったら自分の部屋から出てこないのよ~。あっ! よかったら見てきてくれるかな?」
「わかった‼」
意気込んで二階にある白ちゃんの部屋に駆け込んだ俺。一応他人の家ではあるけれど、何度となく訪問した勝手知ったる家ということもあって、迷うことなく目的地までたどり着く。
「し~ら~ちゃん! 出てきてよ!」
コンコン扉をノック。
!!!!
すると、突然開け放たれる扉。にゅっと細い腕が伸びてきたと思うや、ビックリしている俺のことを掴みあっという間に室内に引きずり込んでいく。
「し、白ちゃん!」
バタンッ、俺が部屋に入るや即座に扉は閉ざされた。
「龍太。行っちゃダメ」
「え……ええぇ! む、無理だよそんなの! 父さんも母さんも行っちゃうし……」
「だったらここで……私の部屋で一緒に暮らせばいいよ」
「そんなわけにいかないって……大丈夫。また絶対会えるよ!」
「嘘! 絶対、龍太私のこと忘れちゃうし……。龍太は『パソコン』持ってないから連絡も取れないし」
「ぱ……『ぱそこん』? …………どんな味のパンなの?」
「食べ物じゃないよ! 何か調べものをしたり、計算したり、メールのやり取りが、出来る機械のこと! これっ」
白ちゃんはビシビシと『パソコン』を指さす。
「ああ! これか! そう言えば前から〝何かあるな〟……とは思ってたんだよねぇ。へえ、すごいなぁ白ちゃん。もうこんなもの買ってもらえ――」
しかし、俺の言葉は途中で彼女の必死な声に遮られてしまう。
「とにかく! 龍太は私から離れちゃダメ」
俺は眉間にしわを寄せ、うーんと唸りながら部屋を見回す。そして、机の上に鉛筆が転がってるのを発見するやアイデアが閃いた。
「あっ、そうだ! 手紙! 手紙を書くよ。それならいいでしょう!」
「手紙?」
「そう手紙! 何か困ったりしたことがあったら手紙を送って! 俺、白ちゃんのこと助けに来るからさ」
「……そんなのウソ。すぐに来れない距離って聞いてる」
俺は心外だとばかりに表情をむっとさせると、自分の瞳にめいっぱいの思いを詰め込んで答える。
「本当に本当だよ! 確かに……すぐには来れないけど……で、でも絶対また来るから!」
俺の語気の強さに意表を突かれたのか、キョトンとした目つきでしばし唖然とする白ちゃん。それから、恐る恐るという具合に口を開く。
「…………本当?」
「もちろん!」
大仰に頷いてみせる俺。しばらく黙り込んだ白ちゃんはそれから。
「わ……私も、龍太が困ったら絶対、絶対絶対絶対ぜったぁーい助けるから! 何かあったら手紙書い……て……ぐすっ……」
「ああ、泣かないでよ白ちゃん……」
めったに泣くことのない白ちゃんが泣き出してしまった。
この後、白ちゃんが泣き止むまで多くの時間を要したのである……。




