2 いじめる?
これはフィクションなので、当然こんな学校はあり得ませんよ。
天の助けの様な澄人の登場に、皆の視線が扉の方へと向かう。
そこには穏やかに微笑んでいる澄人と、どこかクラスメイトを見下すような眼差しで見つめている華憐が立っていた。
「誠、変に説明するより、新達の時みたいに実際見て貰った方が良いと思う。」
澄人は静かにそう言って、恭しく華憐の手をとり、教室の中へと誘導してくる。そして、教室の中に入って来た華憐を、今度は誠がお姫様でも扱う様に、優しく丁寧に教壇へと誘導していった。
当然の様な表情で、彼らの行動を受け入れている華憐。その様子から、これが彼らの日常なのだと言う事がよく解る。
華憐を教壇へ立たせた後、誠は速やかに教室の後ろへと移動し、室内を見渡している。
「華憐、皆に挨拶して」
誠が移動し終わるのを待って、澄人が華憐に挨拶をするよう促した。そんな澄人の瞳には、どこか悪戯っ子のようなきらめきが見てとれるのだが、クラスの皆は、華憐が発するであろう言葉に集中しているので、誰も気付かない。
華憐は、どこか見下すような視線をクラスメイトに向け、制服のスカートを摘まんで少し膝を曲げた。
「ごきげんよう、皆さま。わたくしの事をご存知の方ばかりでしょうが、一応挨拶いたしますわね。……御崎 華憐と申します。これから3年間、仲良くしてあげても……よろしくてよ?」
何とも上から目線で、高飛車な挨拶。
『友好』なんて言葉、彼女の辞書には無いのだろうか……。
誰もが思わず、不快さに顔を歪めてしまったその時、教室の後ろにいる誠が大きな溜息を吐いた。
自分たちの表情を見られてしまったのかと、皆が顔を青ざめさせ、背中には多量の冷や汗が流れる。
俺達の力で簡単に黙らせる事が出来る家を選んだ。
先ほど言われた、脅し文句が頭の中でリフレインしている……。
怖すぎて後ろなんて見れない。
華憐を見ることもできなくて、全員が顔を伏せ、誰も前を見ていない。
まずい。
どうしよう。
この二言が頭の中を占める。その時、誠から信じられない言葉が飛び出した。
「おい華憐。お前は、挨拶もマトモにできないのか?」
その声音には、嫌悪感さえ含まれている様に感じた。
え?
至極当然の指摘なのだが、先程の誠の恫喝を聴いている者たちにとっては、その言葉は信じられないものだった。
驚いて、思わず顔を上げると、更に信じられないものが視界に飛び込んでくる。
先程までは“高飛車”“高慢”と表現されるような表情をしていた華憐。
なのに今は、情けなく眉が下がり始め、瞳がウルウルしているのだ。身体をもプルプルと震わせるその様は、まるで別人の様にしか見えない。
誰だ、これは?
御崎 華憐は何処に消えた!?
目の前の光景が信じられなくて、皆が混乱している。
誰ひとり、この現状の理解が出来ないのだ。
この小動物の様な少女が、御崎 華憐である事は解っている。しかし、脳が理解する事を拒否している。
そんな彼らを放置して、華憐は、さらに小動物の様な仕草で首を傾げた。
そしてその状態で、何か言葉を発しようとしている。
「い……」
い?
皆が、華憐の言葉を待ち、食い入る様に見つめている。
一体、彼女は何を言おうとしているというのか?
「いじめる?」
「「「「「いじめない(ねぇ)よっ!」」」」」
!!!!!!??????
なに、このシマリ○君!?
それがクラス全体としての、可憐への感想だった。
そして、華憐の発した言葉にも驚いたが、慣れた様に生徒会の皆が、そろって突っ込みを入れた事にも驚いた。その様子は、日常の一コマの様に見える。
彼らはこのやり取りに、慣れきっているのだ。
そして皆がさらに驚いたのは……。
「華憐、さっきの俺の言葉は演技だからな? ホントは、あんな風になんて、全く思ってないからな? 華憐は俺達との約束をちゃんと守って、上手に挨拶出来てたぞ!」
「ホント? 誠君、華憐の事嫌いになってない?」
「俺が華憐を嫌いになる筈ないだろ? 華憐はずーっと、俺のお姫様なんだから、な? 大好きに決まってるだろ!?」
「じゃあ、いじめない?」
「当たり前だ! もし華憐を苛める奴がいたら、俺が社会的に葬ってやる!!」
慌てた様に華憐に駆け寄り、子供抱っこで抱きあげて背中を撫で擦りながら、必死で機嫌を取っている誠。
その表情はドロドロに甘く、「俺は華憐を溺愛してます!」と大きく顔に書いてあるようだった。
その様は、“イケメンで優秀、パーフェクトな男”と評判の彼からは、想像もつかないもので……。
ポンコツだ。
この人は、残念なポンコツ男だ。
瞬時に、クラス全員がそう判断した。
そして、このポンコツは、『華憐の為なら平気で後ろ暗い事にも手を染めるだろう』と言う事に思い至った。
これで解った。さっきの恫喝は、脅しでもなんでもなく、ポンコツ男の本音なのだろう。
きっと生徒会長になったのも、華憐の為。通常なら考えられない、いち生徒がクラス編成に口を出すなど、どれだけ力技を使ったのだろうか?
この男の行動の全てはきっと、華憐の為だけのものなのであろう。
他の生徒会メンバーは、一体この光景をどんな顔で見ているのだろうか?
チラリと周囲を見渡してみると、澄人以外は皆、微笑ましい物を見る様な表情をしていた。澄人に至っては、誠と同じようなデレデレした顔で、頷いている。
どうやら、彼と誠の意見は同じらしい。
そして彼らの様子から、生徒会は誠の意志を認めて、支持しているのだと言う事が解った。
クラスの皆は誰も、毒気が抜けた様な放心した表情で、ボンヤリと誠と華憐を見ていた。
華憐のこの変化は、一体何なのだろうか?
自分たちの知っている華憐は、こんな“へんにゃりポヤポヤ”な小動物では、決して無かった。
The悪役令嬢という華憐しか、自分達は知らない。
一体、華憐に何があったというのだろう……?
でも今の華憐は、自分たちから見ても可愛いと思った。
高飛車なお嬢様が、ちょっときつい言葉を掛けられただけで、シマ○ス君になるとか……。
凄いギャップ萌えだ。
そういう趣味の人間なら、とても嗜虐心が擽られるだろう。ノーマルな人間なら、強く保護欲が掻きたれられる。そして小動物好きな人間なら、一発ノックアウトだ。
今の華憐を見ているだけで、ついつい頬が緩んでくる……。
気が付けば、クラス全員が華憐をデレデレと緩んだ表情で見つめていた。
きっともう、このクラスのメンバーは全員、華憐にメロメロになってしまったのだろう。
しかし華憐は、皆がニコニコと自分を見つめている事に気付くと、怯えた様に誠にしがみついた。
誠はそんな華憐を、デレデレとした表情で見つめながら、何事かを耳元で囁いている。
そして、その言葉を聞いた華憐は小さく頷くと、恐る恐るといった様子で皆の方を向いた。
クラスメイトを見つめる華憐の瞳はウルウルしていて、眉も下がっている。そうして、プルプル震えながら、小さく首を傾げて一言。
「いじめる?」
気が付くと彼らは、声をそろえて突っ込んでいた。
「いじめない(ねぇ)よっ!」×28
生徒会メンバーの気持ちが、今、理解出来た。
誰もがそう思った。
これは、声も揃う筈だ。
このやり取りは、きっとクセになる。
華憐は、クラスメイトの返事を聞いて嬉しそうに笑った。
そして、へんにゃりポヤポヤの笑顔を惜しげもなく晒して
「じゃあ、3年間、華憐と仲良くしてくれる?」
と、きいてくる。
クラスメイト達の返事は、当然決まっていた。
「もちろん!」×28
ここで終わっても良いぐらいですが、まだ続いてしまいます。