1 噂の彼女
御崎 華憐は本日、星陵学園へ入学する。
彼女は元々この学園の初等部に通っていたのだが、ある問題で中学は外部の公立中学校へ入学した。3年間、殆ど登校する事は無かったが……。
彼女を一目見て抱く印象は、『きつめの美少女』。釣り目がちな瞳と、勝気な眉、プックリとした唇、肩甲骨辺りまで伸びた髪は、毛先がクルクルと巻かれている。その全てが彼女を“高飛車”だと思わせていた。さらに、第二次性徴や成長期を感じさせない、146cmと小さく華奢な身体が、彼女を“我儘な子供”と印象付けてしまう。
実際、初等部の頃の彼女を知っている者たちは、彼女の性格を“高飛車で我儘で高慢”と評価している。
そして、彼女が外部の中学校へ行く事になった理由も、この性格のせいだった。その事を知っている者は、殆どいないのだが。
3年ぶりに彼女を見たかつての同級生達は、変化を見いだせない彼女の容姿に、当時を思い出して戦慄した。
幼い頃の彼女は、それはそれは暴君であった。下手に学力があり、家の力も強い彼女は、かなり好き放題していたのだ。
また、あの日々が始まるのか?
誰もがそう思い。
いや、今年の生徒会なら彼女の暴走を許す事は無いだろう。
と希望を抱いた。
しかし、次の瞬間には絶望を感じる。
何故なら、生徒会の副会長は彼女の兄であり、更には、つい先日の彼女の誕生日パーティーで、生徒会長である龍崎 誠と華憐の婚約が発表されたからだ。
例え彼らが、華憐の暴走を止める為に働いてくれたとしても、止め切れなかった暴走はきっと、黙殺される。
身内を断罪したり、学園から追放する事なんてまずないだろう。
だから華憐の昔を知る彼らは、極力彼女に関わらない事に決めた。
身に振る火の粉を払う事が出来ないなら、火の粉が掛らない場所へ行くしかない。
この学園では、学年ごとのクラス替えがない。
だから、このクラス分けさえ乗り切れば、安泰で穏やかな学園生活が送れるのだ。逆を言えば、もし同じクラスになってしまえば、火の粉の只中に飛びこんで3年間をすごさなければならない。
どうか別のクラスになります様に!
華憐を知る新入生皆が、そう願いながらクラス分けを確認しに行き、ある者は小さくガッツポーズを決め、ある者達は己の不運を嘆いて抱きあった。
悲喜交々(ひきこもごも)の囁きが聞こえる中、その年の入学式は始まった。
新入生代表の挨拶は、話題の彼女、御崎 華憐が務めたのだが、相変わらずな彼女の美少女ぶりはともかくとして、生徒会メンバーの彼女を見つめる目付きが気になった。
どいつもこいつも、彼女を見つめる瞳が優しい気がするのだ。
まさか彼女は、この3年間で魔性の女となり、彼らはその魔性の虜になっているのでは!?
恐ろしい想像をして、改めて彼女を見てみると、何だか魔性の女のオーラが見える気がするから不思議だ。
不幸にも、彼女と同じクラスになってしまった者達は、『自分もあの魔性の餌食になったらどうしよう』と不安を感じたと言う。
その予想は、正に的中してしまうのだが……。それはまだ、後のお話。
入学式が終わればクラス毎に別れて、親睦会が行われる事になっている。その為、皆速やかに自分のクラスへと向かっていた。
今年のクラス構成は、各クラス大体30名程で、一年は5クラスある。華憐のクラスは、1年A組。クラスの人数は、女子13名、男子16名だ。
Aクラスの諸君達も、重い足を引きずり自分のクラスにやって来たわけだが、その教室にいる人数は28名+教師一名。
憂鬱の元凶である彼女の姿が、無い。
新入生代表挨拶を務めた彼女には、まだ仕事があるのだろうと、皆は少しホッとした気分で黒板に書かれてある席へと着いた。
ここでも多少の阿鼻叫喚が有ったのだが、華憐の席が教卓の真ん前だった事で、皆が胸を撫で下ろした。
コレは学園側の配慮なのだろうと、皆が教壇に立つ教師ーー担任を尊敬の眼差しで見つめている。
そんな若者達からの眼差しを一身に受けた担任ーー吉川 辰彦32歳、独身、彼女募集中❤️ーーは、苦笑を浮かべて見渡した。
皆の今の心境が、彼には痛いほどに解る。そして、今から話される内容でどの様に変化するのかさえも、手に取るように想像できた。
しかし彼は、伝えなければならない。今から3年間の穏やかなクラス運営の為に……。
「えー。この場に御崎 華憐がいない訳だが……。彼女が来る前に、お前達に伝えておかなければならないことがあるんだ」
勿体ぶって話し始めた吉川に、クラス中が騒めく。
一体、今からどんな事を告げられるのか……。
あまり良い予感がしないのは、果たして気のせいなんだろうか?
「御崎に関して、お前達には誓約してもらう事がある」
誓、約?
一体どういう事だ? 俺たち(私たち)は、彼女に忠誠でも誓わせられるのだろうか?
彼らの緊張が、MAXにまで張りつめられていく。この男が、次に何を言うのか。その言葉を聞き逃すまいと、教室の中は水を打ったように静まり返っている。息遣いさえも、うるさく感じる様な静けさだ。
ガラガラガラ
そんな静寂をあざ笑うかの様に聞こえてきたのは、教室の前の扉が開く音だった。
クラス中の視線が、咎める様にそこに集まる。
しかし、そんな非難の眼差しなど全く気にする様子もなく、彼ら四人は教室へと入ってきた。
彼ら四人とはーー御崎 澄人を除く生徒会のメンバー。
何故、彼らがココに?
皆の頭の上に、『?』の幻影が見えるようだ。しかし、担任が教壇を龍崎 誠に譲り、その後ろに控えるように天前寺 新が立つ。さらに、観道 海斗と陸斗が其々教室の前と後ろの扉を塞ぐように立った時点で、再び痛いほどの緊張に包まれた。
先程の担任の話。その件について話す為、彼らはやって来たのだろう。
一体彼らは何を言い出すのだろうか?
誠は、178cmのスレンダーな身体を軽く教壇に預けて立ち、優美な視線をクラス中に巡らせる。
そんな彼を見て皆はドキドキと高鳴る心臓の音に、「はっ! これが、恋!?」なんて現実逃避をしてしまう。それでも教壇に立つ誠からは視線を外さずに、彼の唇から紡がれる言葉を今か今かと待つ。
「まず、今年のクラス編成には俺達が関わっている。なにか問題が起こった時に、俺達の力で簡単に黙らせる事が出来る家を選んで、このクラスを創った」
「!!!!!!」×28
いきなりの爆弾発言に、息の根が止まる。
クラス編成に関わったってどういう事だろうか?
「俺達の力で簡単に黙らせる事が出来る家を選んだ」って、自分達は一体何をされるんだ?
誠の言ってる事が良く解らない。いや、言葉自体は解るが、内容が理解できないのだ。
なのに誠は、オロオロしている彼らにさらに追い打ちをかけてくる。
「これから3年間、このクラスで知る事になる御崎 華憐の情報を、絶対に外部に漏らすな。もし漏らしたら、制裁があると思え。……それから、華憐に害を与えたりした場合……」
ここで、誠の視線が鋭さを増した。そのまま舐めるように教室中を見渡し
「生れて来た事を後悔させてやるから、そのつもりでいろ」
静かに恫喝した。
怖い。真剣に怖い。
何故、自分達はこの男に恫喝されているのか?
その理由が全く解らない。
やはり、生徒会は華憐の魔性に魅了されているのだろうか?
皆の疑問と緊張、恐怖が極限に高まって来る。誠の意図が解らない事が、さらに皆の不安を煽るのだ。
「誠、それじゃあ皆、何の話なのか解らなくて困ってしまうぞ?」
パンパンに膨らんだ風船が「何時割れるのか?」というような緊張感に満ちた空気を破ったのは、ガラガラガラという扉を開ける音と共に聞こえて来た、澄人の静かで穏やかな声だった。