その8
「はあ」
隊長室を出てからのハールはため息の連続だ。
賭けに勝ち、隊長から金貨をせしめたまではよかったがあとが悪い。つい調子に乗って大口を叩いたら、ノルンの教育係を任されてしまった。自分の蒔いた種だから仕方がないと諦めて、ノルンを従えて部隊を案内する。
最初に寄ったのは武具屋で、開けっ広げの入り口をハールが覗いて大声で呼んだ。
「おい、じいさん!!」
間もなく店の奥から現れたのは小柄な老人だった。禿げた頭に辛うじて残っているものは白髪である。
「大声出さんでも聞こえとるわ!!」と、これまた大声で怒鳴った。
「うちの武具屋のガルーラじいさんだ。口が悪くてがめついが腕はぴか一だ」
「褒めてもツケは帳消しにせんぞ」
悪態をつくガルーラに、「ほらな」とハールは肩を竦める。見上げたガルーラはノルンに手を差し出した。
「お前の得物を見せてみろ」
「あ、はい」
ノルンは肩に掛けていた弓を下ろして手渡すと、彼はしばし真剣な表情でそれを見つめている。上下にしたり弦をなぞって軽く弾くその姿は、ノルンのそれを手入れするヘイムダムを彷彿させた。一切の妥協を許さない騎士と職人の鋭く厳しい眼差し。
「名は?」
弓から目を離さずガルーラが尋ねた。
「ノルンです」
それだけ言葉を交わすと、今度はノルンを観察し始めた。
「おい、ハール。まだこいつは戦に出んのか?」
「ああ。当分下働きだ」
「だったらこれを置いていけ。弽もだ」
「じいさん、さっそく商売か? 相変わらずがめついな」
一喝するガルーラの睨みに、ハールは引きつり笑いで誤魔化す。
「今回だけタダで直してやる」
「おいおい、可愛い孫みたいなやつには優しんだな。俺達の時はしっかり金取ったくせに」
ハールが口を尖らして文句を言うと、「ふん」と鼻を鳴らしてまた店の奥へ行ってしまった。ハールが顎をしゃくって次の場所へと促す。
「ちぇっ。お前といい隊長といい、顔のいい奴は得だ」
「ぼくはそんな」
「俺らと毛並が違うって感じだよな。せいぜい襲われないように気を付けろよ」
俗世間に疎いノルンは、彼の言葉が理解できずにいた。
- 襲われるってこんな所にも盗賊が来るのか。大変な所だな。
などと、勘違いしたまま肝に銘じた。
武具屋を離れてしばらく歩くと、食欲をそそる匂いが風に乗ってノルン達の鼻に届いた。視界に入ってきた食堂は、夕食の準備に向けて女たちが忙しく働いている。
「ここが食堂だ。ここの女将も口は悪いが料理は天下一だ」
「ちょっと聞こえてるよ」
ノルンが振り向くと、大柄な中年の女が大きな杓子片手にやって来た。女性にしては太い声なのは体格がいいからだろうか。
「あんたも減らず口ばかり叩いてないで、さっさと仕事しな」
「これが俺の仕事なんだよ」
ハールがノルンを前に突き出すと、ここでもまたじろじろと観察された。
「へえ。これまた随分綺麗な子が来たもんだ。隊長の趣味かい?」
「かもな」
二人が意味深な笑いを交わすが、ノルンはきょとんとしている。
「私は食堂を任されているリドだよ。あんたと同じくらいの娘がいるから仲良くしてやっておくれ」
「こちらこそよろしくお願いします」
リドの分厚い手がノルンの白い手を包み込んだ。
「おや、せっかくの綺麗な手があかぎれで台無しだね」
そう言ってリドはエプロンのポケットから軟膏を取り出すと、ノルンの指先と手の甲にすりつける。まるで母親がする仕草に、ノルンの胸がじんわり熱くなった。
「これを持っておいき。ここの仕事は手が荒れるからね」
リドが器用にウインクをしてみせたので、ノルンは軟膏を受け取りショルダーバッグに押し込んだ。初対面なのに、昔から知っていたかのような気さくさである。
礼を述べると、リドが大きな口を開けて笑った。ノルンばかり贔屓にされてハールがぼやいていると、リドが小さな紙袋を胸に押しつける。ほのかに温かく肉の匂いがしたので、彼の口元が緩んだ。
「お役目ご苦労さん。これでも食べて機嫌直しな」
「役得ってやつだな。へへ、頂き」
「ノルンにも分けておやり」
「ちぇっ。またノルンかよ」
せっかく直ったハールの機嫌がまた斜めになる。ノルンはというと、次々と個性の強い人と出会い気後れした。
無理もない。ノルンのいた村はよそからの出入りはほとんどなく、毎日同じ顔を突き合わせて暮らしていたのだ。変哲のない日々が続き、怯える悪事もなければ刺激もない。
だが、ここは小一時間だけでかなり面白い。
「ま、この二つを知ってりゃ当分は困らんだろうよ」
「ありがとうございます」
「なあ、ここでは敬語は無用だ。聞いてたら体がむずがゆくなる」
リドの差し入れを頬張りながらハールが言った。嫌々引き受けた割には丁寧に教えてくれた彼に感謝する。
「俺は軍服を取ってくるから、お前は先に宿舎に戻れ」
ノルンは頷いて、これから自分の家となる宿舎へ向かった。突き当りの奥の部屋ということで行ってみると、最初に出会った長身の男が軍服に着替えていた。
「今日から入隊したノルンだけど、ぼくのベッドは……」
男の視線を辿ると、真新しいシーツがベッドの上に畳んである。
「ありがとう」と言うと、男は高い位置から一瞥しただけで、沈黙のまま上着に袖を通した。感情を失くしたかのような無表情である。無理に笑えとは言わないが、せめてしゃべってほしい。これまで出会った人々が賑やかだっただけに、物足りないというより感じが悪い。
彼を横目で見ながら、ノルンはベッドの傍にある棚に荷物を入れていると
「よお、ケルムト。戻ってたのか」
ハールが部屋へ入って来ても、ケルトムと呼ばれた男は無言で出て行ってしまった。彼に対しても同じ態度だったので、どうやらこれが男の素らしい。ハールも慣れている様子で文句もこぼさず、小脇に抱えた軍服をベッドの上に広げた。
「これがお前の軍服な。ちとデカいけど体の方を合わせろ」
確かに少しサイズが大きい。彼と部隊を歩き回ったときに、隊員達とすれ違ったが体格がいいから仕方がない。フォルセティやハールは線が細いといってもそこは男だ。女のノルンとは骨格からして違う。
ユミルがいたら補正してくれるのだが、それも叶わない。
深いため息をついたノルンを、ハールが小突く。
「いいから早く着替えろ」
「え? ここで?」
ハールの一言で、ノルンの表情が凍りついた。そして、エルデイルとの会話が蘇る。
《男達と寝食共にするからいろいろと不安よねえ。着替えやお風呂も一緒だし》
- ああ、忘れてた。どうしよう……。
ちらっとハールを見ると「早くしろ」と目で訴えていた。上着はかろうじて脱げるが、ズボンはどう考えても無理だ。
「あ、あの、部屋の外で待っててくれないかな?」
「男同士なんだから気にするな」
「男でも見られたら着替えにくいんだ」
「ったく、どこまでもお上品なやつだな。早くしろよ、どやされるのは俺なんだからさ」
ノルンの優美な容姿から、裕福な家柄のご子息でさぞ大切に育てられたに違いない。ハールがぶつぶつとぼやきながら部屋を出たので、ノルンは急いで着替えた。