その7 ―志願―
翌朝、ノルンは期待と不安で胸がいっぱいだったせいか熟睡できず、寝不足の両頬をパンと叩いて目を醒ました。
「おはよう、ノルン。昨夜はよく眠れた?」
エルデイルが爽やかな笑顔で挨拶する。こちらはぐっすりと眠れたようだ。
「なんだか緊張して寝付けませんでした」
「男達と寝食共にするからいろいろと不安よねえ。着替えやお風呂も一緒だし」
「え?」
ノルンが固まった。それを見てエルデイルも固まった。
「一人部屋じゃないんですか……?」
「なに言ってんの。個室は隊長だけで、あとは数人で一つの部屋よ」
「えーっ!! それはまずいです!!」
青ざめた顔で狼狽えるノルンに、エルデイルは呆れるやら感心するやら。新天地に飛びこむというのに、なんの情報も仕入れず文字通り裸一貫でやってきたらしい。その無鉄砲さが今後どう転ぶか、エルデイルは意地悪い考えが浮かんだ。
「だったら辞める?」
「それはできません。エルデイルさんのお陰でここまで来れたのに」
短絡的だが責任感が強い、予想を反しない返事にエルデイルがニコッと笑う。
「何かあったら私を頼りなさい。いいわね?」
彼女が味方してくれるならこんなに頼もしいことはない。隊長のフォルセティとは長い付き合いらしいが、どんな関係なのかは興味がないので訊かなかった。
エルデイルの案内で、いよいよ国境騎馬隊の部隊へと向かう。この町は今日も穏やかだ。国境を破って盗賊たちが襲ってくるらしいが、予想に反して市場を中心に賑わい行き交う人々に恐怖の色は見られない。「きっと騎馬隊の存在が大きいのね」とエルデイルが言うと、同感だとノルンが頷いた。
「ほら、ノルンの先輩達よ」
顎をしゃくった方向には紫紺の軍服に白いマフラーを付けた男達が歩いている。昨夜は気付かなかったが、上着の長さがフォルセティより短い。
「隊長のと違う」
「コートの丈で区別できるようになっているの。隊長クラスはロングコートね」
ノルン達を隊員が一瞥していった。罪人が集まるという噂に恐ろしい顔かと思いきや、意外と普通でもう一人はかなりの長身で無表情だ
エルデイルが隊員の一人に話し掛けて、やがてノルンを手招きする。
「この人達についていって。私は薬を調達してから来るから」
「あとでね」と言ってエルデイルは市場の方へ消えていった。残されたノルンは隊員を向き合い会釈をする。
「ノルンです。よろしくお願いします」
「へえ。今度の新入りはやけに美形だな」
隊員が品定めをする目で見るので、ノルンは不愉快でたまらなかったがぐっと堪えた。またここで騒いで採用を取り消されたら元も子もない。
ついて来いと言われて、彼等を追い掛けた先には二頭の馬がいた。
「そういえばお前、馬はどうした?」
「……いません」
- やっぱり、無理してでも馬を買えばよかった。
『騎馬隊』と名がつく以上は馬が不可欠だが、金がなくてそれすら準備できなかった悔しさにノルンは唇を噛んだ。
だが、彼は「いないなら仕方がない」とあっさり受け流して、一緒に乗るよう促した。ノルンが立ち竦んでいると「早く乗れ」と怒鳴られて急いで後ろに乗る。
「慣れているんだな」
「馬の世話をしていたから」
「ふうん。振り下ろされるなよ」
いきなり走り出した荒い乗り方に、ノルンは落ちそうになるのを隊員の服を掴んで必死に耐えた。
- 下手くそだな!!
乗馬は王族のたしなみであり、馬の世話で気性の荒い馬も扱ってきたがこれは乗り手に問題がある。オレンジ色の短髪を靡かせるこの青年は、恐らく我流で乗っているに違いない。ノルンが横を見やるとあの長身の男が隣に並んだ。一定のリズムで馬を駆る様子は無表情とよく合っている。あちらに乗ればよかったと舌を噛みそうになるたびに後悔した。
「おい、着いたぞ」
背筋を伸ばして隊員の肩越しに見えたのは、数棟並ぶレンガ造りの平屋だった。そこが隊員達の宿舎で、少し離れた場所に馬小屋と広場がある。
「おい、ハール。敷地に女を連れ込むのはご法度だぞ」
「バーカ、よく見ろ。こいつは男だ」
ノルンを乗せた青年がハールで、仲間たちの軽口にこれまた軽い口調で反論した。
「おい、さっさと下りろ。隊長の所へ行くぞ」
「フォルセティって人?」
「ああ。お前も呼び名くらい聞いたことあるだろ?」
ハールが歩き出したのでノルンもついていく。
「そんなすごい人には見えないけど」
「実は二刀流の使い手って噂だ。もう片方の剣を抜かせようと盗賊たちも躍起になってる」
「誰も見ていないの?」
「ああ」
「だったら、どうして二刀流だと分かるんだ?」
「へ? 隊長の剣が二本あるからさ」
「予備かもしれないし」
「……」
痛い所を衝かれてハールを言葉に詰まった。事実、ハールも彼の元に来て数年経つが今まで二本の剣を手にしたのは見たことがない。本人に尋ねても曖昧に誤魔化されてお終いだった。
「とにかく、隊長を怒らせるな。いいな」
ハールが荒々しく吐き捨てて頭を小突くので、「痛いな」とノルンは頭をさすった。
隊長室は宿舎とは別の棟にある。なるほどエルデイルが言った通り、小さな家のようで別格の待遇だ。
ハールは木製のドアをノックすると、中から「入れ」と声が聞こえた。
「隊長、新入りを連れてきました」
机に座ったフォルセティがペンを置いた。彼が背にしている大きな窓のせいで逆光となり、ノルンは目を細めて凝視する。
黒髪に狼眼、昨夜の青年は間違いなく隊長だった。
「エルデイルはどうした?」
「後から来るそうです。取り敢えずこいつを先に連れてきました」
ハールが「挨拶しろ」と目配せしたので、ノルンが頭を下げた。
「ノルンです。ご期待に添うよう頑張ります」
「いい心掛けだ」
フォルセティが文章が書かれた一枚の紙とペンを渡した。契約書に自筆のサインをしろと言われて、ノルンは久しぶりに名前を書いた気がした。書き終えて差し出すと、「きれいな字だ」と彼が呟く。
「ところで、ここの募集は何で知った?」
「張り紙を見ました」
ノルンが斜め掛けにしたショルダーバッグから貼り紙を取り出すと、後ろから「バチン」と指を鳴らす音がした。
「こいつで十人目ってことは俺の勝ちですかね?」
ハールがしたり顔で言うと、フォルセティは大きなため息をつく。「くそっ」とぼやいて銀貨を指ではじくと、放物線を描いてハールの手に納まった。
「あんな貼り紙に引っ掛かりやがって」
悪態をつくフォルセティに、事情が飲みこめないノルンはきょとんとしている。
実はこの二人、賭けをしていた。
毎回、人員の補充に頭を悩ますフォルセティにハールがある提案をした。彼は口八丁手八丁が災いして、詐欺師が天職とばかりに罪を重ねていた。現在は更生しているが、その才能を生かして自分が貼り紙を作り、それを見て集まったら褒美をくれという。
紙切れ一枚で人が集まればこんな苦労はしない。最初は相手にしなかったが、あまりにも自信満々の部下の態度が癪に障ったので賭けに乗ったのだ。
「へへ、毎度。ご用命がございましたら、ぜひこの私めに」
ハールは嬉しそうに上着のポケットに仕舞うと、わざとらしく敬礼をしてみせた。