その61
ながらくお待たせしました。ようやく更新です。
狼の化身のごとく、しなやかだが荒々しく獲物に食らいつく。沢に轟く蹄の音に、ノルンは安堵の色を浮かべた。
「ハール!! ケルムト!!」
「ノルン、無事か!?」
笛の音を聞きつけて、ハール達と森の管轄であるアルクルやイズン達が援護に駆けつけた。
「坊や、生きてるか!?」
「おう!!」
「はい!!」
呼び掛けにノルンとフォルセティが同時に答えたので、アルクルは大声で笑い出した。
「二人とも、坊やの自覚があるようだな」
憮然とするフォルセティを見て、ノルンはほっとする。狼のように獲物を容赦なく襲う姿に恐怖を感じていたからだ。今の彼は勇ましく心強い。だが、このまま戦い続けたら血に飢えた獣と化し人間に戻らなくなるのではないか、そんな錯覚を覚えるほど鬼気迫るものだった。
「まだ終わっちゃいないぞ。油断するな」
アルクルの言葉通り、敵味方入り雑じり一進一退の攻防で混沌とした。場数を踏んだ者同士、無傷ではいられるほど甘くはない。制服と露出している肌は刀傷で血が滲んでいる。仲間を信じ連係を取り合うフォルセティ達がじりじりと戦況を圧するさまに、ダーインの焦りはじりじりと増していった。
反乱を起こしたあの日、自分を蔑んだ王を闇に葬った。あの男が人々から崇められる裏で、ダーインは誰からも賞賛されない任務を全うしてきた。拝謁する度に向けられる憐憫の目が自尊心を深く傷付けた。
その気質は正統な王家であるノルンに根付いているに違いない。生かしておけば、子を産み新たな驚異となる。復讐という火種がこの身を焼き尽くす前に始末すればいいだけだ。細い首をへし折ってくれようか、それともなぶり殺してくれようか。所詮は誰かの庇護なしに生きられないひ弱な存在だ。逃げ失せても放っておけばどこかで野垂れ死んでいるはずだったのに、また目の前に立ち塞がる。
「お前達はどこまで私の邪魔をする気だ!!」
ダーインは、ノルンの間合いに入り剣を繰り出した。ノルンは寸前で受け止めたが、見かけより重い衝撃に腕が痺れる。
― こんなの、ケルムトに比べたら!!
仲間との訓練と重ねて自身を奮い立たせたが、感覚が戻らない腕をダーインは見逃さず、剣を擦り上げてはね飛ばした。丸腰になったノルンは、自身の弓で一太刀を受け止める。見覚えのある弓に、ダーインが目を見開いた。
「それはナムの弓か!?」
ナムの木は、ノルン達の国で自生しているしななかかつ丈夫なので武具の材料として重宝されている。セイムダムが自身の弓をノルンに授けて、生きていくために弓術を教えた。
どこまでも自分の行く手を阻むノルン達の絆に、ダーインは底知れぬ畏怖と怒りが込み上げる。それまで冷静だったダーインの剣筋が荒々しくなり、弓で凌げなくなったノルンは退いた時足を取られて転んだ。
「もう終わりにしましょう。ノルン王女」
勝利を確信したダーインが不気味に笑った。目が血走り正気を失った顔に、死の恐怖がノルンの頭をよぎる。それを打ち消したのはフォルセティだった。
「立て、ノルン!!」
ダーインが横っ飛びで交わした隙を見て、フォルセティが剣をノルンに渡した。ずっしりと重く血まみれの剣だが、手にした瞬間精根尽きているのに力が湧いてくる。フォルセティを護り支えてきた時間が身体中に流れ込む。今まで知り得なかった感覚に戸惑っているとフォルセティが叫んだ。
「お前の手で終わらせろ!!」
ノルンは弾かれたように立ち上がり渡された剣をぐっと掴んだ。と同時に、フォルセティがダーインの肩を斬りつけた。実力の差は歴然でもせめて一矢報いるために突進する。血にまみれた父を目の前にして、立ち尽くす一年前の自分と違う。国境騎馬隊で、仲間と共に過ごした時間はノルンの糧となり力になった。なにより今はフォルセティがいる。
「ぐおっ」
ダーインの胸を一思いに貫くと、胸から噴き出す血しぶきがノルンを深紅に染めた。自身の血溜まりの中で絶命するダーインに、ノルンはなんの感情も見出だせないでいた。この者を殺しても父親が生き返らない。ダーイン一人討ったところで家族の無念は消せない。しかし、討たずにはいられない矛盾を消化するには唐突すぎる出来事だった。
「怪我はないか?」
立ち尽くすノルンにフォルセティが声を掛けると、まだ現実を受け入れられない虚ろな瞳を向けた。美しい顔に飛び散った返り血が過酷な運命を表している。もし王女として産まれなかったらもっと違う人生を送っていたかもしれない。自分達と出会うこともなく普通の娘として幸せに暮らしていかもしれない。すべては結果論でフォルセティは考えるのをやめた。今さら考えたところで進んだ刻は戻せないのだから。
ふわりと包まれる感触に、ノルンは我に返った。フォルセティの温もりでようやく終わったことを実感すると、脱力して剣が手から滑り落ちる。ノルンは彼の胸に顔を埋めて咽び泣いた。涙を人に見せること泣くずっと耐えていたのだろう。
抱き合う二人を、仲間達は黙って見守っていた。状況の詳細はわからないが、ノルンに手を差し伸べられるのはフォルセティしかいないのだと皆が承知していたからだ。
「ミーミルという娘は俺たちが保護した。もうお前達の部隊に着いているだろう」
ノルンが落ち着いた頃合いを見計らって、アルクルが報告した。自分達の判断が間違ってなかったと、ノルン達は安堵する。
「しかし、こいつら何者なんです?」
男達の死体を調べていたイズンが首を傾げる。身元を証明する物は一切所持していない。第一、これだけの数がどうやってここに潜り込めたか謎である。一昔前なら国境騎馬隊の怠慢とも言えるが、フォルセティが隊長になった現在あり得ない。しかもここは森林保護隊の管轄で、アルクル達の目を盗んで不法を働くのも無理な話だ。
「あの動きは手慣れたものだったが、お前達を狙ったのか?」
アルクルの問いに、ノルンがびくっとした。
「それは……」
フォルセティが手を握ったので、驚いて見上げると彼が目で制した。
「新手の賊かもしれない。俺達は常に恨みを買っているから」
「今回はちょっとやばかったな。アルクルのおっさん達がいなかったらどうなっていたか」
ハールが埃だらけの顔を拭った。幸い味方の死亡者はいなかったが、自分のせいで危険な目に遭わせてノルンの胸が痛む。
「フォルセティ、この件はどっちが報告する?」
「国境騎馬隊でする。これで貸し一つだ」
「馬鹿言え。援護してやったんだぞ」
幸い味方に死者はいなかったものの激闘だったが、恐らくフォルセティはこれ以上追及しないだろう。今回の事件の原因はノルンにあることを、アルクルも薄々感づいていた。どうせ一歩も退く気がないのだから、言い争っても無駄である。アルクルは口の端を上げた。
「滅多に見れん物が拝めて、おれとしては満足だ」
フォルセティの両刀遣いを見た者は同じ感想だが、後にこの場にいた全員が他言しなかった。
森林保護隊が引き揚げて、国境騎馬隊も続いた。フォルセティは列中のノルンと並走した。前を見据えて馬に乗る堂々とした姿に王女たる所以なのだと、フォルセティは強く感じた。




