その60
長らくお待たせしました。ようやく更新します。
フォルセティも同じ気持ちなのか。いつの頃だろう、彼の思いを探るのが怖い。以前は感情をそのままぶつけていたのに、今は素直になれない自分がいる。彼の笑顔で言葉を失うこの感情がなんなのか、無事帰れたらエルデイルに聞いてみたい
「ノルン、帰ったら何がしたい?」
不意の質問に、ノルンはどきっとした。フォルセティに心の内を読まれたかと思ったからだ。
「え、えっと、お風呂に入って寝たいです。隊長は?」
「そうだなあ、俺も風呂に入って酒飲んで寝るかな」
「ぼくと一緒じゃないですか」
「酒を飲むところは違うだろ?」
フォルセティが笑った。声を立てる笑いより、微笑みに近いそれがノルンの胸を熱くした。緊迫した状況でも、彼といると大したことないように思える。味方ならこんなに頼もしい存在なのに、当初はいがみ合ってばかりいたのが不思議だ。このまま二人でいられたら、という願いはフォルセティの険しい表情で叶わなかった。
「来るぞ」
ノルンとフォルセティは素早く立ち上がる。草むらをかき分けて連中が四方から飛び出し、あっという間にとり囲まれた。自分と同じ紋章を付けている証拠を知る必要がある、ノルンは男達に向かって叫んだ。
「お前たちの狙いはぼくか!?」
返答がないことで確信する。
「あまり連中を挑発するな」
フォルセティの忠告を無視して、ノルンは更に問い続けた。
「誰の差し金だ!?」
黒づくめの一人が前に進み出て、顔を隠している布を取った。
「お久しぶりです、ノルン王女」
過去の自分を知っている人物に、ノルンは愕然とした。名前はダーイン、謁見の席では大臣達の列に並んでも不在でも気付かれないほど目立たない。ノルンは、大きな行事に何度か見掛けるだけでかすかに覚えている程度だった。実はこの男、表向きは王に仕える側近で、裏の顔は先祖代々から受け継ぐ暗殺集団の長であることは王族でもごくわずかな人間しか知らない。父の家臣に命を狙われる理由など、ノルンが知る由もない。
「お前がお父様を殺したのか!?」
「抵抗したのでやむを得ず」
ノルンの固く握った拳が怒りで小刻みに震えた。黒づくめの男達は一切手出しせず、ノルン達のやり取りをじっと窺っている。フォルセティも剣を構えながら状況を整理する。
ノルンはぎりぎりと歯を食い縛り、呪い殺さんばかりに睨みつけた。フォルセティは、こんなに激しく逆上する姿にも驚いたが、王女という事実の方が勝った。
恐らく、王である父親が内部抗争で死亡して残された母子が国を追われたのだと推測できる。ノルンの高い教養と優美な容姿から、庶民ではないと察していたがまさか王女とは考えが及ばなかった。
「あなたも死ねば王も寂しくありません。すぐにヘイムダムと王妃もあの世に送って差し上げます。二人一緒にいるので手間が省けるというもの」
ノルンの顔が青ざめる。ダーインは二人の居場所も掴んでいたうえで、自分を殺しに来たのだと。
王を守る立場のダーインとヘイムダムは、認識はあっても言葉は一切交わさなかった。王宮ですれ違っても一瞥すらしない。堂々と己の存在を示せる近衛隊は陽に対して、暗殺集団は陰。互いの実力は認めても決して交わることのない二人だった。
「相変わらず王妃のお守りとは、馬鹿の一つ覚えもここまでくれば立派なものです」
「黙れ!!」
ノルンは一喝した。主を失ってなお忠誠を誓い、母子を支え続ける献身の愛にどれだけ救われたことか。明日でも死ぬかもしれない逃亡生活で、ヘイムダムは生きる術をノルンに授けた。武術の鍛練は厳しく、普段の生活では優しい。父であり兄のような存在だった。だから、母を慕っていると気付いた時は怒りや嫌悪はなく、そっと見守ろうと心の中で決めた。その彼を侮辱されたのだ。ノルンの怒りは収まらない。
「お前なんかヘイムダムの何がわかる!?」
ダーインの眉がを跳ね上げたり、荒々しい口調に変わった。
「あやつがいなければ、私が近衛隊の長となっていたのだ!! 陽の光を浴びて皆を従わせることができた!! 王妃さえも!!」
王がもっとも信頼する家臣の中にヘイムダムは常にいた。華々しい彼の活躍を尻目に、ダーインは誰からも称賛されることなく血で汚れた人生だった。そして、美しい王妃の寵愛さえも一身に受けるヘイムダムが憎かった。大層な名義大分のためではなく、嫉妬という感情だけで父が殺された事実にノルンは愕然とする。
「たったそれだけのために、お父様を殺したのというのか」
「たった、だと? 家の出で人生が決まる世の中で、産まれた時から王族だったお前にはわからないだろうがな」
「確かにそうだな」
今まで黙っていたフォルセティが口を開いた。隣でノルンが目を見開いているのを感じた。ほぼ貴族が占めている近衛隊に平民の彼は歓迎されなかった。おまけに剣の実力は群を抜いていたので、疎まれて居心地が悪い。しばらくして奴隷制定の緩和と引き換えに、悪評高い国境騎馬隊の隊長に就いた経緯がある。だからといって、この境遇を恨んでいない。お陰で、かけがえのない仲間や王女のノルンに出会えたのだから。自分次第で人生なんて創れるものだとフォルセティは信じている。
ー お前もそう思うよな、ノルン。
「だからといって、人を陥れていい道理はない」
「青臭いことを」
これ以上の問答は無用と、ダーインが片手を上げた。黒づくめの男が突進してノルン目掛けて剣を振り上げる。一瞬の出来事に、反応できず立ち尽くすノルンの寸前で、フォルセティの剣が受け止めた。
「ほおう。この者の剣を受け止めるとは、さすが『国境の狼』と言われるだけある」
「俺がいる限り、ノルンに触れさせない」
「威勢はいいが、たった二人で何が出来る」
「やってみないと分からないさ」
囲まれては分が悪い。ここから抜け出す策として、フォルセティが警笛を吹いた。耳をつんざく音が男達の聴覚を麻痺して動きを鈍らせる。わずかにできた隙間に、フォルセティはノルンの手を掴んで走り出した。水を含んだ地面にめり込み体力を奪われる。回復しかけたノルンの体力はすぐに尽き、足がもつれた。ノルンを庇って、フォルセティももつれるように倒れこむ。起き上がる頃には、今度こそ逃げる隙間なく囲まれた。
手慣れの人間をこれだけ相手するのは、フォルセティも限界だった。さすがに『死』の二文字が横切るが、ここで諦めたらノルンも死ぬ。
『フォル、護らなければお前が死ぬ。攻めなければお前以外の者が死ぬ』
クリムヒルトの言葉が脳裏に蘇った。確かに、この状況を打破するにはあれが必要かもしれない。だが、師の光を奪ったこの剣を再び握っていいのか。フォルセティの心の迷いを連中は見逃さず、彼の背中目掛けて刃が迫る。
「隊長!!」
ノルンが叫ぶのより速く、キンと金属がぶつかる音がした。フォルセティの二本目の剣が、あと数ミリで防いだのだ。反射的に背面で受け止めて、撥ね飛ばして振り向きざまに男を斬る。直後、心臓を狙う敵の剣を、交差させた二本の剣で絡め落として早くも二人の男を絶命させた。
『国境の狼に二本目の剣を抜かせたら、すべての者が死に絶える』
ノルンが入隊した当時、耳にした台詞だ。返り血を浴びた頬に金色の輝く鋭い眼光、靡く黒髪はまさしく《狼》。次の獲物を探すように首を巡らす彼に、男達の輪がわずかに後退した。




