その6
荒くれ者たちが食事の代金と店の弁償代を払うことで、騒ぎが一件落着した。フォルセティに睨まれながらすんなり支払ったのは、あちらこちらで同じ罪を犯して金をため込んでいたらしい。ただでさえ重い巨漢は気を失って更に重みを増したので、二人の男達はまるで丸太を引きずるように店を立ち去った。連中を見届けて、エルデイルは中断された晩餐のテーブルに着く。
「ノルンも食べたら? 残したら勿体ないわよ」
- あんな騒ぎのあとでよく食べられるなあ。
衰えない食欲に、こっちは見ているだけで胸やけを起こしそうだ。「おい」と頭上から降ってきた男の声に、ノルンが顔を上げると狼眼と目が合った。
「喧嘩するなら相手を選べ」
見下ろした目線と呆れた口調に、「あんな連中くらい」とノルンは憮然とする。
「活きがるのは勝手だが、お前のせいで周りを巻き込んだらどうするつもりだ」
フォルセティの台詞に、ノルンは隣で食事する女医をチラッと見た。もし、彼が来なかったら自分はおろかエルデイルはどうなっていただろうか。セイムダムから体術を教わったが護身程度で、あの巨漢を倒せるとは思えない。自慢の弓術も道具がなければ役に立たないのだ。冷静になって考えれば考えるほど、無謀で浅はかだったと思い知る。
「無事だったからいいじゃない。それに私は医者よ、怪我したら治してあげるわ」
料理を平らげて満足げなエルデイルが口を挟んだ。
「医者も死んだらおしまいだ」
「それもそうね」
呆気らかんに笑うこの女性こそ、この中で一番肝が据わっているかも知れない。
「ところで、隊員はまだ募集してる?」
エルデイルがここにきて国境騎馬隊の募集を切り出したので、ノルンはぎくっとして固まり動かなくなった。
「ああ。医者がいないからお前が来てくれたら助かる」
フォルセティが言うのは、医者がここ二週間不在とのことだ。争いが絶えないこの土地で暮らすのは医者とて寿命が縮まる、任期が切れる否やとっとと自国へ帰ってしまった。その後、後任者は決まらず危険と向き合う隊員達にとって、命を救う者がいなければ不安で仕方がない。
「どうしようかな」
エルデイルが人差し指を唇に当てて考える素振りをした。大の男でも逃げ出す任務に、女の彼女が躊躇するのは当然だ。ノルンはそう思っていたが、実際は違っていた。
「引き受けてもいいけど、条件があるわ」
条件と聞いてフォルセティは眉を顰める。エルデイルが提示するそれは、昔から厄介なことが多かったからだ。例えば、待ち合わせに遅れるから一時間の道のりを三十分で行けとか、しつこく交際を迫る男がいるから恋人のふりをしろとか。
「嫌ならいいけど?」
こちらは選択の余地がないのに、わざわざ追い込む手口も健在だ。「はあ」と大きく息を吐いて彼が向き直った。
「条件ってなんだ」
「大したことじゃないの」
- お前には些細だろうが、俺にとっては大ごとなんだよ!!
したり顔のエルデイルを睨んだ。二人のやりとりを聞いて、仲がいいのか悪いのかノルンが判断に苦しんでいると
「この子も一緒に連れて行ってほしいの」と、ノルンの腕を引っ張るように組んできた。
「エルデイルさん!?」
驚いたのはノルンだけではなく、フォルセティも琥珀色の目を丸くしている。
「こいつを国境騎馬隊にか?」
フォルセティは、ノルンを観察するようにじろじろ眺めた。黄金に輝く髪、勝気な紫の瞳、白い肌、そして折れそうな細い体。
女だったらよかったのに、と思ってしまう端麗な顔立ちがまたため息を誘う。
「俺達の任務をちゃんと教えなかったのか?」
「もちろん、教えたわ。こう見えて結構頼りになるのよ。ひったくりから私の鞄を取り返してくれたし」
「ほら」と肘で突かれて、ノルンも慌てて半歩前を進み出た。鼻っ柱を折られて苦手だが、何と言ってもこの青年が隊長なので頼むしか仕方がない。
「なんでもしますから入隊させてください」
「なんでもってお前、人を殺せるのか?」
すごむ低い声に、ノルンは言葉に詰まった。今から入ろうとする所は、人々を守るために生命を脅かす者を容赦なく斬らなければならない。野山の動物を狩ったりと殺するのと訳が違う。
一瞬、ノルンの脳裏に父の最期が蘇った。血まみれで絶命した王と血が滴る剣を片手に立っている騎士、それが駆けつけたノルンが見た光景だった。
今度はノルン自身が後者となる。
「どうなんだ?」
フォルセティに訊かれて、ノルンは動揺した目を向けた。覚悟はしてきたはずなのに、認識の甘さと感情の赴くまま行動した自分を後悔する。
「前線に出なくてもほかに仕事はあるでしょう? 訳アリみたいだから、あなたの元がちょうどいいじゃない」
「ここは慈善事業じゃねえぞ」
引き取り手がない者達がこの隊にくればなんとかしてくれるという考えが、フォルセティには少々気に食わないがそうしてしまったのはほかでもない彼自身なのだ。
国境騎馬隊の医者が務まるのはエルデイルしかいないし、人手不足で正直この際誰でもいい。それにエルデイルの御眼鏡に適ったのだ。顔が綺麗というだけでもないだろう。
負けたといった風に大きく気を吐いた。
「雑用でよければ雇ってやる」
「隊員としてですか?」
ノルンが訊くと、フォルセティは頷いた。ここが肝心なところで、隊員としての採用なら収入も安定するが、ただの雑用係なら今までと変わらない。母親とセイムダムに仕送りするにはまとまった金額がほしい。そのあたりはフォルセティも察したようだ。
「一応な。基本給を元に、任務に応じて上乗せする仕組みだ」
「もちろん私にも適用されるんでしょうね!?」
「あまり期待はするなよ」
破格の給料を要求されそうな気配に苦笑する。明日から入隊することに決まり、簡単な説明をしてフォルセティは帰って行った。
ノルン達も宿の部屋に戻ると準備に取り掛かる。エルデイルがベッドの上にカバンを置くと、何やら取り出して布で丁寧に拭き始めた。ひったくられた時に追い掛ける彼女は必死な様子だったので、よほど大事な物らしい。
ノルンがそれをしげしげと見つめていると、「ああ、これ?」とエルデイルがぽんと鞄を叩く。
「命の次に大事な商売道具よ」
ノルンを手招きして鞄を開いて見せた。中を覗きこむときちんと整理された医療用品である。どれも手入れが行き届いているのが素人のノルンでも見て取れた。きっと、この道具で何人もの命を救ったに違いない。
「すごい!! やっぱりエルデイルさんは立派な医者なんですね!!」と褒められて、エルデイルは「ふふふ」と照れ笑いをする。
「あなたの商売道具はその弓?」
ノルンは壁に立て掛けた弓を手に取った。王宮にいる頃、誕生日の贈り物としてヘイムダムから譲り受けた大切な武具である。やや小型の弓で、女のノルンにも扱いやすく連射が可能なのが特徴だ。使い勝手が良く持ち運びに便利なのが気に入っている。
『武具を粗末にする者は命も粗末にする』
これがヘイムダムの口癖で、夕食を食べ終わったあと彼に習って弓の手入れをしたものだ。
- お母様とヘイムダム、今頃なにをしているのかなあ。
ふっと浮かんだ二人の顔に、ノルンはこれから始まる新しい生活に不安を感じた。