その59
誰かに尾行されている。
不審者の話を聞いた直後だけあって、フォルセティは同じ帰り道の客に過剰反応していると思っていた。だが、分かれ道で自分達だけになった時、近寄るかすかな殺気で確信する。彼は危険な匂いに鼻が利くのだ。
一方ノルンの頭をよぎったのは、ミーミルが人さらいに遭った事件だった。また、人の命を商売にしている不埒者が現れたのか。手綱を持つ手に力がこもる。
「ノルン、俺が合図したら全速力で走れ」
「分かりました」
「どうしたの?」
二人の緊迫した空気に、ミーミルが不安げに尋ねた。
「大丈夫、ぼく達がついている」
ノルンが、ミーミルは強ばる顔で頷く。緩やかな曲がり道に差し掛かったところで、フォルセティが目で合図を送ると、ノルンは荷馬車を走らせた。フォルセティが察した通り、林から現れた黒づくめの者達が追い掛けてくる。上下左右に激しく揺れる小道に苦戦しながら、ノルンは巧みな手綱さばきで荷馬車を操った。だが、満タンの樽二つを積んでいる荷台は重く、両者の距離は徐々に縮まる。
先頭を走る黒づくめの一人が剣を抜くのを見て、フォルセティが警笛を吹いた。緊急事態を知らせる合図が、この辺りを警らする森林保護隊の耳に届くのを祈るしかない。
「俺が時間を稼ぐ。出来るだけ遠くへ逃げろ」
フォルセティは馬を反転させて剣を抜いた。男の剣と金属音をたててぶつかり合う。ノルンも手綱をミーミルに託して、弓を構えて援護の体勢に入った。揺れる視界にタイミングを合わせて矢を放つと、男の肩に命中して落馬した。
剣を交えている隙に、フォルセティの脇から他の者達がすり抜けて一目散に荷馬車へ向かう。
「くそっ!!」
フォルセティも必死に追い掛けた。状況と人数ではこちらが不利で、このままでは三人とも助からない。もし、奴らの目的がノルンだったら、無関係のミーミルを必要以上に追うことはしないだろう。フォルセティは大きな賭けに出た。
「ノルン、こっちへ!!」
手を差し伸べる手を掴み、ノルンはフォルセティの馬に飛び移る。予想通りミーミルには目もくれず、まっすぐノルン達を追ってきた。なるべく荷馬車が遠ざかるよう駆け抜ける。ノルンは後方に次々と矢を射り、追跡を阻んだ。最中、遠くで笛の音が聞こえた。
二人乗った馬はすぐ横に並ばれ、矢が尽きたノルンに襲い掛かる。ノルンが剣を抜くより速く、フォルセティの剣が跳ね返した。手綱を強く引かれた馬が前足を高く上げて、方向転換してフォルセティを援護する。
「しっかり掴まってろ!! 振り落とされるなよ!!」
激しく動き回る馬に、ノルンはたまらず彼の腰にしがみついた。目を開けて状況を見極めなければならないのに、舌を噛まないようにするのが精一杯だった。金属音と馬の足音、肉を切り裂く音に加えて血の匂い。嗅覚と聴覚に嫌でも感じられる。
ふとフォルセティの背中の剣に触れた。自分がいなければ、互角以上に戦える。フォルセティには恩義がある。足手まといになるくらいなら、馬から飛び降りよう。大怪我を負うかもしれないが死にはしない。
緩めたノルンの腕が不意に掴まれた。故意に降りようとしたのが悟られたのか、ただ単に落馬を防ごうとしたのか。
「らしくないな」
ノルンが顔を上げると、フォルセティと一瞬だが目が合った。絶体絶命なのに狼眼の輝きを失っていない。どんな状況でも諦めない、それがノルンの生き方で数々の窮地も乗り越えてきた。しかも、今はフォルセティがそばにいる。諦めるのはまだ早い。何か打つ手はないか、ノルンは必死に考えを巡らす。そして、あることを思い出して、腰の鞄からひとつの玉を取り出した。これはガルーラからもらった煙玉で、試作に付き合わされてえらい目に遭ったものだ。
ノルンは後ろを振り向き、力一杯煙玉を地面に投げつけた。たちまち煙が辺りに立ちこめて白い闇と化した。
まだ煙が漂っているなか、一頭の馬が走り去っていくのを連中は見逃さなかった。一斉に後を追いかけていく。
「こちらの策に乗ってくれたみたいだ」
木の陰か窺っていたフォルセティは胸を撫で下ろした。煙幕を利用して馬だけ逃がして、二人は森に身を隠していた。
「ミーミルは大丈夫でしょうか? それにあの馬も」
「あいつらは無事さ。俺たちも合流するぞ」
戦いの最中、フォルセティの警笛に誰かが応えた。仲間が近くにいる合図で、ミーミルはすぐ保護されるよう。彼の馬も味方を連れて救援にきてくれるはずだ。不確かな根拠ばかりで、正直不安でたまらない。その気持ちはノルンも同じだったのか、馬から飛び降りる捨て身の行動に至った。身軽になればフォルセティだけでも逃げ延びる魂胆は、実行していれば複数の馬の蹄に引っ掛けられて命を落としていた。寸前で気付いてよかった。
フォルセティはノルンを促して森林の中を歩き始めた。ひとまず危機は脱したが油断ならない。連中が囮に気付くのも時間の問題で、道を避けてなるべく身が隠せる草むらを進んだ。
しばらくして、せせらぎが二人の耳に聞こえてくる。フォルセティは後ろにいるノルンに振り返った。息が荒く、疲弊しきった顔には大粒の汗が流れ落ちている。訓練を積んでいても、男女の体力差は埋められない。しかも、襲われてから休む暇もなかった。
フォルセティについていくと、沢が見えてきた。
「少し休もう」
「でも、やつらが追いついたら......」
「腹をくくって休め。体がもたないぞ」
湧き水で顔を洗う彼に倣うと、水の冷たさで頭がスッキリした。手の平に溜めた水で喉の渇きを癒す。追われていなければ、ブーツを脱いで寛ぎたいところだ。爽やかな風が吹き抜ける草むらに腰を下ろすと、足がじんと痺れて重い。疲労困憊を痛感して、フォルセティの気遣いに感謝した。相変わらず人をよく見ていると思う。
フォルセティはこれまでの経緯を整理して、次の行動を模索した。連中は今どの辺りにいるのか、仲間との合流は? ノルンを執拗につけ狙う理由も分からない。手掛かりといえば、鍔迫り合いで一瞬見えた剣の柄の紋章。
「あのさ」
ノルンが振り向いた。濡れた前髪から覗くすみれ色の瞳に心臓が跳ねる。つくづく美しい部下だ。
「連中の剣の柄に百合が刻んであった」
「百合?」
「二本の百合が交差している」
フォルセティが人差し指を交差して表現すると、ノルンの顔色がさっと変わった。
「そんな......」
その紋章はまさしくノルンの国のものだった。追っ手の狙いは、フォルセティではなく自分だと知り愕然とした。
「心当たりあるのか?」
「隊長、やつらの狙いはぼくです」
「モテるやつはつらいな」
震える声に、フォルセティは笑ってみせた。彼は気付いていた。恐らく襲撃された時から見当をつけていたのだろう。巻き添えをくらって非難されても仕方ないのに、フォルセティは黙っていた。
「また妙な気を起こすなよ。俺たちは一蓮托生なんだから」
やはり、ノルンが馬から飛び降りようとした時止めたのは偶然ではなかった。フォルセティはちゃんと見抜いていたのだ。連中に殺されるより、彼を失望させる方が胸が苦しくて切ない。




