その58
ある朝、ノルンとミーミルの荷馬車に、フォルセティは自分の馬でのどかな一本道を進んでいた。ミーミルはノルンと一緒にいられるとあって、ジュースやお菓子をかごいっぱい持ってきていた。母親からは「迷惑を掛けるな」とか「勝手な行動をするな」とか、水を刺されたが。
手を振るリドが見えなくなったところで、ミーミルが体をよじらせて荷台からクッキーのかごを取り出した。
「クッキー焼いたの。朝、甘い物を食べると元気が出るんだって」
「へえ。ちょうど小腹が空いたからもらおうかな」
「そうしなさいな。ワインの買い付けは体力を使うのよ」
楽しそうにしゃべってしている二人の様子を、フォルセティは馬上から眺めている。ミーミルはノルンに恋しているのは間違いない。恋愛感情に疎いノルンは、ただの仲の良い友達として接している。ノルンの正体を知ったらさぞ失望するだろう。この強烈な母娘が暴れたら、ノルンと二人でひたすら謝るしかない。そう考えただけで気が重くなる。いつも、ノルンの尻拭いばかりだ。
なぜこの三人が出掛けているかというのは、昨日に遡る。
フォルセティが食堂近くを歩いていると、リドに呼び止められた。お互い忙しい身なので、急用以外はうろうろしているところを捕まえるのが手っ取り早い。リドに頼まれたら大抵の者に拒む権利はない。おおかた食材の買い付けに部下を貸してほしいといったところだろう。案の定、ワインの買い付けにノルンを指名してきた。
今年は天候の恵まれて果実の生育が良かったため、果実酒など例年になくいい出来とのことだ。最高のワインをいち早く味わおうと、市場に出回るのを待ちきれない者達で生産地はかなりの賑わいだという。ワインは飲酒だけでなく肉料理に重宝する。いずれも欠かせないので、毎年買い付けに行っているのだ。
生産地のキールは、部隊から二つ町を越していく一本道。辺り一面ぶどう畑が広がるのどかな土地なので、ここ数年ミーミル一人に行かせていたが、事件に遭ったので悩んでいた。責任者のリドが持ち場を離れるわけにはいかないし、フル回転の厨房から人手を割くのは厳しい。
「娘がノルンに付いて来てほしいって言うもんだからさ。忙しいのは分かってるけど、どうだろう?」
確かに二人は同性で歳も近い、いかつい隊員が同行するより気が楽だろう。リドが娘を心配するように、フォルセティもノルンが気掛かりでならなかった。一人の部下に私情を挟みすぎたと思うが、胸の奥で黒いもやが渦巻き気持ちが悪い。
フォルセティはしばらく考えて自分もついて行くと言うと、リドが素っ頓狂な声を上げた。たかだかワインの調達に、隊長自ら行くとは思わなかったからである。さすがに恐縮するリドに、嘘も方便でキールに用があると付け加えて安心させた。
ノルンが食事から戻ってきたのでキール行きを話すと、ノルンもリド同様申し訳なさそうな表情をした。フォルセティの多忙は一緒にいて知っている。二つ町を離れた場所の使いなら自分だけで事足りるはずだとノルンは考えた。
「その用は、ぼくじゃ務まりませんか?」
頼りにされていない不安が入り交じった顔に、フォルセティは軽く息を吐く。
「俺の用だから行くだけだ。そんなに気を揉むな」
こくりと頷くノルンの頭に置こうとした手は宙を掴んだ。目の前にいる部下は少女なのだという事実が思い止まらせる。いつもなら絹糸のような金髪をくしゃくしゃにしただろうに。微妙な間に、ノルンが怪訝そうに見つめていた。
「隊長もいかがですか?」
フォルセティは、ノルンが差し出したかごからクッキーを一つ食べた。砂糖たっぷりの甘い味覚に眉をひそめたら、今度は水筒を手渡された。中身は無糖のアイスティーで、口の中で香ばしさが甘さを中和する。確か、休憩で飲んで気に入った紅茶だ。ノルンは紅茶を淹れるのが上手く、心が安らぐ。
ー こいつ、俺の好み分かってるな。
ノルンを補佐にしてまだ日が浅いが、上官の意図することはほぼ理解している。利発な上に幼少期から英才教育を受けているようで、教養は申し分ない。器量もいいのだから、娘として生きればこんな苦労はしないで済んだのではなかろうか。
「飲み物が不味かったですか?」
知らず知らずのうちに、ノルンを見つめていたらしい。不安げなノルンに、小さく笑って否定した。ほんわかした空気に、隣にいるミーミルは除け者にされたようで面白くない。何かに託つけて二人の間に割って入った。
三人がキールに着いたのは昼前で、既に買い付けの客で賑わっていた。この町ではぶどう畑の所有者がワインの生産も兼ねている所が多く、それぞれ得意先に仕入れている。もちろんノルンは初めてで、フォルセティも数年ぶりにやってきた。毎年恒例のミーミルは迷うことなく、馴染みの場所に荷馬車を走らせる。
「よお、リドの嬢ちゃん。今年はお供付きか。お姫様みてえだな」
「あら、ほんと。国境騎馬隊の隊長さんと仲間の方ね」
恰幅のいい主とその女房が、酒蔵の前で出迎えた。
「こんにちは。今年もお願いします」
「あいよ」
ノルン達は持ってきた小さな樽を二つ台車に載せた。使い終わった樽を消毒して、またこの時期にワインを入れて持ち帰る仕組みである。熟成された果実の匂いが充満する酒蔵の奥を、主と一緒に進んでいく。ちょっとした小屋くらいの大きさに、ノルンは珍しげに見上げながら歩いた。
その中の一つに着いて主が小樽を置き、大樽の下にある栓を緩めた。芳醇な香りと赤い液体が筒を伝い注ぎ込まれる。酒好きのフォルセティでさえ、いるだけで酔いそうだ。満タンになるまで時間がかかるので、主は「ここは任せたよ」と言い残して次の客の相手をしに行った。
三人は、今のうち昼食をとることにした。近くの木材に腰掛けて、リドお手製のランチを広げる。馬に揺られたせいかお腹が空くのが早く、早速サンドイッチに手を伸ばして口に頬張った。
「やっぱり、リドさんの料理は美味しいね」
「でしょ!!」
ミーミルは自分が褒められたかのように喜んだ。食べていると、先ほどの主がフォルセティを手招きした。
客から聞いた話では、ここ最近見慣れないやつがうろついているらしい。商売人は職業柄、一度見た顔は忘れないものだ。そんな彼らの話を無視できない。
フォルセティはサンドイッチを口に押し込んで、主とどこかへ行ってしまった。これはチャンスと、ミーミルがノルンにぐいと近寄る。
「サンドイッチ、足りる? わたしのもあげる」
「ジュースも飲まないと喉に詰まるわよ」
「クッキー、食べる?」
怒濤の世話焼き攻撃に、さすがにノルンはたじろいた。二つの樽に移し終えた頃に、フォルセティが戻ってきた。接待し尽くされてぐったりのノルンとしては、もう少し早く戻ってきてほしかった。
帰り道、荷台の樽の中からタプンタプンと音が聞こえる。無事目的を果たして、ミーミルとノルンはほっとしていた。ただ一人、フォルセティは険しい表情だ。
そろそろ半分まで来た辺り、森林を抜けるため人気がなくなってきた。木陰のひんやりした風が心地良いと感じていると、フォルセティが馬を寄せて囁いた。
「誰かにつけられている」
「え?」
「前を見ていろ」
振り向こうとするノルンを静かに制した。




