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55/62

その55

 フォルセティは無我夢中で押し返して、後ろに飛び距離を取った。クリムヒルトももう一本の剣を抜いて構える。互いの剣がぶつかる度、暗がりに一瞬火花が散った。教わったのは剣術だけではない、フォルセティが間合いを取るべく足技を繰り出す。クルムヒルトには既に読まれて同じく足技で塞がれた。わずかに師が上間り、フォルセティがわずかに体勢を崩したところに、クリムヒルトの横一文字の太刀を横っ飛びで交わす。上腕部に鋭い痛みが走り、完全に交わしきれなかったとフォルセティは舌打ちした。斬りつけられた腕の痛みが脈打ち力が奪われていく。

 たった数回の攻防に、フォルセティの消耗は激しかった。クリムヒルトの凄まじい殺気に、額に汗が滲み大きく弾む息を鎮めるのに必死だった。剣を置いて降参しても、クリムヒルトは許さないだろう。この闘いに終わりはない、どちらかが倒れるまで続くとフォルセティは本能的に理解した。

 ほかの者達はもっと気楽に剣術を学んでいるのではないか、なぜ自分だけこんな試練を試されなくてはならないのか。変わらぬ師の眼差しに、フォルセティは悲しみを通り越して憤りすら感じた。誰よりもフォルセティを鍛えて、誰よりも彼を認めてきた。弟子というより息子として、自身の継いで越える存在になるクリムヒルトの思いを、まだ若いフォルセティはまだ考え及ぶ由もない。

 二人の激しい闘いに、松明が倒れて火がかき消された。一瞬で暗闇に包まれ、フォルセティは閉ざされた視覚に代わり聴覚と気配を研ぎ覚ます。下手に動けば相手に悟られる、クリムヒルトも完全に気配を消してこちらを窺っているに違いない。呼吸すら気取られる可能性に、唾すら飲み込めない。構えを解いて気を静めてその時を待った。

 どれだけの時間が流れただろうか。正確にはほんの数分だったかもしれないが、フォルセティにはとてつもなく長く感じた。そして、地を蹴る音の方向に物凄い速さで剣を振る。ガチャリと師の剣が地面に落ちた。

 雲が晴れて、月の光に照らされたクリムヒルトの姿に愕然とした。左目を押さえるクリムヒルトの指から鮮血が滴り流れる。


「フォル」


 優しい声色で名前を呼ばれ、フォルセティははっとした。彼の左目を斬りつけたのは自分だと知り、全身の力が抜けて膝が崩れた。


「俺は......、俺は......」

「見事だ。お前はもう立派な剣士だ」


 クリムヒルトが顔から手を外した。左まぶたに刻まれた縦の刀傷、もう役目は果たさないだろう。片方の視覚を失えば距離感がつかめない。訓練すれば感覚が戻ってくるだろうが、もしこれが戦場だったらクリムヒルトは死んでいた。的確に急所を狙ったフォルセティの勝利である。


「フォル、泣くな」


 クリムヒルトに言われて、初めて自分が泣いていることを知った。クリムヒルトはもう片方の剣を鞘に納めて、フォルセティの頬を撫でた。


「私自身が望んだことだ。決して自分を責めるな」

「でも......、でも......目が見えなければ」

「なに、まだ右目が残っている。一つ失っても、私は強い」


 かなり傷口が痛むはずなのに、クリムヒルトは穏やかに笑った。


 その後、クリムヒルトは自ら近衛隊を辞めて姿を消した。フォルセティの傍にいれば、左目の傷を見るたびに自責の念に駆られるだろう。そう考えてのことだった。事実、フォルセティはクリムヒルトから剣を奪ってしまったと自分を責め続けている。そう、あれは真剣勝負でフォルセティに非はない。

 それ以来、フォルセティは二本の剣を抜くことはなかった。



 フォルセティは長い回想から覚めて、静かに目を開けた。ガルーラは磨き終えた剣を手渡す。


「これはお前の問題じゃて、わしが口出しすることじゃないがのう」


 フォルセティは鞘に納めて立ち上がった。


「たまには顔出せって、ノルンに伝えておくよ」


 いつもの悪態はつかず小さく笑って帰る若者に、ガルーラは深いため息をついた。



 隊長室に戻ると、気配に気付かないほどノルンが庶務に精を出していた。横を通りすぎて、ようやくノルンが顔を上げた。


「あ、お帰りなさいまし」

「じいさんがたまには顔出せって騒いでいたぞ」

「そろそろ、弦の張り替えに行こうと思っていたところです」

「手入れは怠るなよ」

「はい」


 紅茶を淹れようと腰を浮かせたノルンを手で制した。目の前に差し出されたカップを、ノルンは礼を言って受け取った。彼が部下の分まで用意するのは特に珍しいことではないが、何か気になる。目が寂しそうなのだ。窓際のフォルセティを、紅茶を飲みながら上目遣いで窺う。

「隊長」と呼んでも返事がない。窓の向こう側を眺めてぼんやりしている。もう一度呼んで、やっとこちらを振り向いた。


「ん?」

「何かあったんですか?」


 やや間があって「ちょっとな」と答えた。その「ちょっと」の部分を知りたかったが、これ以上は質問を受け入れない雰囲気に会話が続かない。ここはお互い詮索しないのが暗黙のルールである。


「隊長、久々にお手合わせ願います」

「急にどうした?」

「ここにいたら腕が鈍りそうです」

「一丁前に」


 フォルセティは、ノルンの額を軽く小突いてドアに歩いていく。その顔が笑っていたので、ノルンも笑顔で後をついていった。

 隊長室の裏にある敷地で、二人向き合って木刀を構える。フォルセティに一切の隙がなく、誘ったことを後悔した。ノルンは覚悟を決めて立ち向かう。「やあぁっ!!」と掛け声と共に突き立てる木刀を、フォルセティが受け流した。ノルンはすぐ振り返り次の一手を繰り出すも、これまた跳ね返された。実力の差は最初から承知の上で、このくらいは想定内である。

 必死に食らいつくノルンに、フォルセティは昔の自分を見ているようだった。クリムヒルトと共に歩んで励んだ日々が脳裏を駆け巡る。もし、あの夜がなかったら、今も一緒に剣士としていられたはずだ。苦しい思いを振りきるように、ノルンを薙ぎ払う。


「きゃあっ!!」


 短い悲鳴で我に返ったフォルセティは、地面に倒れるノルンに慌てて駆け寄った。男の渾身の一撃に、女のノルンが敵うはずもなく木刀もろとも吹っ飛ばされた。


「大丈夫か!?」

「......はい」


 起き上がろうとするノルンの肩を抱いて寄り添う。


「やっぱり、隊長は凄いです。ぼくなんか全然敵わない」

「当たり前だ。比べるなんて百年早い」


 と、いつもなら返ってくる台詞がなかった。真っ直ぐ見つめる彼に戸惑い、無事をアピールしようとガッツポーズをした。


「ぼくは大丈夫です。ほら、痛っ!!」


 ノルンは肩を強打して激痛に顔が歪んだ。剣を握った以上、感情に委ねるなどあってはならない。クリムヒルトが左目を犠牲にした教えを守れなかった、己の未熟さでまた人を傷付けてしまった。あの夜と同じく全身の震えが止まらない。

 蒼白な顔で俯くフォルセティに、ノルンは言葉を失った。こんなに弱々しい彼の姿を初めて見たからである。気分転換になるならと、軽い気持ちで手合わせを申し出たつもりが、フォルセティを追い詰める結果になりノルンは焦った。


「ぼくは本当に大丈夫です。こんなのいつものことです。だから.....」


 ノルンが必死に訴える声は、彼に届いていなかった。




 

 





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