その54
「お前を補佐役にする。今より出動は少なくなるし卓上の仕事がほとんどだ」
まだ本調子ではないと思われているのか、それとも実戦に不向きだと判断されたのか。フォルセティの意思を知りたくて、直視しても琥珀色の瞳から読み取れない。ノルンはどう受け取ればいいのか困惑した。
「これは命令だから、お前に拒否権はないが意見は聞く」
「ぼくが負傷したから......」
「適材適所を知っているか?」
「はい」
「自分のやりたいことと向いているものは必ず一致するとは限らない。自分が意図しなくても従う、それが組織だ」
真剣に話す彼は、上に立つ者の顔だった。結局、理由は話さずともノルンに拒否権はなく、明日から補佐役に就くことになった。隊長室の壁を背にして置かれた机と椅子がノルンの新しい仕事場になる。仕事内容のほとんどが翻訳と国境を行き来する人数の概算で、膨大な資料は隣の部屋に保管されている。
毎日やることはほとんど同じで、聡明なノルンはすぐに慣れてこなしていった。一日中隊長室に引きこもり、ペンを走らせる音や書物を捲る音だけが響く。初めてこの部屋で過ごした夜のようだ。時折、隊員の訓練の掛け声で顔を上げるだけだ。何人か隊員の出入りしてノルンを一瞥していく。ハールの場合はなぜか親指を立ててにかっと笑った。
「お茶を淹れましょうか?」
お互いの仕事が一段落した頃合いで、ノルンが声を掛けた。フォルセティは座ったまま背伸びをする。
「頼む」
「砂糖とミルクは?」
「無しで」
「了解」
ノルンがティーセットのテーブルへ向かう。優雅な手つきで淹れるさまをフォルセティは眺めていた。落ちぶれた貴族の出身だとみんなが噂していたが頷ける。俯いて現れる白い項は、色気より美しさが勝る。
「なぜ男の格好をしている?」
と聞ければどんなに楽か、訳ありの集団に詮索は野暮というものだ。支度ができて、しばしの休憩となる。
「フォールバウティ産を使っているんですね」
「なんだ、それ?」
「王宮に献上する高級品の茶葉です。すっきりした後味なんですよ」
「ふうん」
衣食住に無頓着な彼は軽く相づちを打った。様々な民族がやって来て土産品を置いていくので、いちいち価値は気にしたことはない。
「気に入ったならやるよ」
「ここに置いていきます。休憩時間に飲みましょう」
フォルセティは横の棚から焼き菓子の箱を持ってきてテーブルに広げた。さっそくノルンが「いただきます」と手を伸ばす。
「美味しい!! 隊長もどうぞ」
「どうぞって、俺のだから」
「そうでした」
湯気の向こう側でノルンが笑った。美しい表情に、嫌でも女を意識させる。ノルンからお代わりを促されてカップを差し出した。ハール達の所にいれば不便だろうと引き離したのに、これでは墓穴を掘っているのではなかろうか。
当初、ノルンが補佐役になるのを不服に思う者がいたが、教養面では仕方がないと次第に落ち着いていった。それでも納得しない人物がここにいた。
「弓の訓練はさせておるのか?」
「させてるよ」
「無理させておらんじゃろな?」
「ああ」
「わしの所に来れんほど忙しいのか?」
「たまには寄れって伝えておくよ」
「手に入れた弦を試し......」
「いいから、早く俺の剣を磨けよ!!」
武具屋に剣の手入れにきたフォルセティだが、ガルーラのしつこさに声を荒げた。ひと癖ある連中だけ相手してきたガルーラにとって、華やかなで素直なノルンは可愛い。生涯独身でも孫みたいな存在を、フォルセティに取られてご立腹なのだ。ガルーラはぶつぶつ言いながら得物を受け取り、面倒臭そうに剣を磨き始めた。数人の弟子がいても、フォルセティの物だけはガルーラ自ら手入れする。なんだかんだ言って、この青年も息子みたいなものなのだ。
「ところで、妙な動きをする連中がいるって話してたよな?」
フォルセテは辺りを警戒して声を潜めた。
「そいつらがノルンを狙った気がする」
これにはガルーラが目を剥いた。
「なんじゃと!? どうしてノルンを狙う必要がある?」
「分からない。ハールの話じゃヴァン族もすぐ引き揚げたらしいし、偶然にしてはタイミングが良すぎる」
ガルーラは皺だらけの顔により一層皺を寄せて唸った。
「それで、ノルンを外したのか?」
「まあ、それもあるけど」
「ほかに理由があるのか?」
フォルセティは答えず、剣を渡せと手を差し出して催促する。
「なあ、じいさん。俺の剣はどこまで通用するかな?」
武具屋という商売がら、諸国の名ある剣士を見てきたガルーラに尋ねた。
「そうじゃな。中の下といったところじゃ」
ガルーラは茶化さず真面目に答えた。この青年が客観的な言い方をするのは何かを決心している。もっと強くなりたいという欲望の表れでもあった。
「そろそろ、戒めを解いたらどうじゃ。二本の剣を使ってこそ両刀遣いというもの」
フォルセティの二本目は背負って鞘に納まったままだった。使わない得物を携えている本当の理由は何なのか、さまざまな憶測が飛び噂を大きくした。
「自分を責めるな。クリムヒルトも今のお前を望んではおるまい」
両刀遣いのフォルセティが、未だ一本の剣のみで戦う理由は五年前に遡る。
クリムヒルトとは、フォルセティに剣術を教えてた近衛隊の剣士だった。この国で右に出る者はいない両刀遣いの名手である。クリムヒルトは、当時剣士見習いのフォルセティに目を付けて弟子にした。気配を読み取る速さ、剣捌きのセンス、身体能力の高さ、何より根性がある。まだまだ粗削りだが、鍛えれば自身の後継者になるとクリムヒルトは喜びを隠せなかった。
大小の剣を用いる者が多いなか、クリムヒルトのそれは長さに違いはない。油断すれば己も傷つけるうえ、利き手関係なく鍛練しなければならない。同期の見習いが次々と各隊に配属されるなか、フォルセティは未だ体作りと型の練習に明け暮れた。
歳月が過ぎて、フォルセティはクリムヒルトと手合わせできるまでに成長した。始めは木刀だったが、やがて本物の剣での実戦にフォルセティは恐怖を感じた。容赦なく襲い掛かるクリムヒルトに対して、躊躇いで剣が萎縮する。実力はあるのに、感情が邪魔して太刀筋を鈍らせた。
「フォル、守らなければお前は死ぬ。攻めなければお前以外の者が死ぬ」
クリムヒルトは厳格な性格ではないが、この時はあまりの重圧に固唾を飲んだ。幾つもの修羅場をくぐってきた彼の言葉は重く鋭く胸に突き刺さり、今も深く残っている。
フォルセティが十八歳になり、独り立ちする日が近づいてきた。最終的な判断は、師のクリムヒルトが下す。ある夜、フォルセティが一人剣の手入れをしていたら、背後から何者かに襲われた。唸り来る剣を必死に受ける。一体誰なのか。月明かりに照らされた人物に、フォルセティは愕然とした。師であるクリムヒルトだったのだ。クリムヒルトは殺気をみなぎらせて、まるで弟子を敵のように捉えている。力強くキレのある太刀筋に、フォルセティはただ防戦一方だ。クリムヒルトが振り下ろした剣に、ついにフォルセティは二本目の剣を抜く。交差した彼のそれで師を受け止めた。ぎりぎりと押されて、間近で見たクリムヒルトの眼は非情に徹しろと訴えかけている。




