その53
フォルセティは幼い頃からそうだった。たとえ、自分が傷ついても秘密を守る。
エルデイルの父親グンナルは診療所の医者で、その姿を見て育った。好奇心旺盛な彼女は、グンナルが往診に行ったのを見計らって診察を真似して遊んでいた。娘の行動を知っていたグンナルは、危険な薬品があるから入ってはいけないときつく注意した。禁止されたら余計やりたくなるのが子ども心で、その日も父の留守にぬいぐるみを患者に見立てて遊んだ。
薬を取ろうとつま先立ちで後ろの棚に手を伸ばす。もう少しで届くというところでバランスを崩してしりもちをついた。
「エルデイル!!」
名を叫ぶ声と共に何者かが抱き締めた。何が起きたか分からず、おずおずと顔を上げるとフォルセティが額から血を流していた。彼は使いでエルデイルの家に来て、偶然この場面に出くわしたのだ。
「フォル!?」
上から落ちてきた瓶から自分を守ってくれた。フォルセティが自分の罰の身代わりになった。エルデイルは罪悪感と申し訳なさで泣き出した。帰ってきたグンナルは急いでフォルセティの手当てをした。割れた破片で頭を切ったが幸い傷は浅かった。一段落して、グンナルは二人に事の経緯を尋ねた。エルデイルが恐れていたのは、父の怒りより二度と医療に携えなくなることだった。軽はずみな行動で相手に怪我を負わせた、医者になりたい夢が絶たれてしまうのではないか。今考えれば短絡的だが、子どもの思考では仕方ないことである。
「もう一度だけ聞くよ。どうしてこうなったんだ?」
「おじさん、ぼくがやった」
グンナルとエルデイルが同時に黒髪の少年を見た。理由を聞いても「ぼくがやった」「ごめんなさい」としか繰り返さない。嘘か誠か、相手の目を見れば分かるもの。グンナルはフォルセティをまっすぐ見つめた。狼眼は揺るぐことなく受け止める。
実は、グンナルには娘の仕業だと見抜いていた。フォルセティはやんちゃだが、正義感が強い。娘は臆病な面があり、嘘をつくと爪を噛んで黙ってしまう。今の彼女がそうだ。だから、本人の口から謝罪を待っていたのだが。
グンナルは軽く息を吐いた。もし、瓶の破片で娘の顔に傷がついたらと考えると感謝でいっぱいだ。フォルセティの幼いながらも溢れる男気に免じて、今回は不問に付すことにした。グンナルは少年の頭を撫でて診察室を出ていった。
まさしく、フォルセティはあの頃の同じ目をしている。動じることのない態度にエルデイルは負けた。「なら、いいわ」と軽く笑って、椅子を勧める。
「その、傷口はどうだ? 跡が残ったりしないか?」
フォルセティが口ごもるので、エルデイルは思わず失笑した。部下ではなく女のノルンを心配している。せっかく秘密を隠し通したのに、この質問で露見したようなものだ。
「何が可笑しい?」
「痣は残るかも。といってもほくろ程度だけど。男にとって傷もまた勲章なんでしょう?」
「ケルムトとノルン、どちらが似合うか考えてみろ」
ー まったく素直じゃないわね。
頭を掻きながら部屋を出るフォルセティにぼやいた。
ノルン重傷の一報は瞬く間に広まり、面会謝絶が解かれた途端見舞い客がひっきりなしに訪れた。泣いたり怒ったりしたのは二名、ミーミルとガルーラである。リドは消化がよく栄養ある料理を毎日届けてくれた。本日の客は、見舞いを口実にエルデイルに会いに来たハールとケルムトだ。ケルムトがすっと差し出したのは柄になく花束だったので驚いた。
「あれ? エルデイルさんは?」
「ハールってさ、誰に会いに来たの?」
「そりゃあ、決まってるだろ。お前はついでだ。いてっ!!」
ケルムトに頭を叩かれたヘールは、「冗談が通じないやつだな」と口を尖らす。
「元気そうでよかった」
ケルムトの言葉に、ノルンが笑顔で返す。
「一日も早く復帰してくれ。じいさんやミーミルの苦情がひどくてさ」
ハールがつまんだクッキーは、ミーミルがノルンのために手作りしたのは黙っておく。
「隊長に感謝しろよ。もし、あの場にいなかったら助かったか分からないぜ」
ハールは事のあらましを教えてくれた。矢が刺さってから記憶はないが、必死に呼び掛けるフォルセティの声は聞こえていた。部下を抱えて、群がるヴァン族を振り切り手当てするなど並大抵ではない。いくらハール達の援護があったとしてもだ。礼を言いたくても、肝心の隊長は見舞いに一度も来なかった。もうすぐ復帰できるから、焦らずともいいのだがどこか物寂しい。
一方、フォルセティは悩んでいた。ずっと男と思っていた部下が実は女だったのだ。まさに青天の霹靂である。国境騎馬隊の採用基準は男のみ。いざとなれば皆にばれる前にノルンを除隊させればいいのだが、病弱な母親に金と薬を送っている事情がある。果たして、大人しく従うだろうか。
なぜ過酷な目に遭ってまでここに留まる必要があるのか。死んでしまったら、それこそ最大の親不孝ではないか。ノルンのような気品ある容姿と教養の高さなら、もっと安全な働き口があったろうに。
それと、厄介事がもう一つ。以前、彼に言い寄る貴族の令嬢を追い払うためノルンにキスしたことだ。思い返すと、初めてだと涙目で訴えていた。今回、解毒剤を口移しで飲ませたのは覚えていないらしい。あれは不可抗力だったと自分を納得させる。
これから、ノルンにどう接するべきか。変に気を使ったら、周りに勘づかれてしまう。体力も筋力も違う男達と一緒に訓練させてよいものか。負けん気だけは認める。それにしても、着替えや風呂も同じ空間で過ごして今までよくバレなかったものだ。
ー エルデイルのやつ、知ってたな?
これまで彼女の言動を思い起こすと合点がいく。入隊時からやけにノルンを気遣うのは、連れてきた責任で世話しているのではなかった。ノルンは背中に大きな傷があるから、皆と入浴したがらない。深夜に風呂を使わせてほしいと頼んだのもエルデイルだった。彼女を問い詰めても、きっとこう返されるに違いない。
「あら? 聞かなかったじゃない。それに、ノルンを隊員にしてくれって一言も頼んでいないもの」
エルデイルに口で勝つわけがなく、結局自分の胸に仕舞っておくしかなかった。
数日後、ノルンは医務室のベッドを整理して、復帰の報告に隊長室へ向かった。ドアをノックすると、中からフォルセティが「入れ」と言った。
「今日から任務に復帰します。ご心配お掛けしました」
フォルセティはペンを止めずに聞いている。
「隊長の手当てで助かったと聞いています。本当にありがとうございました」
「当然のことをしたまでだ」
「感謝しろ」だの「借りを返せ」だの、軽口の応酬が始まるかと思っていたが、黙々と書類にサインしている。拍子抜けのノルンは身の置き場がなく帰ろうとした。
「あの、それでは失礼しま......」
「前に俺を手伝った時、補佐の話をしたよな?」
話を遮って、ようやくフォルセテイが顔を上げた。ノルンは最初多民族の入国申請書を夜通し訳した時にノルンが提案した。隊全体を指揮しながら庶務もこなす隊長の激務に驚いたのを思い出した。国境騎馬隊員の大半は複雑な事情を抱え、教養を高める余裕がなかった。その中で英才教育を受けているノルンは貴重らしい。
庶務をこなす補佐がいれば、フォルセティの負担は軽くなるだろう。




