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その52

 一刻も早く適切な治療が必要だった。今すぐ医者に診てもらえばよいのだが、生憎エルデイルは部隊で待機している。

 ー 毒といえば確か......。

 フォルセティはあることを思い出して、腰のポーチをまさぐった。探していたのは、いつぞやガルーラから貰った解毒剤が入った小さな瓶。ガルーラが若かりし頃、放浪の旅をしていた頃に持ち歩いていた物である。蛇の猛毒から作られた解毒作用が高い薬で、「武具の修理代に薬の行商から巻き上げてやったわ」とガルーラが笑いながら話していた。事実、彼はこの薬のお陰で何度も命を救われたそうだ。

 敵と味方が入り乱れるなか、ノルンの応急処置をすべく辺りを見渡していると

 

「隊長!!」


 遠くから部下の声がした。ハールとケルムト達が援護に駆けつけたのだ。


「ノルンがやられた!! 戦列を離れる」

「あとは俺たちに任せて行ってください!!」


 迷いないハールの一言に、ケルムトも目配せして促した。


「頼んだぞ」


 ここは二人に任せて、フォルセティは馬を反転させて走り出した。無我夢中で駆け抜けて、追っ手が来ないのを確認して馬を止めた。まずは自分が降りて、次にノルンを抱えて下ろす。腕の中にいるノルンは虫の息で猶予もないのだと悟った。そばにいたのに守れなかった。後悔、焦燥、不安......、感情が一気に押し寄せる。

 ノルンを草むらに寝かせて、フォルセティは小瓶を取り出した。まずは矢が刺さった患部から毒を吸い出さなければならない。彼自身もリスクが伴うが、目の前の部下を救うことしか頭になかった。軍服を脱がせてシャツのボタンを外してまもなく手を止めた。

 ー なっ!?

 胸に巻かれている布をずらして絶句する。現れたのは、男にないふくよかな胸の谷間だった。


「お前......」


 毒に冒されて紫に変色した肌は、ノルンが女という事実を一時的に忘れさせた。急いで患部を口で吸い出しては吐き出す、これを何回か繰り返して解毒剤を飲ませる。だが、意識を失ったノルンの口からこぼれ落れていく。フォルセティは口移しでノルンの体内に解毒剤を注ぎ込んだ。かなり強い薬で、フォルセティは飲ませた後激しくむせた。

 止血効果のある薬草を患部に擦り付けて、布で押さえてボタンを止める。これが彼の思い付くすべてだった。あとはノルンの生命力に賭けるしかない。

 遠くで警笛が聞こえた。我が隊の『退却』の合図だった。

 ー 部下も守れず戦線も離脱して、俺は一体何をやっているんだ。

 フォルセティはたまらず天を仰いだ。



 毒矢は最初からノルンを狙ったもので、シグムントに接触してきたあの黒づくめの仕業だった。主はノルンの父である王の側近で、数年前に反乱を起こし国を奪った男である。執念深いところがあり、復讐を恐れてノルン達の行方を探していた。身分や性別を偽ってひっそり暮らしていたのに、国境騎馬隊に入隊して境遇を忘れてかけていた。

 この間、ノルンが娘の格好で出歩いたのをこの者達に見つかってしまったのである。ノルンを始末したいが、国境騎馬隊にいてはやすやす手が出せない。仮にノルンを殺せたとしてもフォルセティ達が黙ってはいないだろう。証拠が残るようなへまはしないが、他の国で騒ぎを起こすのは得策ではない。それなら、元からある騒動に紛れて戦死を装えばいい。そこで、敵対関係にあるヴァン族に接触してこの戦いを仕掛けたのである。

 ノルン抹殺の任務を果たした黒づくめは撤退すると、続いてヴァン族も引き上げていった。シグムントはフォルセティとの一騎討ちを望んでいたので、戦列を離脱したと聞き戦意を失ったようだ。

 敵の事情など国境騎馬隊に知る由もないが、今回ばかりは助けられた。フォルセティが帰還すると、エルデイル達が慌ただしく出迎えた。


「ハールから聞いたわ。どんな状況?」

「解毒剤を飲ませて止血している」

「急いで医務室に運んで」


 フォルセティがノルンを横抱きして医務室のベッドに寝かせた。気が緩んだのか、フォルセティが大きくふらついた。ノルンの毒を口で吸出した時に少し残ったかもしれない。


「顔色が悪いわ。どこか怪我を!?」


 支えようとするエルデイルを手で制した。


「大丈夫だ。それより早くノルンを頼む」

「え、ええ。あなたも休んだ方がいいわ」


 治療を始める彼女を見届けて、フォルセティは医務室を後にした。


 

 ノルンは広大な花畑に立っていた。遠くに亡き父もいる。何やら言っているみたいだが聞こえない。花を掻き分けて近付くが、いっこうに父との距離が縮まらない。駆け寄ろうとしたら、突然腕を掴まれた。振り向くとフォルセティがいた。


「隊長」

「行くな」

「でも、あそこにお父様がいるんです」


 こうしている間にも父親が遠ざかるのに、彼が離してくれずノルンは焦った。


「離して!!」


 ノルンが振りほどこうとすると抱き締められた。


「行くな」


 父とフォルセティ、どちらを選べばいいのだろうか。耳元で囁く彼の声が魂を揺さぶり、彼の体温が生きていることを実感させる。まだ向こう側に行ってはいけないと言われているようだった。


「そうですね。まだ隊長に恩返ししていないもの」

「ああ。だから、生きて返せよ」


 ー 隊長らしいな。

 ノルンがくすっと笑った刹那、一迅の風が吹いた。父の方を見ると、花びらと共に青い空に舞い散っていく。自分は親を見捨てたのか。いや、誰よりも生きてほしいと願っているのは父親のはずだ。

 


「ノルン!! ノルン!!」


 呼び掛けに、ノルンはうっすらと目を開けた。飛び込んできたのは、花畑ではなく泣きそうなエルデイルの顔だった。


「よかった。気が付いたのね」

「ここは......?」

「医務室よ。毒矢が刺さって、三日も意識がなかったの」

「毒矢......」


 エルデイルに体を向けようとして、胸元に鋭い痛みが走る。


「うっ!!」

「安静になさい。解毒したけど、傷口はまだ塞がっていないんだから」

「あのあと、ぼくはどうなったんですか?」

「フォルが運んでくれたのよ。彼が解毒して止血を......」

 

 ふと、エルデイルが経緯を話すのをやめた。「なんでもないわ」と怪訝そうに見つめるノルンに笑いかける。


「早く元気になってね。じゃないと、あいつに文句言われるから」

「はい」


 ノルンがまた眠りについたのを見届けて、エルデイルは部屋を出た。薬を用意していると、フォルセティが入ってきた。


「ノルンは?」

「さっき意識が戻って、今眠ったところよ」

「よかった」


 彼は深く安堵の息を吐いた。


「解毒剤を飲ませて止血したのはあなた?」


 エルデイルは作業する手を止めることなく聞いた。


「ああ」

「あなたの応急処置のお陰ね。ところで、何か気付かなかった?」


 ノルンが運ばれた時、患部は薬草で止血されていた。そのためには、シャツを脱がせて胸を隠すために巻いた布をずらさねればならない。つまり、ノルンが女という証拠を眼にしたはずである。部下の衝撃的な秘密を知った彼はどう感じたのだろうか。

 

「いや、何も」


 フォルセティは躊躇なく答えた。窓から差した陽の光が、彼のまっすぐな瞳を金色に変えていく。

 

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