その51
ノルン達がいる『グレイプニル』は三方海に囲まれた国で、貿易が盛んで活気に満ち溢れている。大陸と接している国境には深い森林と大河が流れており、こちらも農産物に恵まれていた。
一方、ヴァン族の国は山岳地帯の占める割合が多い。良質の鉱物が採掘できるが農作物の生産量が低いため、食物は隣国に頼っているのが現状だ。貧富の差が激しい地域もあり、情勢が不安定な面もある。
シグムントも裕福な家庭とは無縁だった。生きるために得た力こそ正義、富や名誉は勝手についてくる。歪んだ人生にいつしか血の匂いを覚えた。恐怖で歪む表情が高揚させる狂気な男に集う暴虐な者達もまた、忠誠心などと崇高な志は持ち合わせていない。自身より強い者についていけば楽して生き延びられる、ただそれだけだ。
悪名高い噂で人々を震撼させる日々の中、シグムントはついにグレイプニルの国境まで脅かすようになる。国境騎馬隊と幾度なく激突したが、手応えのない不甲斐なさだった。湾岸警備隊や森林保護隊の支援でどうにか凌いでいた戦況が、ある時期を境に変わった。恐れしか感じ取れなかった烏合の衆に、一枚岩のような連帯感と強固たる信念が備わり勢いがある。
- 面白くなってきやがった。
シグムントは原因を探ろうと混沌とする戦地をかき分けた。辿り着いた先は、指揮を執る黒い髪の若者だった。シグムントが挨拶代わりに雄叫びを上げて剣を振り上げる。若者は振り向きざま、シグムントの重い太刀を受け止めた。金属音が耳を劈く。
つば競り合いで両者が最も接近した。陽の光で金色に輝く若者の瞳が、まるで狼みたいだった。
「ちったあ骨のある奴が出てきたな」
「貴様がシグムントか!?」
不敵な笑みで肯定しすると、若者は生意気にも睨みつける。
「俺は国境騎馬隊長フォルセティ・リンド」
「フォルセティ・リンド……」
シグムントは記憶に刻みこませるため名を呟いた。一度剣を交えれば相手の器量が分かる。正統な剣術ではないシグムントに、フォルセティはよく反応した。普通の人間なら死んでいたであろう場面に、フォルセティは凌いだ。相手に合わせて太刀筋を変える柔軟さに、シグムントも舌を巻く。粗さはあるが精進すればまだまだ強くなる逸材に、体中の血が熱く滾り武者震いした。
「これから長い付き合いになりそうだぜ」
「冗談じゃない。まっぴらごめんだ」
名を聞くだけで戦慄が走るヴァン族を前に、軽口を叩く度胸も気に入った。この場にそぐわない高笑いに、ぎょっとしたフォルセティの顔を今もはっきり覚えている。
これを期に、ヴァン族を退けたフォルセティは『国境の狼』と呼ばれるようになった。
「お頭、奴らが動き出しました」
シグムントは骨付き肉を貪りながら、手下の報告を聞いている。眼球だけ動かして、目の前にいる口ひげを生やした男を見た。獣の毛皮を身に付けるヴァン族とは違い、国の官僚のようなきっちりした服装だ。。後ろには武装した黒装束の男達が控えている。気配を消しても静かに忍び寄る殺意に、無法者も気後れして近寄らない。
シグムントは食べ終わった骨を床に放ると、口ひげの男の革靴の先に当たった。
「あとは手はず通りにやれ」
男は眉をしかめて言った。
数日前、この男達がヴァン族のアジトを訪ねてきた。手下に恫喝させたが、肝が座っているのか修羅場をくぐってきたのか眉一つ動かさなかった。男達の依頼は、国境騎馬隊を襲撃して欲しいとのことである。安易な依頼の割りには報酬は多額だったので、思惑は別にあるだろうが詮索しなかった。あの若者とやり合えて報酬が戴けるならこんなうまい話はない。
「隊長のガキは俺の獲物だ。手を出したら容赦しねえ」
「我々の狙いは別にある」
「目的を果たしたら、俺たちはこれか」
「お前達の身の安全は保障する」
シグムントが首を切る仕草に、男は無表情で答えた。この男の背後にどれだけの大物がついているのか分かり兼ねるが、黒装束の者達はかなりの手慣れと踏んだ。シグムントにとって恐れるに足りないが
ー お楽しみはあとに取っておかないとな。
それから数日後、ヴァン族が国境沿いを襲撃した。互いの蹄の音が大地に轟き、ヴァン族と国境騎馬隊が激しく激突する。ハールやケルムトは前線で、ノルンは遊撃隊として参戦した。
しばらくして、フォルセティは戦いの中で違和感を覚えた。ヴァン族は無法者の集まり、剣術や戦法は素人だ。だが、一部の者達は動きに型があり統率がとれている。幾度も剣を交えたら太刀筋の癖は感触と共に記憶している。ヴァン族は妨げる存在を破壊するのに対して、目の前にいる敵は急所を捉えて確実に仕留める暗殺の剣。動きに隙と無駄がまったくない。
武術の正統性からいえば、国境騎馬隊員も我流でここまで生き延びた。フォルセティはこれ以上戦況を拡大しては不利と判断して、各小隊を合流させるため遊撃隊を援護に回した。
「おいおい、今日の奴等は妙に張り切ってやがる」
ケルムトの第四小隊と合流したハールが忌々しく呟いた。ケルムトも険しい表情を向けて同意する。
「ハール!! ケルムト!! 怪我は!?」
騒然とする場で、ノルンの通る声が聞こえた。白い肌に飛び散る返り血に乱れた金色の髪、どんな状況でもノルンの気高さを消すことはできない。
「大丈夫だ。お前は隊長の援護に行け」
「了解」
ノルンは手綱を引き、馬の方向を変えて走り去った。混沌とする戦場を駆け抜けるノルンに、敵の一人が気付き口笛を吹いた。その音はまるでノルンの後を追うように次々と鳴り響く。
フォルセティを肉眼で捉え、ノルンは群がる敵に矢を放った。彼の背後に回り込んだ男に命中して落馬する。二人は互いに背中を預けた。
「ノルンか。助かった」
振り向いた顔は汗と埃と血にまみれていた。切り裂かれた軍服から滲む血が戦いの激しさを物語っている。
「第二小隊と第四小隊、合流しました。けりが付き次第こちらへ向かいます」
「油断するな。こいつら、ヴァン族じゃない」
「違う賊でしょうか?」
「いや、もっと規模がでかい確かな組織だ」
彼の言葉に、どろっとした不吉な感覚が胸に流れ込んだ。誰かに見つめられているような感覚に身震いする。心臓が激しく高鳴り、辺りを見回した。
ドスッ
鈍い音がした。遅れて激痛が胸元に走り、ようやく矢が刺さっていることに気付いた。急激に意識が遠のいて視界がぼやける。
「ノルン!!」
落馬しそうになったノルンを、フォルセティが片手で支えた。
「しっかりしろ!!」
ノルンの顔が蒼白になっていく。さほど出血もなく急所に命中したわけでもないとしたら、確実に仕留めるため矢じりに毒を塗っていたのか。フォルセティは矢を抜き、胸元に自身のスカーフを押し付けて止血する。もし予想が当たっていたら、一刻も早く解毒しなければならない。エルデイルに診せた方が確実に助かる。しかし、急ぐあまり馬の振動で毒が身体中に早く回ったら......。
フォルセティは頭をフル回転させて、助かる道を模索する。あろうことか、この時は自身が置かれている状況をまったく考えていなかった。敵に囲まれ、ノルンを庇いながら抜け出すなど無謀だ。それでも、やらなければ腕の中にいるノルンは死ぬ。
 




