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その50

 あれから、ノルンについて尋ねる男の話は聞かなくなった。ミーミルの言う通り、たまたまよそから来た者がノルンを見掛けて興味を持ったのかもしれない。最近になって動きがあるヴァン族の対策に追われて、ノルン達の記憶から薄れつつあった。

 ヴァン族は隣国の盗賊で、もっとも勢力が大きく手強い。無法者を束ねる(かしら)のシグムントは性格は獰猛、四十過ぎとは思えない屈強な体つき。あまりの粗暴ぶりに、自国の自警団も恐れをなし野放し状態だ。フォルセティが国境騎馬隊の隊長に就任してから、矛先がそちらに代わり自警団も密かに胸を撫で下ろしている。


 

 ハールとノルンは武具屋に向かっていた。戦に備えて武具の手入れをガルーラに頼んでいたのだ。


「シグムントのおっさん、ここ最近静かだったから隠居したと思ってたのにな」

「シグムント? ああ、ヴァン族の頭」

「この間の一戦で、お前が放った矢でシグムントを退けたっていうじゃないか。きっと仕返しに来るぜ」

「大袈裟だな。あれは隊長が競り勝っていたからだよ」


 武具屋は得物の受け取りで混雑していた。その中にケルムトもいる。ノルン達はそれぞれ挨拶を交わして、ガルーラに声を掛けた。


「じいさん、俺の終わっているか?」


 ガルーラは、ハールを一瞥してノルンに向き直った。


「お前さんの弓、調整しておいたぞ」

「ありがとうございます」

「弓は弄らんほうがいいじゃろう。矢の調子はどうじゃ?」

「矢じりがブレないので安定します」

「そうじゃろうて。あの矢じりはな......」


 先客をそっちのけで長々と説明するガルーラに、ハールが痺れを切らせた。


「おいおい、俺が先だぜ」


 ガルーラはむっとしてハールを睨んだ。


「お前、何の用だ」

「いやいや、何の用じゃねえ。武具受け取りに決まってんだろ。ノルンばっかり贔屓すんな」


 すると、ガルーラはすましてこう言う。


「お前さんは気立てがいい美人と何もかもそこそこの娘、相手ならどちらがいい?」

「そりゃあ、美人かな」

「そういうことじゃ」

「なるほどね......じゃねえよ!!」


 二人の言い合いに、ノルンが割って入った。


「ガルーラさん、ぼくはあとでいいから」

「聞いたか? 健気なことよ。お前さんこそ順番を守れ」

「付き合いきれねえ」


 ハールは盛大なため息をついて天を仰ぐ。この偏屈な老人を言い負かすにはまだまだ修行が足りないらしい。


「ところで」

「なんだよ。また説教か?」


 ガルーラは、呆れるハールの襟元を掴んで引き寄せて声を潜めた。


「近頃、ヴァン族がおかしな動きをしているらしいな」


 警戒を含んだ低い声に、ハールの表情が真剣になる。

 ガルーラは若い頃、諸国を旅していたので数多くの武具屋と親交がある。現在も武具や得物の材料を仕入れで互いに行き来する。そして、交わされる近況報告に各国の動向が隠されている。

 ある一帯の武具屋が忙しくなると、戦いが近いのが不文律だ。戦をするには、まず兵を集める。そして、兵の分だけで武具がいるからだ。武具屋のネットワークは、時に国の機関を出し抜くほど正確で速い。


「あいつらはいつもおかしいぜ?」

「わしが言っとるのは、らしからぬ動きをしているということじゃ。ただ国境を荒らしたいのではないみたいじゃ」

「隊長には?」

「とっくに知っとるわい」


 ガルーラはハールを指差して、きょとんとしているノルンに言った。


「危なくなったら、こいつを盾にして逃げろ」



 ガルーラの情報を肯定するかのように、国境騎馬隊が粛々と慌ただしくなる。表立って動くと、周辺の住民に不安を与えて混乱を招くからだ。部隊と取り引きがある商人は、口が固く信頼できる者を選んでいるが、念のため箝口令が敷かれる。表面上は普段を変わりない暮しでも、できれば巻き込まれたくないのが人々の本音である。

 ノルンが厩舎から出てくると、医務室の薬品庫に一台の馬車が停まっていた。持ち主とエルデイルが、医務室に荷物を運び入れている。ノルンも駆け寄って手伝った。持った感触と匂いで、布袋の中身は乾燥した薬草と分かった。すべて運び終えると、エルデイルは紙にサインして男に手渡した。馬車に乗り込む男に「またお願いね」と言ったら、会釈して立ち去った。


「ありがとう。助かったわ」


 薬草を整理しながらエルデイルが礼を述べた。


「いつもの人と違いましたね」

「止血する薬を頼んだの。遠いけど、あの土地の薬草はとても効くのよ」


 ガルーラもそうだが、こだわりを追求する情熱はすごいとノルンは感心する。


「お母さんの薬はちょっと遅くなるわ。ごめんなさい」


 エルデイルが申し訳なさそうに詫びた。体が弱い母親に彼女が調合した薬を、毎月仕送りと一緒に送っている。襲撃は時を選ばないし、エルデイルは一人しかいない。ほかに医者はいても彼女の代わりはいないのが現状だ。


「この間、いつもより多くもらったから大丈夫です」

「落ち着いたら、すぐ取り掛かるわ」

「無理しないでくださいね」


 エルデイルがにこっと笑った。綺麗だと思った。多忙な日々を過ごしているのにも関わらず、豊かな髪は艶やかで小綺麗にしている。メリハリある彼女の体からはいい香りがして、隣にいると癒された。ユミルが娘に望んでいる女性らしさがそこにある。

 エルデイルが通れば男達が振り向き、目が合えば夢中になった。だからといって、彼女は媚びず己の使命を全うする。そういうところはフォルセティと似ている。


「今度、遊撃隊で出動するんですって?」

「はい。隊長からお聞きになったんですか?」


 エルデイルが間を置いて微笑んだ。


「フォルはしゃべらないわ」


 作戦や編成など秘密事項は決して他言しない、たとえ幼馴染みでも。切れ長の瞳に諭されて、ノルンは一瞬でも疑った自分を恥じた。思わず謝罪の言葉が口からこぼれる。


「すみません」

「できればあなたに出撃してほしくないけど」


 ノルンが女だとこの街で知っているのはエルデイルだけで、知り合ってから何かと助けてくれた恩人だ。


「彼はあなたの弓術を頼りにしてるわ。これは本人から聞いた話よ」

「直接ぼくに言ってくれればいいのに」


 ノルンが不満げに呟いたので、エルデイルは「きっと照れ臭いんでしょう」と返した。口は悪いが、相手の認めるべきところは受け止める懐の広さを持っているという。その点においては同感だ。やはり、エルデイルはフォルセティをよく見ている。恋愛に無頓着なノルンでも彼を慕っているのは伝わる。

 ー 隊長はエルデイルさんをどう想っているんだろう。

 ハールも狙っているが、フォルセティの方がいい雰囲気だ。やはり、二人が過ごしてきた歳月には敵わないようだ。

 しばらくして、数人の娘が訪ねてきた。今後、救護班として教育している者達である。彼女達はエルデイルに会釈したのち、ノルンを見てひそひそ話をし合う。街でもノルンの美少年ぶりは評判で、間近に見られて彼女達の気持ちが高ぶっているようだ。年頃の娘の特徴なのか、エルデイルが「人気者は大変ね」と冷やかした。

 薬草の整理が済んで、ノルンは薬品庫を出た。湿り気を帯びた風は鉄の臭いがした。




  

 

 






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