その5
夜も更けて、食堂は酒と食事を求める客でにぎわい始めた。ノルンたちのテーブルにはウエイターの予告通り、まだ注文していないのに次々と料理が運ばれる。
「すごいな。こんなに食べきれるかな」
「ここの料理は美味しいから心配無用よ」
エルデイルは早速自分の皿に取り分けたが、尋常ではない量にノルンが目を見張る。あんなだけ食べれば胸も大きくなるのかと、彼女のふくよかな胸に視線が流れた。
「なに?」と笑顔で訊かれて、ノルンは咳払いしていやらしい考えを頭から追い出す。
「エルデイルさん、国境騎馬隊ってどんな人達がいるんですか?」
国境騎馬隊を語る前にまずは国防の組織について知る必要があると、エルデイルがワインで喉を潤した。
この国は四つの軍隊で編成されている。軍服の色がそれぞれの性質を表しており、王を守る白い軍服が『近衛隊』モスグリーンは『森林保全隊』、コバルトブルーの『湾岸警備隊』、そして紫紺の『国境騎馬隊』。
最も上品でエリートが『近衛隊』で、最も荒くれているのが『国境騎馬隊』だという。
「ノルンはどんな風に聞いてる? 命知らずの罪人をかき集めた集団?」
図星だったノルンが目を逸らすと、エルデイルがくすっと笑った。
「半分正解で半分違うわ。罪を償ったけど行き場のない人達が自然に集まった感じね」
「エルデイルさんは、彼等のことを良く知っているんですね」
「ええ。特にあいつとは腐れ縁なの」
「あいつって?」
「『国境の狼』と呼ばれている男よ」
聞き覚えのある言葉に、ノルンの手が止まる。馬主が口にしたのもこの名前だった。
「そんなに凄い人?」
「会えばわかるわ」
頬杖をついて含み笑いする彼女に、ノルンは深く聞こうとはせずまたスプーンを動かす。ここまで来て後戻りはできないのだから、今さら何を聞いても覚悟は変わらないのだ。
- せめて、年恰好だけでも聞いておけばよかった。
野菜スープをすすりながら後悔していると、ノルンの目の前を怪しげな三人組が通り過ぎた。小柄、小太り、巨漢とバラエティにとんだ組み合わせに、客達もなるべく取り合わないように距離を置いている。
男達はノルンの斜め前に席を陣取ると、まずは酒を注文してあとから大量に運ばれた料理を貪った。飲むわ食うわで、その勢いに人々は唖然としている。テーブルマナーを身につけているノルンは、豪快で下品な食べっぷりに目が釘付けだ。
しばらくすると、小柄の男がポケットから何やら取り出して自分の皿に投げ込んだ。その直後に、小太りの男が大声でわめき出す。
「なんだ、こりゃ!? 料理に虫が入っているぞ!!」
ざわつく店内に、先ほどのウエイターが飛んできた。
「お客様、いかがなさいましたか?」
「おい!! この店は客に虫を食わせるのか!?」
「とんでもありません。我々は常に細心の注意を払ってお出ししております」
気丈にも反論するウエイターの態度が、連中の癇に障ったらしくますます
「貴様、俺達が嘘をついているとでも言うのか」
「いえ、決してそのような」
「とにかく、気分が悪い。ここの飯代は払わねえぞ」
テーブルには食い散らした大量の皿が積み重ねてある。これを全てタダにすれば店は大赤字だ。
「やっぱり狙いはこれね。随分せこいテを使うじゃない」
エルデイルは最初から男達の狂言だと見抜いていた。この店のコックでもある主は実直な性格で、患者として診ていたエルデイルがよく知っている。それは料理に対する姿勢にも現れていて、最後に必ず自らの目で確かめて運ばせていた。だから、虫が混入するなど客を不愉快にさせるミスはあり得ないのである。
断固として謝罪しないウエイターに、巨漢が掴みかかるとノルンが叫んだ。
「乱暴はやめろ!!」
「ちょっと、あなた!!」
驚いたエルデイルが座るよう袖を引っ張ったが、ノルンは応じず真っ直ぐに連中を睨んで一歩も引かない。
「なんだ、小僧。俺達に文句があるのか?」
凄む巨漢と華奢な美少年。応援したいのは後者だが、仕返しが怖いので加勢しようとする客は誰一人いなかった。
「自分で虫を入れるところをぼくは見てたんだぞ。代金はちゃんと払うべきだ!!」
「本当かい?」
ウエイターが小声で尋ねると、ノルンは力強く頷く。エルデイルも盛大なため息をついて立ち上がった。
「なんなら自警団を呼んではっきりさせましょう」
数の上では同等の三対三だが、メンバーの風体に差があり過ぎる。いかにも胡散臭いメンバーは自警団と聞いてせせら笑った。
「俺達があんな連中にビビるとでも思っているのか?」
巨漢の男がわざとらしく指の骨を鳴らして威嚇する。
「だったら俺が相手してやるよ」
第三者の声に一同が振り向くと、黒髪の若者が立っていた。紫紺のコートを靡かせて歩いてくる彼の瞳にノルンは言葉を失う。
- 金色―!?
見間違いかと思うほど、照明の光で一瞬黄金に煌めいたのだ。
「彼が『国境の狼』よ」エルデイルがそっと耳打ちする。たいそうな呼び名なので、もっと威厳のある騎士を想像していただけに拍子抜けだ。
「帰ってきた早々、騒ぎを起こすとはお前らしいな」
「言っておくけど、今回は私じゃなくてこの子よ」
若者がノルン達を一瞥する瞳は、黄金ではなく琥珀色だった。
「貴様、何者だ!?」
面倒臭そうに前へ進み出て、ノルン達を背中で隠す。見たところ中肉中背、少し背が高いくらいで筋肉ダルマでもなさそうだ。正直、彼のどこが凄いのかが分からない。
「国境騎馬隊隊長フォルセティ・リンドだ」
若者が言い放った途端、小柄な男の顔に汗がぶわっと噴き出した。よそ者の男もまた彼等の悪評を聞いていたのだ。
「紫紺のコートに狼眼!! こいつのシマだったのか!!」
「おい、なんで逃げる!?」
「そうだとも。こんなやつ一ひねりだ」
怖気ついた仲間に残る二人は苛立ちを隠せない。そんなのはお構いなしで、小柄な男は一刻もこの場から逃げ出したくて聞く耳を持たない。
「バカ言え!! 俺はまだ死にたくない!!」
「そうだな。無銭飲食で死んだら末代までいい笑い者だ」
「この野郎!!」
鼻で笑うフォルセティを巨漢が逆上して殴りかかると、彼は半身で交わすと間髪入れず足を払った。あっという間に体勢を崩して、派手な音を立ててテーブルへ頭ごと突っこんでいく。のそりと立ち上がろうとしたところへ、フォルセティの踵落としが脳天を直撃して大の字に気絶した。
鮮やかな攻撃にノルンの胸がときめく。黒髪の若者ではなく強さに惹かれたのだ。彼の元なら自分も必ず強くなれるはずだと。
一番頼りにしていた巨漢が倒されて、二人は腰を抜かしてガタガタと震えている。
「かかってこいよ」
「ゆ、許してくれ」
先ほどの威勢はどこへやら、涙目で助けを乞う連中をフォルセティは冷ややかに見下ろした。
「連中をどうしてほしい?」
フォルセティは、様子を見に来たウエイターに首を巡らす。
「お金さえ払ってもらえれば、とやかく言うつもりはありません」
「だとよ。飯代を払ったらさっさと立ち去れ」
男達は床にのびている巨漢を運ぼうと必死だ。荒くれているが案外仲間思いなのかもしれないと、フォルセティは妙なところで感心した。