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その46

 ノルンは、密売人との一戦で力量の差を痛感して訓練に励んだ。だが、性別の壁は乗り越えられず生傷や得物の破損が絶えない。軽い傷なら放っておいても治るが、物はそうはいかない。修理もタダではないので出来る限り自分で直すことにしている。とは言っても、消耗品の矢は調達しなければならないし、刃こぼれしたら打ち直さなければならない。

 武具のメンテナンスも大事だが、命と体を張る隊員達に心の洗濯も大事だ。なので、部隊は本日渡される給料の使い道で盛り上がる。ほとんどが酒代に消えるので、飲み屋の亭主が付けの取り立てに門の前で待ち構えるという笑い話があるほどだ。

 

「今回は活躍したから楽しみだろ?」

 

 隊員の一人がノルンの肩に腕を乗せた。

 国境騎馬隊は歩合制で、活躍すれば新米でもそれ相応の金額がもらえる。密売人の一件が査定に間に合ってれば、期待できると言う。


「大幅アップなら、お前の奢りで飲みに行こうぜ。紅屋敷の休憩付きで」


 『紅屋敷』とは、隠語で娼館を意味する。以前、ハールに連れていかれて、事に及んでもいないのに入館料だけ払わされた。思い出したノルンは苦虫を潰した顔を向けた。


「飲み屋も紅屋敷も行かない」

「隊長には黙ってやるから」

「だから、ぼくと隊長はなんでもないんだって」

「照れるなよ。危ない目に遭うと助けに来てくれるなんて、俺でも惚れるぜ?」


 絶体絶命の状況で現れる、幼い頃に読んだ物語の英雄みたいだった。だから、老若男女に慕われるのだろう。ノルン自身はというと、今のところ分からない。暮らしていた村の男といえば子どもや老人、若い者はほとんど結婚していた。日々の生活に追われて最低限の感情で生きてきたノルンは、普通の幸せを望むのは贅沢だと思った。

 だからといって、胸に秘めた熱い思いは罪ではなく、ノルン自身の問題かもしれない。


 ノルンは、たかる彼らを巻いて宿舎の裏へ逃げた。給料の使い道はもう決まっている。エルデイルに母親の薬を調合して、給料が割り増しだったら、ダガールにセイムダムの農具をこしらえてもらう。

 ほとぼりが冷めた頃に、出納係の所へ行こうとしていたらハールに出会った。えらく深刻な顔をしていた。


「ハール、何かあった……」


 ハールにいきなり肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。


「黙って俺の頼みを聞いてくれ」

「お金なら貸さないぞ」

「金じゃない。お前しかできないことだ」


 ノルンはまたかと眉をひそめた。『お前しかできない』と言われて何度ひどい目にあったことか。ハールは上着のポケットから、二枚の便箋を取り出して読むように言った。差出人は彼の祖母で、拙い文字と文章だが、孫の身を案じる温かい内容だった。読み進めると将来の妻に話が及び、今週にでも様子を見に来ると締められていた。

 これを見る限り、そんな深刻になるのかと首を捻る。


「問題はばあちゃんが何しに来るかだ」

「ハールの様子を見に来るんじゃないの?」

「俺じゃなくて、嫁さんに会いに来るんだよ」

「嫁さん?」

「ど、ど、どうしよう!!」


 深刻な顔から一転、急にノルンに泣きついた。ハールの話では、いつも心配ばかりする祖母を元気づけようと、つい嘘を書いた。俺は元気でやっている。街の娘に追いかけられるほどモテるが、今はただ一人の女を大事にしている、と。孫の恋愛事情に喜び、祖母は居ても立ってもおられず行動に移したというわけである。

 一つの嘘を隠すにはまた嘘を重ねなければならない。雪だるまみたいに膨れ上がり収拾がつかなくなったのが、まさしく今のハールだった。元々詐欺師なので嘘は得意のはずだが、身内になると違うようだ。


「どうしようって、正直に言うしかないんじゃないかな」

「そしたら、ばあちゃんがっかりするだろう!? 老骨に鞭打って、わざわざ遠い所からやって来るんだぞ」


 ノルンは言葉に詰まった。自分も母親達を騙している身なのだ。


「おばあ様はいつ来るの?」

「……明日」

「明日!?」


 ノルンは思わずすっとんきょうな声を挙げた。ハールもただ指をくわえていたわけではなく、せめて恋人のふりをしてくれる相手を探してみたが全敗だった。期限はとうとう明日に迫り、ノルンに泣きついたというわけである。

 ハールは最後の切り札として、エルデイルの名前を挙げた。彼女に好意を持っているので、あわよくば本当の恋人に託つけたい。

 エルデイルは気前がよく大抵の頼みは聞いてくれるが、問題は恋人のふりをしてくれるかどうかである。恋愛に疎いノルンでも、フォルセティを慕っているのはよく分かる。


「エルデイルさんはお前を気に入っているから、きっとOKしてくれるよ」


 ハールは困りきった顔の前で両手を合わせた。


「ええっ!! ぼくだって嫌だよ」

「頼む!!」

「やだ」

「頼む」

「やだ」


 堂々巡りの末、根負けしたのはノルンの方だった。深い溜め息と共に承諾して医務室へ向かい、事情を話したら、エルデイルは笑顔だったが目が笑っていなかった。


「で、恋人のふりをしろと?」

「ふりだけでいいんです。本気で付き合うわけじゃないし」

「当たり前よ。第一、私じゃなくても他にいるでしょう?」

「ハールがどうしてもエルデイルさんがいいって……」

「はあ!?」

「む、無理にとは言いません」


 威圧感ある拒否に、ノルンは慌てて首を横に振った。


「あの薬売り、女だからバカにしてぼったくりもいいところだわ!!」


 どうやら、ノルンが来る前にひと悶着あったらしく腹の虫の居所が悪い。怒り収まらない彼女にこれ以上頼んでも埒が明かず、この場は大人しく退散することにした。



 ノルンが医務室から出てくると、ハールが入り口で待っていた。結果が気になったのだろうが、ここまで来たなら彼自ら頼めばいいのではないか、とノルンは憮然とした。


「エルデイルさんは引き受けてくれたか?」

「今とっても機嫌が悪くて、それどころじゃなかったよ」


 エルデイルを怒らせたら、難攻不落の要塞より手強い。これは国境騎馬隊の周知の事実である。ハールは腕を組んで「参ったな」と唸った。ノルンがミーミルはどうかと提案したが、肩を竦めた。


「あいつはだめだ。華がないし、色気もない」

「ミーミルだって可愛いよ」

「お前も隊長も、根っからの()()()だな」


 ハールは溜め息交じりにぼやいた。お互い頼める知人が思い当たらず、お手上げ状態だった。


「せめて、お前が女だったらなあ」


 何気なしに呟いたこの一言が、ノルンをぎくりとさせた。


「ぼ、ぼくが女だって!? 失礼にもほどがある」

「だったらの話だ。そんなにムキになるなよ」


 すると、ハールが弾かれたようにノルンに振り向いた。


「そうか!! お前が女になればいいんだ」

「はあ!?」

「ノルンなら、そんじゃそこらの娘より美人だし体格も華奢でちょうどいいや。髪はかつらで長くして、スカートでも履けばわかりゃしないだろう」


 悪い予感が的中して、ノルンは目を剥いた。


「絶対バレる!!」

「大丈夫。お前ならできる」


 この台詞、何度目か。結局、ハールに押し切られて渋々承諾した。久しぶりに女の子に戻るなんて、上手くできるのか不安であると同時に心踊るものもあった。



  




 




 

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