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その42

 隊長室を出たノルンは眩しい朝陽を手で遮った。徹夜明けにこの光の直撃はきつい。外にいた時は目が覚めていたが、部屋に戻ってくるや否やベッドに倒れこんだ。今は朝食より睡魔の方が勝っていた。


「おはよう、朝帰りのノルンくん」


 頭上からの声に目線だけで確認すると、ハールが腰に手を当てて意味ありげに笑っている。ノルンは目の下にクマができた顔を向けた。


「その様子だと寝かせてくれなかったらしいな。隊長もやるねえ」

「うん、ハールの言う通りすごくやり手だったよ」


 あれだけの書類を徹夜で仕上げたのだ。ハールが言った通り『やり手』に違いない。ノルンはそういう意味で言ったつもりだが、その場にいたハールとケルムトは後退りした。


「とにかく寝かせて。お務めはちゃんとしたんだから」


 ノルンは欠伸を連発して、ついに力尽きたのか枕に顔を埋めて動かなくなった。


「お前、綺麗な顔でさらりと言うなよ。こっちが恥ずかしくなるだろうが」

 

 ハールの呟きは、寝息をたてるノルンの耳には届かなかった。この世界で気高く清純なのはノルンだけだった。なのに、薔薇の蕾みたいな口から飛び出すのは下世話な台詞ばかり。この間、娼館から取るものも取り敢えず逃げ出した同一人物とは思えない。

 ノルンの寝息が聞こえたので、ハールとケルムトはそっと部屋を出た。


 夢も見ず眠りの底からノルンを目覚めさせたのは食欲だった。ぼんやりした目で壁の時計を見たら昼食の時間はとうに過ぎていた。ベッドからのろのろと起き上がろうとしたが、二食食いっぱぐれたせいか体に力が入らない。

 ー お腹空いた……。

 視線だけで辺りを窺い、自分の机にパンの山を発見した時にはまるで砂漠でオアシスを見つけたくらいの感動があった。貪り食うその姿は、王女の気品もなくユミルがいたら顔を顰めることこの上ない。次々とパンに手を伸ばし、たちまちノルンの胃袋に収まっていく。気が付けば一気に平らげて、添えてあったぶどうジュースでようやく一息ついた。このパンが誰の差し入れか深く考える余地もない。

 眠気も食い気も満たされたところで、調整に出した弓を受け取りに武具屋へ向かう。主のガルーラは年老いていたが、武具に携わっている間は厳しい眼差しで仕事に一切の妥協はしない男だ。納得しないものなら、たとえ王命でも渡さないだろう。

 ノルンが古びた小屋の入り口で声を掛けたが返事がない。そっと中を覗いてみると、作業場には武具の修理に使う道具や素材が所狭しに置いておった。それらに触らぬよう注意しながら中へ進んで、剣を研ぐガルーラにたどり着いた。キュインと砥石と刃がぶつかる音を一瞬も聞き逃さんと聴覚も研ぎ澄ます。得物の持ち主の癖を見抜き正しい形に修正していく。ここには数人働いているが、この工程だけはガルーラ自ら行う。ようやく満足する仕上がりになったのか、大きく息を吐いたところでノルンの存在に気付いた。


「来ておったのか?」

「こんにちわ、ガルーラさん。ぼくの弓矢は出来ていますか?」

「ちょうど終わったところじゃ。矢じりをアルキドア産の鉱物に代えてみた。軽いうえに丈夫で飛距離ものびるはずじゃ。あそこの土地は鉄分の含有率が……」


 自分の得意分野となればいっそう饒舌でこうなったら止まらない。こちらの都合もお構いなく語り続けるので隊員達が近寄らない原因の一つでもあるが、ノルンは嫌いではなかった。産地の材質だけでなく名物や風土なども折り込んでくる。若い頃諸国を放浪したとあって、話を聞くだけで旅したような気分になるのだ。

 目を輝かせてしゃべるガルーラは本当にこの仕事が好きなのだと実感する。『天職』と呼べる職業に生涯出会える人間がどれだけいるというのか。


「ガルーラさんはどうしてこの仕事をしようと思ったんですか?」


 「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりに生き生きと答えた。彼の故郷は鍛冶屋が盛んで、飲食店より数が多く馴染み深い職業だという。


「物心ついた時から金槌を持って真似したものよ」


 それから頼んでもいない身の上話に及び、ますます帰りづらい空気に焦った。任務に遅れてはさすがにまずい。

 そこへ、ある人物の声にノルンは胸を撫で下ろした。


「おい、午後の任務が始まるぞ」


 フォルセティの登場で、ガルーラはしかめっ面で言葉を止めた。


「今、ノルンと話しておるんじゃ。邪魔するな」

「こいつはじいさんの話し相手じゃない。俺の部下だ」

「権力振りかざしてノルンを独り占めする気じゃな!?」

「どっちがだよ」


 この老人はいたくノルンを気に入っており、何かにかこつけて呼び出す。そんな楽しみに水を注されて年甲斐もなくむくれる老人に、フォルセティは呆れつつ掌を差し出した。


「なんでもいいから、俺の剣は?」


フォルセティも預けていたらしく、ガルーラはぶつぶつ言いながら収納庫から二本の剣を取り出した。その様子に、ノルンは入隊して耳にした噂を思い出す。


《国境の狼が二本の剣を抜けばすべて死に絶える》


 真偽については、フォルセティに直接尋ねたことがある。彼は「そんなのはでまかせだ」と笑っていた。いつも抜くのは腰にある一本だけ、残された剣にどんな秘密があるのか。


「行くぞ」


 顔を上げれば、フォルセティが身を翻して歩き出していた。ノルンもガルーラから弓矢を受け取りあとを追う。


「少しは眠りましたか?」


 隣に並んだノルンが尋ねた。


「まあな。お前は?」

「お陰さまで」

「昨日は助かった。ありがとな」

「ぼくでよければまたお手伝いします」


 フォルセティは返事の代わりに、ノルンの頭に手を置いた。子ども扱いされているようで気分がいいものではなかったが、この頃は違う。くすぐったいような安心するような、なんとも説明しがたい感情を分析していると名前を呼ばれた。


「今度、出動があったらお前を連れていこうと思っている」


 思いがけない言葉に、ノルンはすぐに言葉を返せない。国境騎馬隊になったのは、高額な報酬と強さが手に入る。双方があれば母ユミルとセイムダムを護れると思ったからだ。だから、皆みたいに出動して証明したかった。

 だが、いざ体験してみれば壮絶な戦いに物怖じする心身を鼓舞して弓を引く。果たして自分が放った戦場でどれだけの影響を与えたかはわからない。フォルセティは「助かった」と礼を述べたが慰めではなかったのか。

 

「怖いか?」


 ノルンが神妙な顔で黙ったので、怖気づいたのか不安になった。初陣では見事な働きを見せたが、対峙すれば倒す相手を間近に感じなければならない。恐怖に歪む顔、断末魔の悲鳴、自分に降り掛かる返り血、すべてを受け入れ己の活路を切り開く。理屈では理解しても、繰り返される悪夢に飛び起きる日々。

 大義をしっかり胸に刻みこまなけば、自分も闇に堕ちるだろう。


「ここに来たからには特別扱いはしない。最初に言ったよな? 辞めるなら今だぜ」


 父の壮絶な最期より残酷なものがこの世にあるというのか。

 断固たる決意を秘めたすみれ色の瞳に、フォルセティもまた狼眼ウルフアイで見返す。


「国境騎馬隊へようこそ」


 ノルンは差し出された彼の手を力強く握った。



                            






 


 


 

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