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その41

 ここ数日からしとしと雨が降り続く。雨季に入ったのだ。しばらく続くであろうそれは、乾いた大地に潤いを与え農作物を実りあるものにするが、隊員達には鬱陶しい時期でもある。荒れた天気でも要請があれば出動しなければならないし巡回も欠かせない。一時間も歩けば、雨具でも完全に雨の侵入を防げず何処からか濡れてくる。馬で行けば、戻ってきてからの作業が大変で体調を崩さないよう馬の体を拭くのだ。

 そして、こういう時に当番にあたるのがノルンだった。夜の巡回から戻り、バディのケルムトと雨具を脱いだり濡れた頭を拭いたりと慌ただしく身支度を整える。


「ついてないね、僕たち」

「そうだな」


 ぼそっと答えるケルムトに、ノルンは嬉しくなった。マーニの一件で、この無表情な男も少しずつ人間味が出てきている。


「よ、ご苦労!!」


 詰所にハールがやって来て二人にコーヒーを淹れてくれた。「しかしよく降るなあ」とぼやいた後にノルンを見た。


「そういやあ、愛しの隊長様が呼んでたぞ」

「ぶっ!!」


 ノルンがコーヒーを噴き出すと、それは正面のハールにかかり


「おわっ!! 汚ねぇ!!」

「ハールが変なこと言うから!!」

「照れるな」

「誰が!?」


 ケルムトが差し出した布で、ノルンは口を拭きながらハールを睨みつける。わずかな火種でここまで大火事になったのは、ハールという追い風のせいかもしれない。


「夜のお務めだ、心して掛かるように。うちの隊長、結構やり手らしいぞ。お相手も大変だろうが頑張れよ」


 ハールがこの上なくにやけて片目を瞑ってみせた。一方、ノルンは意味も分からずきょとんとしている。


「はあ……、お前もガキじゃないんだからわかるだろうが」


 とことん世間知らずのお坊っちゃまに、ハールは盛大なため息をついた。


「どうでもいいから早く行け。逃げるなよ」


 ノルンは犬を追い払う仕草でハールから詰所を追い出された。


「お務め? やり手?」

「……」


 愚直な相棒が答えることはなかった。



 多少の疑問を抱えつつ、ノルンは濡れた体の手入れもそこそこに隊長室に出向いた。入室を許可されてドアを開けると、フォルセティは書類の山に埋もれていた。


「お呼びでしょうか?」

「これ、分かるか?」


 向かい合ったノルンに数枚の紙を手渡した。ここでは見慣れない文字で書かれた入国許可書だが、国家外交の必要な教養は受けている。しばらく眺めて「はい」と答えたノルンにほっとした表情を浮かべた。


「急ぎの用なんだ。翻訳してくれないか?」

「僕で役に立つなら」

「助かるよ」


 ソファに座るよう促されたノルンの目の前に書類の束をドサッと置き、自分もまた机にかじりつく。それでも彼のに比べればほんの一部だ。早速用意されたペンと紙に書き写していく。フォルセティにちょっかいかける余裕はなく二人に会話はない。雨が窓を叩きつけるなか、ペンと紙を扱う音が部屋に響いた。最初はこんなになるまで溜めて……と呆れたが、よく考えれば浅はかな思い違いだと気付いた。毎日山のように届く出入国の手続き、他の隊との調整、時と場所を選ばない急出動。フォルセティが無能ではなく、仕事に専念できる環境ではないのだ。あちらこちらふらふらと油を売っているようだが、今後の調整をしているのだと納得する。

 こちらが見ているのも気付かず視線を右に左に動かしてペンを走らせる。いつも遅い時間まで起きているのだろうか。出動があった日はくたくたでベッドの上で眠ることもあった。そんな苦労をおくびにも出さない彼を久々に感心する。


「仕事している俺がそんなに珍しいか?」


 いつの間にかフォルセティをガン見していたらしく、面白くない顔をこちらに向けていた。


「お一人では大変じゃないですか?」


 久しぶりに張り詰めた空気が動いて、ついノルンの口から心の声が零れた。 


「そうだな。黙って座っているのは性に合わないな」

「どなたか補佐に置いてみては?」


 「う……ん」と短く唸って腕を組んだ。


「お前も知っている通り、ここは身分や過去を問わないからちゃんとした教育を受けたやつは少ないんだよ」


 まともに読み書きできない者達が多いなか、優美な字で宣誓書にサインしたノルンが印象的だったという。ノルンは、饒舌で頭の回転が速いハールがたどたどしい字で祖母に手紙を書いていたのを思い出した。学校へ行くのは身分の高い者や富を得た者の子ども達で、庶民は生きるために働かざるを得ない。教養は贅沢とされていた。ノルンも父の死で国を追われ放浪しなければ知らなかった事実だ。


「お前が落ち込んでどうするんだよ」


 しゅんとするノルンに苦笑した。相手の身になって同情するのもいいがそれだけでは生きていけない。自分だけを守る輩に裏切られて傷ついて少しずつ強くなるしかないのだ。強くなる意味を履き違え自分を見失い貶めるこの世の中で、それでも目の前の部下には変わらないでほしい。純粋で気高く……。

 柄になくしんみりする感情を誤魔化すように椅子から立ち上がり、棚からリキュールの瓶を取り出した。


「飲むか?」

「いえ、ぼくは結構で……ぶえっくしゅっ!!」

「今時の風邪は厄介だぞ」

 

 派手にくしゃみするノルンの頭を笑いながらタオルで拭いてやった。昼間と違い、夜になって気温が下がり湿った風が冷気を帯びていた。巡回からびしょ濡れになって戻ってきてから髪を乾かす暇もなかったのだろう。華奢な体格には堪えるはずだ。

 フォルセティは二つのカップに紅茶を淹れてリキュールを数滴垂らした。一連の動作に、ノルンはある記憶が甦る。国王である父親が山と積まれた陳情書や嘆願書に夜遅くまで目を通す時、よく母が差し入れしていた。リラックス効果のある紅茶の香りと集中力を高めるカフェイン、酒を入れることによって体も温まるのだとユミルが微笑んで教えてくれた。

 カップを受け取り一口飲んでノルンの吐息が漏れた。王室の高級品と違い、そこらの市場で売っている安い紅茶なのにどこか懐かしくほっとする。リキュールが冷えた体をほのかに温めていく。


「てっきりお酒そのものを頂くのかと思いました。意外と真面目なんですね」

「俺はいつも真面目だ」


 フォルセティは憮然としてまた机に座って書類を捲り始めた。



 隊長室へ来てどのくらいの時間が過ぎたのだろうか。そのくらい二人は時が経つのを忘れて作業に没頭していた。だから、睡魔に襲われる隙を与えなかったはずなのに、気が付けばノルンは机にうっ伏せて眠り込んでいた。何かの拍子で目が覚めて勢いよく顔を上げて周りを見渡す。


「よだれ垂れてるぞ」


 フォルセティが呆れたように言った。赤面のノルンは慌てて口許を手の甲で拭う。


「眠ってすみません」

「こっちこそ無理させたな。もう帰って寝ろ。午前中の任務は免除してやるから」


 彼は徹夜したのか狼眼ウルフアイが真っ赤なウサギの眼になっている。時々リキュール入りの紅茶を飲んで休憩を取ったが、ほんの数分で切り上げたのだから無理はない。


「俺も寝る。だから帰れ」

 

 これ以上喋るのも面倒と上着を脱いで、先ほどまでノルンが座っていたソファに転がった。すぐに寝息が聞こえたので、ノルンもそっと隊長室をあとにした。


 


 





 


 

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