その37
曲がり角で、ノルンは出会い頭に人とぶつかりしりもちをついた。見上げると、ハールより年上で見掛けない四人の隊員達だ。国境騎馬隊には大勢が様々な任務に従事しているので、初対面でも不思議ではない。
だが、相手はノルンを知っていた。
「お前、金髪のガキじゃねえか」
「ああ、隊長のお気に入りって奴な」
ずいと近づけた顔はかなり酒臭い。ノルンは顔をしかめて彼らの横をすり抜けようとしたが腕を掴まれた。
「おいおい、逃げるなよ」
「離せ」
実はこの四人、前任の隊長が連れてきた部下だった。上官が代わるたびに編成し直す組織は一枚岩ではなく、なかには実力重視の若いフォルセティをよく思っていない者もいる。長く部隊にいるのに、ノルンなどは見た目も華奢で頼りない新入りが目立つのは面白くない。
「見ろよ。細っこい腕だ」
「こんなのでも国境騎馬隊だからな」
男たちの悪態にノルンが睨みつけると、またそれが癇に障ったようだ。
「貴様、新入りのくせに生意気だぞ」
「礼儀ってのを教えてやらねえとな」
ニヤリと笑いにじり寄る彼らに背筋がゾクッとした。身の危険を感じたノルンが必死に振りほどく。
「離せ!! 離せったら!!」
最初は酔った勢いでからかうだけのつもりが、激しく抵抗されて欲情のスイッチが入ったらしい。荒くれ者の中にいるノルンはまさに『掃き溜めに鶴』なのだ。
「こいつ、本当は女なんじゃないのか?」
「男にしておくのは勿体ない」
「この際、どっちでもいい。俺はご無沙汰なんだ。ハール達がいないうちにヤっちまおうぜ」
「そうだな」
このやりとりに、ノルンの体から血の気が引いた気がした。『人間は酔った時と弱った時に本性が出るから気をつけろ』と、セイムダムに教えられたのを思い出した。そして、ハールやケルムト達がこういう者達から守ってくれたのだと知る。
この男たちにはノルンの事情など関係ない、目の前にいるのは己の欲求を満足させる美しい獲物。
生涯を誓った伴侶でもない男に純潔を汚されるのは耐え難い屈辱だ。落ちぶれても王族の誇りまで失っていない。甘んじる義理はなく、ノルンは隊員の腕に思いきり噛みついた。
「いてててっ!! 噛みやがった」
男は慌ててノルンをはね飛ばして、くっきり歯形がついた腕を押さえて痛みをこらえた。その隙に逃げようとしたノルンをもう一人の隊員が押さえ込む。
「逃がすな!!」
ノルンはたちまち三人の男に囲まれてしまった。こうなったら死角になって周りから姿が見えないに違いない。三方から手が伸びて軍服を剥ぎ取られ、シャツのボタンが弾け飛んで白い肩が剥き出しになった。
「やめろ!! やめて!!」
ぎゅっと固く目を閉じてありったけの声で叫んだときだ。
「貴様ら、何してる!?」
揉み合っていた隊員が、怒号と共に物凄い勢いで吹っ飛んでいく。新たに駆け寄った二人の隊員がノルンの盾になった。
「大丈夫か!?」
フォルセティとケルムトだった。ノルンは強張った顔が自然に緩んでいくのを感じた。乱れた髪に破れた軍服、ノルンの哀れな姿に二人は怒りがこみ上げる。一歩遅かったらどうなっていたことか、血が逆流して全身を駆け巡る。自分より弱い立場の人間を捌け口とする行為は卑劣でもっとも許さない。
「ケルムト!! こいつらを独房に投げ込め!!」
ケルムトは命令よりも早く、力強く頷いて四人の男を荒々しく連行していった。フォルセティがノルンを覗きこむと、定まらない焦点がやっと彼を捉えた。
「助けてくれてありがとうございました」
掠れた声で礼を述べると、彼は自身の上着をノルンの肩に掛けた。紫紺のロングコートははだけた肌を隠すのにちょうどいい。しかし、隊の長である証のそれをそれをいち部下が羽織るなど許されないことなのだ。ノルンが慌てて返そうとすると、フォルセティは笑って制する。
「滅多に着られない代物だ。ありがたく思えよ」
口ではああ言うものの、本人は『隊長』という肩書きや象徴に未練のかけらもないようだった。金髪をかき上げるように撫でて、フォルセティは去っていく。
後ろ姿はふつうの青年となんら変わらない。背もハールとケルムトの中間なのに、とても大きく見えるのはこのコートのせいだろうか。
ノルンが宿舎へ帰る途中、血相を変えて走ってくるエルデイルと出会した。彼女はノルンを見るや否や強く抱き締める。
「ああ、ノルン」
まるで自身の身に起きたかのように嘆いた。この様子だとフォルセティが知らせたのだろう。この土地に来て以来、ノルンがもっとも心のより処としている存在で、なにより彼女は医者だ。心身ともに癒してくれると託したのだった。
実際、同性のエルデイルが最初で嬉しかった。ハールもいい人間だが、まだ心の整理がついていないし『男』が近づくのはまだ怖い。
「フォルから聞いたわ。怪我は?」
人の温かみに触れてようやく恐怖が実感となり涌き出る。たまらずエルデイルの胸に顔を埋めて首を横に振った。優しく髪を撫でる仕草が母を思い出して心が安らぐ。
エルデイルは、ノルンを医務室へ連れていき代わりのシャツを渡した。ノルンは奥の部屋で着替えて、別途の上に置いたロングコートを手にした。よく見ると、所々ほつれを繕った跡がある。支給される軍服の数は多くない。公式な場に出るために新品の一着は残して、あとは補修して着回す。いくつもの修羅場をくぐり抜けて、傷だらけなのは人間だけでなく軍服も同じなのだ。
こういった現状はなにも国境騎馬隊に限ったことではない。王族直属の近衛隊を除いては、どこの隊も同じようなものだった。ノルンも王族のままだったら知らなかっただろう。
「着替え終わったかしら?」
ドアの向こう側からエルデイルが訊いた。ノルンが部屋から出てくると、ハーブティのいい香りが漂っている。「お茶にしましょう」とクッキーの缶を開けて皿に並べた。
「ねえ、ここを辞める気はない?」
一息ついたところで、エルデイルが切り出した。
「事情はわかるけど、また同じような目に遭うんじゃないかって心配だわ」
「エルデイルさん……」
「ノルンはいい意味でも悪い意味でも目立つのよ。本当は辞めないでいてほしいわ。でもね……」
今ここを辞めたら母親たちが路頭に迷う。そう続く言葉を、真剣に心配してくれるエルデイルを前にして言えなかった。やはり、男の世界に性別を偽って身を置くのは無理だったかもしれない。
ノルンは静かに深呼吸をした。
「わかりました。考えてみます」
「そう。また何かあったら相談して」
エルデイルは安堵と不安が入り交じった表情でカップに口をつけた。
隊長室へ戻ったフォルセティは思案に暮れた。問題を起こした隊員達の処分をいかようにするか、規律が綴られた冊子を棚から引っ張り出してめくる。ある程度読んだところでドアをノックする音がした。
やってきたのはハールで、たいそう興奮していた。
「隊長、ノルンは無事ですか!?」
ノルンが入隊してからずっと面倒を看てきたのがハールだった。だから、ノルンが襲われたと聞いて心穏やかではなかったはずだ。
「なんとも言えんな。外見上は大丈夫そうでも精神的にどうだか」
ハールは「くそっ!!」と忌々しく吐き捨てた。




