その36
ノルンが厩舎へ向かう途中、こちらへ向かってくるエルデイルと会った。少年が亡くなって二日後のことである。弔いを終えてすぐ、ノルンは次の任務に駆り出されて彼女と言葉を交わす暇がなかった。
あの出来事でエルデイルも心を痛めているに違いない。会ったらなんて言葉を掛ければいいだろうか。そして、いざ本人を目の前にするとやっぱり喉に張りついて出てこなかった。
「会えてよかった」
先に口を開いたのはエルデイルだった。ノルンはぎこちなく頷くのがやっとだった。
「あなたにお礼が言いたかったの」
「ぼくは何も」
「ノルンの歌で救われたわ。私だけじゃなくあのお母さんもそうよ」
我が子を失った母親は絶望に陥りすべてを憎んでいた。もちろん、最期を看取ったエルデイルにはとてつもない怒りが渦巻いた。だが、ノルンの鎮魂歌で母親の悲しみは少しだけ癒されたという。
母子は毎月教会へ来て聖歌隊の歌を聞いていた。少年はそれが楽しみで、いつの間にか口ずさむまでになっていた。父親が褒めると嬉しそうに笑ったのだった。
そのことを思い出した母親は、エルデイルに向けた怒りが理不尽なものと気付いたらしいのだ。
「実はあの歌に歌詞はありません。母が自分で作ったものです」
「そう。素敵なお母様ね」
エルデイルはそう言ってノルンを抱き寄せた。ふわりとした感覚は、ユミルと似た安やぎを感じる。
「ありがとう。あなたがいなかったら、わだかまりが残ったままだった」
「エルデイルさんにはいつも助けてもらっていたから」
これはノルンの本心だ。エルデイルに出会っていなかったら、今頃どうなっていたことか。
エルデイルは体を離して微笑んだ。それは同性のノルンが見ても胸ときめく美しさだった。
「まだ仕事残っているのでしょう?」
「あ、そうだった。馬に餌をあげなきゃ」
「頑張って。たまには話し相手になってちょうだい」
「はい」
二人は手を振ってそれぞれの仕事に戻っていった。エルデイルが豊かな髪をかき上げて歩き出すと、鞍を肩に掛けたフォルセティと目が合った。エルデイルが彼の横を通り過ぎようとした時だった。
「もう大丈夫なのか?」
思いがけない台詞に、エルデイルは怪訝そうに振り向いた。すぐに思い当たり笑みを浮かべる。
「ええ。ノルンのお陰でね」
「みたいだな」
ひょっとしたらフォルセティは二人抱き合っているところを目撃したかもしれない。はたから見れば男女の抱擁としか写っていない。ノルンが女であることを知っているのはエルデイルだけで、それなりの関係ととらえる光景だった。だからこの男も勘違いしているに違いない、言葉のニュアンスからそう窺えた。
周りから『男の子』として扱われて、ほかの隊員と同じように訓練しているノルンをエルデイルは気の毒でならなかった。
「ノルンはいい子よ。大事にしてあげて」
「お前のお気に入りでも例外はない。たとえ誰であろうと俺に従ってもらう」
贔屓する発言に、フォルセティはムッとした口調で答えた。空気を察したエルデイルが小さく肩を竦める。
「それは賛成だわ。あなたの下にいれば生き延びるもの」
「神妙で気味が悪い」
「好意は素直に受け取りなさい」
人を上げたり下げたりする彼女に、フォルセティは眉をひそめた。彼女とは長い付き合いだが本心が読めない所がある。今もそうだ。人を食った態度かと思えば神妙になる、核心を突けば話をはぐらかす。
その点ノルンは楽だ。喜怒哀楽がはっきりして扱いやすい。生死の修羅場をくぐってきたフォルセティから言わせればまだまだ子どもだ。半世紀以上生きているガルーラからしてみれば、フォエルセティもまた『小僧』なのだが。
ノルンのことを考えてふっと思った。
ー ノルンに本気で惚れているのか?
だったら、これまでの言動も頷ける。彼の知る限り年下の趣味はなかった気がするが女心はわからないものだ。
フォルセティが厩舎に近づくにつれて歌声がはっきり聞こえてくる。馬の世話をするノルンだった。伸びやかな高音が美しく聴いている者を魅了する歌声である。
もう少し近くで……、フォルセティが足を踏み入れると歌声が止まり、ノルンがこちらを向いた。
「歌、上手いじゃないか」
フォルセティは鞍を抱えて自分の馬に付けながら言った。ノルンは彼の誉め言葉に一瞬面食らったが、その横顔に他意はなかった。
「母に教わりました」
「本来、鎮魂歌に歌詞はないはずだが?」
あの場にいなかった彼が知っていたことも意外だが、声楽に詳しかったことが更にノルンを驚かせた。露骨に表情に出たノルンに、フォルセティは憮然とする。
「こう見えていち隊長だぜ。鎮魂歌くらい聞いたことはある」
「母が曲に合わせて作ったので正式なものじゃないんです。出過ぎた真似してすみません」
フォルセティは不安げに尋ねるノルンの頭に手を置いた。
「いや、エルデイルも感謝してた」
「エルデイルさんが?」
「ああ。あいつはお前を良く見てる」
頭から手が離れる感覚に彼を見上げる。
「俺たちの大事な相棒だ。しっかり世話しろよ」
フォルセティが馬を連れ出して颯爽と跨がった。騎士としては中肉中背なのに雰囲気だろうか、大きく見える。悔しいがやはり国境騎馬隊の隊長は彼しかいない。
ノルンが厩舎から出るのと入れ違いに、数人の隊員達が雪崩れこんできた。
「ノルン、馬を出すぞ!!」
「何かあったんですか!?」
「この近くで野盗が現れた」
自警団だけでは手に負えない時はこちらに応援要請もしばしある。今週は待機なので、ノルンは引き返して馬を連れ出す手伝いをした。
慌ただしく駆けていく仲間たちを見送るノルンは、さきほどのフォルセティを思い起こす。黒髪を靡かせて先陣をきる彼をまだこの目で確かめていない。いつか自分も彼と肩を並べて戦場へ赴くことがあるだろうか、ノルンはそう思わずにはいられなかった。
夕食時、出動した隊員たちが食堂に現れた。彼らの話によれば、野盗討伐には手間が掛からなかったが、襲われた一行を送り届けるのに時間が掛かったらしい。しかも貴族ということで、失礼のないように丁重に。
「そこのご令嬢が可愛くてさ、ドレスや髪がキラキラしてるんだぜ」
「ふうん。ノルンみたいにか?」
誰かの一言で、ノルンは一斉に注目を浴びた。
「そういえばノルンも貴族だったな」
「え? ぼくは……」
ノルン自ら名乗ったことはないが、金色の髪に気品ある容姿は公言しているようなものである。
「こいつのことはともかく、助けたのが貴族なら礼をたんまり貰ったじゃないのか?」
「お、おい。滅多なこと言うなよ」
「隊長に知れたら大目玉だぞ」
ハールのお陰で話題が逸れてノルンはほっとした。すっとノルンに近づき『借りにしてやる』とハールが囁いた。彼なりに気を使ってくれたのだとちょっぴり感謝する。
夕食を済ませて、ノルンが一足先に食堂を出た。弓の調整をガラールに頼んでいたので帰りに寄るつもりだ。任務を終えた隊員たちの話を聞いていたら、外はすっかり暗くなっていた。あまり待たせてはいけないと、ノルンは急ぎ足で武具屋へ向かった。




