その33
乾いた風が吹き荒れる大地を十数台の荷馬車が突き進む。取引を終えた北の国の商団一行だ。この一帯は積み荷を狙った賊が出没するので避けたいところだが、自国へ戻るにはどうしても国境を越えなければならない。商団の長は旅の無事を祈るばかりだ。
「どうやら無事帰れそうですね」
団長の思いを代弁するかのように、一人の商人が言った。
「まだ安心はできんぞ」
「大丈夫ですよ。こちらには護衛がいます」
団長は並走している護衛をちらっと見た。辺りを警戒する鋭い目、手綱を握る逞しい腕、高い報酬を払って一流の護衛を雇ったが、妙に胸がざわつく。あと十数キロで国境騎馬隊の管轄となる、襲撃を受けても『国境の狼』が護ってくれるはずだ。
だが、砂埃をあげて物凄い勢いで迫ってくる集団を見つけたとき、団長の願いは虚しく破れたと知った。
馬に戦利品をうず高く積んで帰路につく集団、シグムントを頭とするヴァン族だ。あの商団馬車を襲ったのである。満足げな連中とは裏腹に、先頭を行くシグムントは憮然としていた。
殲滅はしなかった。大規模な商団は野盗から身を護るため腕が立つ護衛をつける。大抵は剣士崩れや元騎士だが、シグムントは高揚感を得られなかった。雇い主を放り出して逃げる奴らに殺す価値もない。
-もっと骨のあるやつはいないのか。
シグムントの脳裏に黒い髪に狼眼がかすめた。親子ほど歳の離れた若造だが、このくすぶる胸の内を鎮めるに違いない。フォルセティが国境騎馬隊の隊長に就任してから何度も剣を交えた。荒削りで力強い太刀筋と不利な状況でも諦めない往生の悪さが気に入っている。ぜひ手下に加えたい男だ。
そしてもう一人、この間の一戦でシグムントへ矢を射る者がいた。弓隊の存在は珍しいことではないが、驚くべきは混戦の最中シグムント自身を直接狙ってきたことである。まさしく矢継ぎ早の攻撃に、シグムントは苦戦を強いられながら、ふつふつと湧き上がる高揚感を抑えきれず武者震いをした。
よほど訓練された騎士か、百戦錬磨の強者か。
「頭、こいつらをどうしますか?」
ヴァン族の右腕を担う男が尋ねると、シグムントは馬上から怯えきった商人達を見下ろした。大枚をはたいて雇った護衛に逃げられた挙げ句、自身の命は風前の灯なのだから無理もない。
「逃がしてやれ。俺は慈悲深いんだ」
男は、賊らしからぬ指示をすんなり受け入れて剣を鞘に納めた。商人達を包囲をしていた手下たちもそれに倣う。こんな小物を何人殺したところで欲求が満たされることはない。
損失は大きいが命あっての物種だ。商人たちは、連中の気が変わらないうちに荷馬車に乗り込むと急いで立ち去った。
「せいぜい『国境の狼』に泣きつくこった」
商団がフォルセティ達に駆け込んだところで、シグムント達は国境を離れて手出しできない。砂埃を上げて遠ざかる一行を嘲笑う目で見送った。
商団は命辛々逃げてやっとようやく国境に辿り着いた。ただ事ではない様子は立哨していた隊員の目にも明らかである。ただちに胸に提げた警笛を吹き、部隊一帯に緊急事態を知らせた。その音は訓練をしていたノルン達にも聞こえて、ケルムトが素早く反応して槍を片手に正門へ走り出す。
「召集だ!! 俺たちも行くぞ!!」
叫ぶハールの後をノルンも続いた。
正門には商団と駆けつけた隊員でごった返していた。事情を聴くフォルセティに、団長は安堵した表情でこれまでの経緯を答えた。幸い皆無事なのはシグムントの気まぐれか、食指が動かなかったのか。念のため警戒体制をとることにした。
「それにしても護衛に逃げられるとは災難だったな」
「まったくですよ!! 大金はたいたっていうのにとんだ貧乏くじだ」
気持ちが落ち着いてきたのか、団長は護衛への不満を並べ始めた。長くなりそうなので、フォルセティは部下に任せて場を離れた。
「商団が襲われたんですって!? 怪我人は!?」
エルデイルが医療道具を詰めこんだ鞄を持ってこちらへやってきた。
「皆軽傷だ。運が良かったよ」
「相手はヴァン賊?」
「ああ。やつの機嫌が良かったらしい」
頭のシグムントは時々このような気まぐれを起こす。他の賊だったら今ごろ皆殺しだ。
「そういえばあなたにご執心という噂だけど?」
「よせよ。男にモテても嬉しくない」
フォルセティは迷惑そうに顔をしかめた。シグムントとは隊長に就任してから幾度も剣を相まみえた。力強く荒々しい太刀は、油断していると剣を吹っ飛ばされる威力である。父親ほどの歳なのに衰える気配などまったく見えない化け物だ。この間はノルンの援護射撃で助かったが、一対一では生きて帰れる保証はない。
ちょうどその時、正門へ向かうノルンを見かけた。金髪を靡かせて全速力で通り過ぎていく。ノルンも彼に気づいて一瞬目が合った。何か言いたげな狼眼に立ち止まりそうになる。
「ノルン、ぼやぼやするな!!」
ハールの怒号に、我に返ってまた走り出した。フォルセティの視線をたどり、エルデイルが意味深な笑みを浮かべた。
「心配?」
「何がだよ」
「ノルンも立派な騎馬隊の一員よ。今度こそ出動しなきゃならないんでしょ?」
「お前の方が心配しているみたいだ」
「ええ、あの子はこんな所で死んじゃいけないもの」
「何か知っているのか?」
エルデイルに訊いてもかすかに微笑むだけで答えない。
「念のため商団の人達を診てくるわ」
「あ、ああ。よろしく頼む」
「ちゃんと診察料戴きますからね、隊長さん」
踵を返す彼女の髪がふわりと流れた。薔薇のようなエルデイルは、場違いな華やかさを放っている。美しい容姿と優秀な頭脳を兼ね備える一方、性格は男勝りで負けず嫌いだ。だから、多くの男達が活躍する医学の道を極められたに違いない。そして、悪評高いここの駐在医を買って出たありがたい存在でもある。
ノルンといい、エルデイルといい助けてもらってばかりだ。
ーどいつもこいつも頭が上がらねえな。
フォルセティは、いつまで経ってもうだつが上がらない我が身を嘲笑した。
斥候からの報告で安全が確認すると警戒体制がまもなく解かれた。商団を送り届ける役目にノルン達が選ばれたのは騎馬の実践を兼ねている。
初めて正規の任務に緊張しているのか、ノルンが馬の鞍の装着に手こずっていると
「肩の力抜けよ。もう賊はいねえって」
ハールが苦笑した。
「わかってるよ。でも油断は禁物だ」
「そんなに硬くなったらいざという時に対処できないぞ」
フォルセティが横から鞍を支えて手伝ってくれた。こういう時に力があって背が高い男の方が得だ。
「ノルンの世話係で隊長も来てくれるんですよね?」
「俺はあいつの親父じゃねえぞ」
ハールの言葉に、フォルセティは憮然とした。
「親じゃなくても兄貴とか。お前、兄弟いるのか?」
ノルンの身の上をさりげなく聞き出すハール、こういうところがさすがだとフォルセティは感心する。ノルンは首を横に振った。
「ふうん、隊長は?」
矛先が自分に向いてフォルセティは少し面食らう。とんだ飛び火だ。ノルンとハールがこちらをじっと見ている。
「早く行け。商団が待ってるぞ」
ハールはノルンと顔を見合わせて肩を竦めた。




