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その32

 フォルセティはただ黙ってノルンの横に立ち海を眺めている。


「慰めに来たんですか?」


 我ながら可愛くない言い方だが、今のノルンに相手の気持ちを量る余裕はなかった。見下ろす視線は気にしている様子は窺えない。フォルセティはさざ波に過去を見出していた。


 

 当時、フォルセティは国境騎馬隊ではなかった。剣士として最初に所属していた隊は何かと居心地が悪く、時間が空けば抜け出してこの港へ来ていた。湾岸警備隊には気心が知れたヘイズルーンがいたし、馴染みもあった。

 あてもなくフラフラと港を歩いて、裏路地へ差し掛かった時である。数人の男達が列をなして小さな船に向かっていた。暗い表情に手枷、ノルンが見た光景と同じだった。彼らの中にはやはり幼い子どもが交じっている。使用人という名の奴隷が他国へ売られる話は知っていたが、目の当たりにすると気分がいいものではない。

 助けたいが合法である以上、いち隊員のフォルセティになす術はなくぐっと拳を硬く握って立ち去ろうとした。そこへ一人の女が名前を泣き叫びながら走ってくる。

 悲痛な叫びにも似た声に、最後尾にいた子どもが母親に駆け寄ろうとした。すかさず商売人が鞭で叩き柔らかい皮膚に幾つものミミズ腫ができた。悲鳴を上げる我が子を助けたい一心で近くにいたフォルセティにすがる。


「後生ですから助けて下さい!!」


 彼女にとって目の前の男が何色の軍服を着ているかなど関係なかった。だが、すがられた方はそうはいかない。今ここで温情をかければ越権行為になる。それにこの母子を見逃したところで、使用人売買は後を絶たない。その都度フォルセティが首を突っ込むわけにはいかないのだ。

 結局、二人は涙に暮れながら離れていった。フォルセティは王宮へ戻ると、使用人売買に年齢制限を設けるよう王へ申し出た。法律を変えることはいち剣士の分際では不可能だが、せめて親の温もりを必要とする歳までは対象にさせたくなかったのだ。


 しばらくして申し出が受け入れられると同時に、フォルセティは国境騎馬隊への異動を命じられた。いわゆる左遷である。国境騎馬隊は古くから忌み嫌われていた。昼夜問わずやってくる外敵から国を守る、危険な任務のわりには評価されにくい。自暴自棄になった隊員が賄賂を受け取り密入国させるという事件まで起こり、すっかり周囲からの信用を失うまで堕ちてしまった経緯がある。

 現在所属している隊では彼は異分子だった。多くの者は貴族の子息で構成されているなか、剣の腕だけでのし上がった庶民の彼を疎ましく思っている。

 副隊長をしていた剣士が強くフォルセティを推していたので排除したくてもできなかった。その者がいない今叶うというわけである。

 フォルセティは自身の立場とあの母子を天秤にかけて、迷いなく純白の軍服を脱いだのだった。

 

 

 彼は口を堅く閉じてただずんだ。煌めく海面で金色の瞳はどこか遠くを見つめている。ノルンはふっとヘイズルーンの言葉を思い出した。


《隊長も隊長なら部下も部下だ》


 つまり、彼もかつて同じ状況に立ち会ったということになる。確かめたくて、ノルンは訊いた。


「隊長が法を変えてくれたんですね?」

 

 フォルセティは答えなかったがそうだと感じた。

 同じ憤りを抱えても、フォルセティはこうして形に残したのに、ノルンは喚き散らして仲間に迷惑ばかり掛けている。つくづく自分は非力で子どもだと思い知らされた。


「帰るぞ。みんなが待ってる」


フォルセティが言った。ノルンは見上げて、差し出された手に掴まる。セイムダムより大きくないが掌は同じように硬い。この手で何人の命を救ってきたのだろうか。


「ノルン、今日のことは忘れるな」


 「忘れろ」ではなく「忘れるな」と言う彼に頷く。一時的な怒りはやがて冷めていく。そして思い出せないくらいに忘れ去ってしまうのだ。悔しさが強さの原動力となる。フォルセティの言葉が碇のように胸の奥深くに沈み留まった。


「お前のせいで海鮮丼食いそこなったのは忘れてやる」


 せっかく彼のすごさを再認識したのに台無しである。だが、それがいいのかもしれない。強さを内に秘めひけらかさない、誇りと信念を貫く姿はまさしく『国境の狼』。


「今度奢れよ」

「また連れて来てくれますか?」

「いい子にしてたらな」


 立ち上がったノルンに笑みがこぼれた。フォルセティも笑みで返す。



 部隊へ戻る支度を済ませたハールは歩いてくる二人を見つけた。金髪の美少年と黒髪の男前な青年が並んでいると妙に目立つ。先ほどの沈んだ表情とは違い、フォルセティと会話しながら笑ったり口を尖らせたりいつものノルンだった。

 

「機嫌直ったか?」


 ハールが言うとノルンは罰悪そうに笑った。


「心配かけてごめん」

「別に心配してねえよ。すぐ隊長が追い掛けたし」


 やはりフォルセティ自身の意思で来てくれたらしい。少し嬉しくて安堵する自分がいた。


「お前のせいで海鮮丼食いそこなった」

「今度ごちそうするから許して」

「約束だぞ。ケルムト、聞いたか?」


 ケルムトが頷く。マーニと復縁して彼も以前より人間味が出てきた。


「お、今から帰るのか」


 見送りにやって来たヘイズルーンである。


「ご迷惑おかけしました」


 ノルンの口から謝罪の言葉がすんなり出た。初対面と打って変わって神妙な態度に、ヘイズルーンは拍子抜けしたようで


「フォルセティ、相変わらず手懐けるのが上手いな」

「俺はなにもしちゃいない」

「お前はそういうやつだよ。俺の所へ来てくれたら大歓迎だ」

「悪い冗談はよしてください」


 本気にされては困るのでハールは慌てて二人の会話に割って入った。


「この隊が気に入っているんだ。どこにも行く気はない」


 フォルセティが言うと、ヘイズルーンは肩を竦めた。


「部下達が怖い顔してるから今日のところは諦めてやる」


 ニッと笑うヘイズルーンの口から白い歯がこぼれる。浅黒の肌と対照的だ。



 

 部隊へ戻ると、リドが出迎えた。隊員の無事もさることながら、彼女の目的は別にある。馬から降りたノルンに早速駆け寄った。


「お帰り。ノルン、買い付けは上手くいったかい?」

「はい。明日の朝イチに持ってくるそうです」

「さすがだね。わたしが見込んだだけある」

「部下に買い付けさせるなよ」


 フォルセティが通り過ぎざまに呟くと、リドの眉がピクリと反応する。


「新鮮な魚が食べたいと思わないのかい!? どうせ港に行くんだから頼まれてもいいじゃないか!!」


 口を態度でリドに敵う者はいない。しかも、彼女を怒らせると食事に影響が出るので誰も逆らえないのだ。フォルセティは「わかった、わかった」と面倒臭そうにやり過ごす。

 そして、もう一人到着を待ちわびていた人物が走って来た。


「お帰りなさい」


 エルデイルはノルンではなくフォルセティの前にやってきた。


「アレ、買ってきてくれた?」

「アレ? ああ、いや」


 すると、エルデイルの表情が一気に険しくなり、体中から怒りの炎がメラメラと揺らめく。


「あれほど頼んだのに!!」

「いろいろあったんだよ。任務なんだから仕方ないだろ?」

「あそこの海藻パック、お肌にいいって評判なのよ!!」

「お前は今のままでも充分だ」


 本音かその場しのぎのお世辞なのか。「こういうところが適わねえんだよ」とハールがぼやいた。






 

 


 



 

 

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