その28
「事情も分からないのに首を突っ込むな」
フォルセティは、「でも」と言葉を繋ごうとしたノルンに忠告する。言われなくても分かっているはずだが、憔悴した女の姿が瞼に焼き付いて忘れられなかった。
まだ納得しきれない部下に、このままでは引き下がらないだろうと彼はため息をつく。
「どうにもならない時は早く言えよ」
ノルンが入隊してから、尻拭いばかりの役目にフォルセティは諦めているかのようだった。
次の日、ノルンは街へ来ていた。これといった目的もなくぼんやり歩いていると、行き交う一人と激しく肩がぶつかった。
「ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ」
振り向きざまにお互い目が合ってはっとした。ケルムトと知り合いの女だったのだ。一晩宿で休養を取ったお陰か、最初会った時より肌艶がよく小ぎれいな身支度である。
「あなたは確かケルムトと一緒にいた……」
女が期待に目を輝かせて駆け寄って来た。
「その格好は国境騎馬隊の人ね。ケルムトもそうなの? 彼は元気?」
初対面だというのに矢継ぎ早に質問する彼女に、ノルンは思わず後退りをした。
「あの、ケルムトとどういう関係なんですか?」
立ち止まる二人に買い物で賑わう客達が邪魔とばかりにぶつかってくるので、ノルンは近くの食堂に案内した。店内は数人が早い昼食をとっていて、ノルン達はなるべく目立たない隅のテーブルへ腰を下ろす。
「突然ごめんなさい。私はマーニ、ケルムトとは幼馴染なの」
「ぼくはノルン。彼とは同じ部屋なんだ」
それぞれ簡単な自己紹介をした。一瞬フォルセティのしかめっ面が浮かんだが、先に訊いてきたのは向こうである。自分には非はない。
マーニの話では、ケルムトの家とは隣同士で一緒に育ってきた。無口で愛想がないが、優しく正義感に溢れる彼をマーニは慕っていた。ケルムトも誠実で素直な彼女を想い、やがて二人は恋人となる。
だが、幸せな日々はそう続かなかった。マーニに横恋慕する若者が乱暴しようとところへ、ケルムトが駆けつけて殴り飛ばした。怒りが力を増幅させたのか、たったの一撃で相手は重傷を負ってしまったという。
「彼はなんの釈明もせず罪を受けました。私は必死に訴えたのですが、相手は権力者の息子で……」
皆まで言わなくても読める展開にノルンは静かに息を吐いた。王族だった頃は自分がその立場だったかも知れない、ノルンは胸が痛い。
ケルムトは強制労働所送りとなり、刑を終えたのち行き方知れずとなった。風の便りで国境騎馬隊の存在を知った頃には三年の月日が流れていた。
経緯を語ったマーニは、注文した紅茶を一口飲んで吐息を漏らす。
「ケルムトは元気ですか?」
マーニは最初に出会った質問をもう一度繰り返した。元気だと答えたら「よかった」と心から安堵したようだ。
「元気な姿を見て安心しました。明日、町へ帰ります」
女一人で数十キロの道のりは危険と苦労を伴う。よほどの覚悟で旅をして、やっと見つけ出した想い人と言葉を交わさず去るという。
歯痒い感情がノルンの声を震わせた。
「やっと会えたのに、話もしないで帰るんですか?」
「私が来たのは迷惑だったみたい」
寂しく笑うマーニに、昨日逃げるように場を去るケルムトを思い出した。迷惑というより戸惑った風に見えた。互いの気持ちがすれ違う、これはもはや放ってはおけない。
「帰るのは待ってください。ケルムトを連れてきます」
「またお前、そんな安請け合いを」と呆れるフォルセティを頭の端に追いやった。こうなったノルンはもう誰にも留められない。店を飛び出すノルンを呼び留めようとしたマーニの手は宙を彷徨った。
物凄い勢いで宿舎の部屋へ飛びこんできたノルンに、一同は目を丸くする。
「ケルムトは!?」
ハールは気圧されて窓の方向を顎でしゃくった。ノルンが行先も聞かず部屋から出ていくと、嵐が去ったような空気にハールはぽかんと口を開けて見送った。
ノルンは、訓練場で槍の型をしている長身の男を見つけた。
「ケルムトー!!」
動きを止めたケルムトが目にしたのは、血相を変えて走ってくる金髪のノルンだった。
「ケルムト、ぼくと一緒に来て!!」
息も絶え絶えに懇願する。なかなか動かないので、ノルンは彼の腕を強引に引っ張ろうとした。
「マーニに頼まれたのか?」
ケルムトがやっと口を開いた。
「違う。ぼくが勝手にしているんだ」
ハール達が遠巻きから傍観しているのに気づき、ケルムトが腕を振り払う。
「少しでいい。会って話をしてあげて」
背を向けて明らかに拒否する態度に、マーニの寂しげな笑みが脳裏をかすめた。
「ぼくと勝負しろ!!」
突拍子もない台詞に、ケルムトがわずかに表情を崩す。
「ぼくが勝ったらマーニと会って」
「俺が勝ったら?」
負けまで考えつかなかったノルンは言葉に詰まった。体格、実力……いづれをとってもノルンが勝てる要素がない。後先考えないで口走る性格を今更ながら後悔した。
「一生服従する。これでどうだ?」
「隊長!?」
第三者の登場にノルンが目を丸くする。遠巻きに傍観していたフォルセティは、二人のやり取りで大まかな事情を察したのだ。
「槍と弓じゃ無理があるから、公平に剣でいくぞ」
お互いの得物では用途が違いすぎる。剣でも公平な勝負にならないが、言い出した手前あとに引けない。ノルンはフォルセティが持って来た剣を手に取り位置についた。
「これは命令だ」
ケルムトが納得いかないのか従わない。フォルセティが強い口調で言い渡すと、渋々剣を受け取りノルンの向かい側へ移動した。
「先に降参した方が負けとする」
フォルセティが左手を振り下ろして開始の合図をすると、ノルンが地面を力強く蹴りケルムトの懐へ飛びこんだ。渾身の初太刀をいなされたノルンが体勢を崩して、ケルムトの剣が襲い掛かった。
咄嗟に剣で受けたはいいが、凄まじい衝撃に腕が痺れて手に力が入らない。ノルンの掌から剣がすり抜けると、『待った』をかけてフォルセティを呼んだ。
「もう降参か?」
小声で訊く彼に、ノルンは首に巻いた白いスカーフを外して手渡す。
「これでぼくの手と剣を縛って下さい。取れないようにきつくお願いします」
「剣を握り続ける限り、戦闘の意志があるとみなすぞ?」
「構いません」
途中棄権はない勝負、自ら追いこんだ窮地にすみれ色の瞳が輝きを増す。「上等だ」とフォルセティがスカーフできつく縛り、手と剣を一体化させた。
再び開始された試合だが、ケルムトの攻撃にノルンは小石のごとく右に左に転がっていく。あっという間に、紫紺の軍服は砂埃で白く染まり、白い肌は擦り傷で血が滲んでいる。美しい金髪が乱れてもノルンは何度でも立ち上がった。
「ノルン、降参しろよ!! 意地張ったって勝てはしないって!!」
ノルンの後をつけてきたハールがたまらず叫んだ。ケルムトも同じ意見だ。どうあがいても勝ち目はない、しかも初対面のマーニのために体を張るノルンが分からない。
- どうして他人のためにここまでするんだ!?
「隊長、止めて下さい!!」
ハールは身構えるノルンを見て、今度はフォルセティに頼みこんだ。だが、彼は首を縦に振らない。




