その27 -不器用な恋-
夜更けにエルデイルが医務室で薬品の整理をしていると、窓の向こう側にノルンが歩いているのが見えた。方角からして浴場に向っているらしい。女とバレないために、皆が寝静まった頃にこっそり入浴するしかないのだ。
不憫と同情して仕事に戻ろうとした時、目の端に複数の人影を捉えた。周囲を窺いながら忍び足のハール達である。ノルンが女という疑惑を確かめようと後をつけてきたのだ。
「どうだ?」
「急かすなよ。これじゃよく見えねえな」
脱衣所を覗こうと、ハールが身長より高い位置にある浴場の窓に背伸びしていると
「あなた達、なにしてるの!?」
背後からの女の声に、彼らの心臓が口から飛び出るくらい驚いた。恐る恐る振り向くと、不気味なほど微笑むエルデイルが仁王立ちしていた。
「男の裸に興味があるなんてね」
「ち、違うんです!! 男じゃなくてノルンに用があって」
「おい、馬鹿!!」
焦った隊員が口を滑らしたので、ハールは慌てて制した。
「ノルンがどうしたって?」
「いえ、あの、俺達と風呂に入らたがらないのはなんでだろうって」
エルデイルの凄む迫力に負けて、彼らはあっさり白状する。エルデイルとしては、男所帯に四六時中身を置いて意外ともったと感心した。だが、感心ばかりしていられない。
このまま追い払っても、またハール達は懲りずにやってくる。今回はたまたま気付いたからよかったものの、エルデイルがいなかったら……。
― ノルン、私に感謝してよね。
この場にいないノルンに恩を着せる。
「言うのは気が引けるけど、ノルンのためだから仕方ないわね」
前置きして、エルデイルは息を吐いた。
「あの子の背中に大きな傷があるの。赤ちゃんの頃にテーブルの上から花瓶が落ちたんですって」
もちろん嘘である。こうでも言わないとハール達が納得しないだろう。時々傷の具合を診ているという理由を付け足すと、あっさり彼らは信じた。
「俺たち、傷なんて気にしないけどな」
「あの子、プライドが高いから同情されたくないのよ」
確かに見た目は『いいところのお坊ちゃま』といった感じで気が強い。好奇な視線や同情に敏感で一番嫌うタイプかもしれない。エルデイルがしみじみ言うので、ハール達はようやく納得して宿舎へ帰っていった。元詐欺師を騙せた彼女はほっと胸を撫で下ろす。
外でそんな騒動があったとは露知らず、入浴を済ませたノルンはエルデイルと鉢合わせになった。
「こんばんは。エルデイルさんもお風呂ですか?」
「ううん、通りかかっただけ。ゆっくり入れた?」
「はい。この時間は誰もいないので」
本当はかなり危機的状況だったが、本人には伏せておく。きっと今後も苦労が絶えないだろうから。
エルデイルが「お休み」と言ってノルンと別れた。
翌日、ハール達の様子がおかしかった。妙にそわそわしてノルンと目を合わせようとしない。それどころか、軍服の上着を着ようとしたら手伝ってくれた。今まで一度もなかった気遣いにノルンは眉を顰める。
「なんだか気味が悪いな」
「なにがだ?」
「急に優しくしてくれるから」
「バカ言え。俺はいつも紳士さ」
ぼりぼりと後頭部を掻く紳士はいない。
「なにかやらかしたなら今のうち言いなよ」
「だからなんでもないって」
ノルンは「ふうん」と流して警らに行った。深いため息をつくハールの隣でケルムトがじっと成り行きを眺めている。
ひょっとして昨夜エルデイルが現れたのはケルムトの差し金ではないか。ふっと湧いた疑問を確かめるために鎌をかける。
「一足違いで、風呂には誰もいなかったぜ」
無表情に徹しているケルムトに、心理作戦にたけているハールもお手上げだった。ノルンと一緒に巡回することになっていたケルムトも部屋を出る。
ノルン達の任務は国境警備だけではない。手が空けば自警団と連携して町の保安に携わっている。そして、今日もノルンとケルムトは警らで街へ繰り出した。
店の仕入れや夕食の買い物で賑わっているなか歩いて見回る。
「すごい人だね」
ケルムトが黙っているのでノルンの独り言で終わった。人より頭一つ飛び抜けた彼が鋭い視線を左右に動かして辺りを窺う。
こんな彼だが、ノルンは寝食ともにして分かったことがある。罪は傷害、独身、槍の使い手で武道の腕は確かだ。笑顔は皆無、言葉はめったに発しない。それでも意思の疎通が取れているのは、周囲の努力あってこそだ。
「よお、ノルン。もうこっちの生活は慣れたかい?」
通りかかった八百屋の主が声をかけた。容姿が華やかなノルンは目を引く存在で、この街で知らない者はほとんどいない。
「はい」
「平和で何よりだ」
ノルンが関わったのは一回の出撃とフォルセティ襲撃事件、件数は少ないが内容はハードだ。これを『平和』と呼ぶべきか相棒に尋ねようとした時だった。
「ケルムト!!」
女の声にノルン達が振り向くと、黒いケープを頭からすっぽり被った者が立っている。薄汚れたそれを外すと茶色い髪がこぼれ落ちた。
現れた顔は頬がこけて衰弱しているが、輝きを失っていない瞳が潤んでいた。女が細い手を伸ばしてこちらへ向かってくると、ケルムトは今までにない驚愕の表情で立ち竦む。
「やっと逢えた……」
掠れた声に、ケルムトが踵を返して歩き始めた。女も追いかけようとしたが、ごったかえす客の波で行く手を遮られる。
「ケルムト、知り合いじゃないの!?」
呼び止めるノルンの腕を掴んで、ケルムトは人ごみを掻き分けて進んだ。ノルンが引っ張られながら振り返ると、すでに女の姿は雑踏に消えた。
部隊へ戻った二人は言葉を交わさず別れた。
あの様子だと遠くからやってきたとノルンは確信する。流浪の旅をしていた当時の自分と重なったからだ。
身内どころか生活の匂いさえなかったケルムトに、追いかけてくるほどの女がいたとは。ノルンの胸にしまうには重すぎて、誰かと共用して楽になりたかった。
「お前ならどうする?」
馬小屋に来たノルンは、艶やかな栗毛の愛馬にブラッシングしながら尋ねた。小さく首を傾げる仕草は、まるで人間の言葉を理解しているようだ。大きくため息をつくと、馬から声が聞こえる。
「藁が吹っ飛びそうなため息だな」
「馬がしゃべった!?」
「んなわけあるか」と馬の後ろからフォルセティが顔を出した。二度驚いて、ノルンの心臓は破けんばかりに高鳴る。
「いつからそこにいたんですか!?」
「俺が先だぞ。全然気づかないなんて隊員失格だな」
フォルセティは笑ってノルンの馬を撫でた。ノルンは顔を真っ赤にして俯く。
「心配事か?」
「いえ、大したことじゃありません」
「大したことなくて、あんなデカいため息つくのか?」
フォルセティなら、先ほどの出来事を話しても差し支えないかもしれない。彼の横顔を見ていたらそんな気がしてきた。
「今日、ケルムトと警らに行ったんです。その時、彼を訪ねてきた女の人がいました」
「女?」
「はい」
「身内じゃないのか? 妹とか」
「そんな雰囲気じゃなかったみたいです。会いたくないというか」
フォルセティは腕を組んで狼眼を細める。しばらく考えて、面倒くさそうにノルンを見た。
「まったく、お前は厄介ごとばかり持ってくるよな」




