その26
「売ってくれるようにノルンのお母さんに頼んでくれない?」
材料費などを考慮して、それ相応の代金は支払うと言う思いがけない申し出だった。ここグレイプニルは他方の行商も行き交うので、町の女達も衣服や装飾品に関心がある。ユミルの繊細で美しい刺繍に対して評価も高い。
ユミルは不自由な生活で身も心も疲れ果てていた。道楽としか捉えられても仕方がない特技を嘆いていたが、これを聞けば生きる喜びが湧くかも知れない。
ノルンは快諾しようとしたが、ある問題で思い留まった。
商売とするなら荷物や代金の受け渡し場所がいる。そして、国境騎馬隊に従事していると知れば悲しむに違いない。そんな母を見て、セイムダムは連れ戻しに来るのは想像がつく。
危険は承知だが、今のところ平和でなにより給料がいい。辞めたくはないノルンにすれば複雑な心境だ。
「ちょっと聞いてる?」
「あ、うん」
ミーミルが返事をせかすので困っていると、ちょうど白いエプロン姿のエルデイルが手を振って近づいて来た。往診の帰りか、仕事道具が詰まった革の鞄を提げている。
「こんにちは、お二人さん」
「こんにちは」と返すものの、ミーミルの機嫌は悪かった。それもそのはず、エルデイルは天敵なのである。隊長のフォルセティとも仲がいいし、ノルンを連れてきたのも彼女だった。つまり、ミーミルが好意を抱く人物に必ず関わっている。
エルデイルは美人でスタイルもいいし、おまけに医学に携わる才女だ。彼女が通り過ぎると、ほとんどの男は振り返る。少女の面影が濃いミーミルが勝てる要素は一つもないのだ。
エルデイルが絡む視線に気が付いて
「お邪魔だったかしら?」
「いいえ。お構いなく」
心のうちを探るような笑いに、ミーミルはつんとそっぽを向いた。
「ところで、何かお困りのようね」
今会ったばかりなのに、エルデイルはもうノルンの状況を察していた。ノルンがいきさつを話し始めると、ミーミルはエルデイルの間を裂くように割り込んだ。
「評判がいいから絶対儲かると思うのよね」
「いい話じゃない。少しでも家計の足しになるわ」
弾む二人の会話とは正反対に、ノルンの表情が曇った。エルデイルはある事情を思い出す。
「確か、お母さんは体調が悪かったわね。無理させるかしら?」
「むしろ喜ぶと思います。でも、ぼくが国境騎馬隊にいると分かったら連れ戻されるかも」
ノルンがいなくなるのはまずい、ミーミルは焦った。三人に間が空いてまもなくエルデイルがポンと手を叩いた。
「薬屋のおじさんに取次ぎを頼んでみるわ」
隣町に住んでいる薬屋の主は、各地から薬草を取り寄せるのでエルデイルも調達に週一回は通っている。
迷惑をかけるのではと渋るノルンに、エルデイルは笑い飛ばした。
「私とあなたの仲でしょ? 遠慮しないで」
この一言に、ミーミルが勢いよく振り向いた。
「どういう意味よ!?」
「別に深い意味はないから気にしないで」
「ノルン!! あなたも黙ってないでなんとか言いなさいよ!!」
目を吊り上げて詰め寄る彼女に、ノルンは思わず後ずさる。すると、遠くからミーミルを呼ぶリドの声がした。夕食の支度を手伝う時間だったので、ミーミルはお冠のまま二人の元を去っていく。
「ということで、おじさんに話しておくわ」
散々ミーミルのご機嫌を損ねておいて、エルデイルはにこやかに笑った。
「ありがとうございます」
「いいのよ。それより女の子ってバレてない?」
「今のところは大丈夫だと思います」
「やきもち妬かれるほどにね」
怪訝そうなノルンに、エルデイルの意地悪い笑みは止まらない。
「フォルには気を付けなさい。案外鋭いから」
フォルセティを愛称で呼ぶ者はそういない。エルデイルは「腐れ縁なの」と小さく笑った。
「お母さん、どうしたら胸が大きくなる?」
調理を手伝う娘からいきなり訊かれて、寸胴鍋を掻きまわしていたリドの動きが止まった。
「この子は突然なにを言い出すんだろうね」
呆れる母親になおも尋ねる。
「私も大人になったら、お母さんみたいになる?」
一蹴するにはあまりにも真剣な表情なので、リドはミーミルに体を向けた。改めて見る娘の胸は確かに発達の余地が大いにある。
- この子くらい歳の頃はもう少しマシと思ったけどねえ。
リドは若かりし頃に記憶を遡ったが、なにせ数十年前のことで覚えていない。「そうだねえ」と言ったきり黙りこむ母に、ミーミルは次第に不安になってきた。女の価値は胸の大きさではないが、男ならふくよかな方がいいに決まっている。ノルンを男と思いこんでいるミーミルは落胆した。
「心配することはないよ。大人になったらそれなりになるから」
「本当!?」
「調理場の手伝いしたら大きくなるさ。たとえば鍋をかき回す、これだって胸の筋肉使うだろ?」
リドのいい加減な説明に、ミーミルは杓子を奪い取ると一心不乱に混ぜ始めるのだった。
何気ないエルデイルの指摘が、実はハールたちの間で問題になっていた。ノルンが入隊してかなり経つが、一緒に風呂へ入ったことがない事実が浮上する。
もちろん誘ったりするが、体調や勤務を理由に断ってくる。つまり、誰一人ノルンの裸を見たことがないのだ。好んで見たいというわけではないが、ここまで期間が長いと疑問にもなる。
「あいつ、本当に男か? 女みたいだな」
ふと呟いた一言が波紋を呼んだ。男にしておくには勿体ないくらいの美しさ、華奢な体、変声期とは無縁な透き通る声・・・・・・、思い当たる節は数々ある。
国境騎馬隊員は男という決まりがあるので、中性的な容姿のノルンが来てもてっきり男だと信じて疑わなかった。現に体の線が細い者は世の中にいる。
ノルンの弓術の腕前は初陣で立証済みだ。だが、女の強さは何も武術に限ったことではなく、調理場を任されているリドは腕の筋肉はそこらの男にも負けない。それに腕力で勝っても口では言い負かされてしまう場合もある。
「おいおい、変なこと言うなよ」
ハールが眉をひそめた。『無きにしも非ず』と疑惑が芽吹いたのを打ち消す。
「だったら、隊長も知ってるのか? あの様子だと嘘はついていない感じだけどな」
「そうだな。もし、ノルンが女ならとっくに手を出しているだろうよ」
「いやいや、まだ子どもだから許容範囲外なんだろ」
憶測が憶測を呼んで取り止めがつかない始末だ。いっそうのこと確かめたらどうかという結論に、今夜ノルンの入浴を覗く作戦が飛び出す。
盛り上がる彼らから少し離れたケルムトが何か言いたそうな顔をしていた。
「なんだ、ケルムト。ノルンにちくるなよ」
案の定、押し黙っているので一応釘を刺しておく。と、そこへ絶妙なタイミングでノルンが現れた。刺さる複数の視線に、ノルンは怪訝そうに自分の場所へ向かう。
「なに?」
「うんにゃ。今日も可愛いなあっと思ってな」
「どうせバカにしているんだろ?」
「とんでもない。美貌を保つ秘訣を街の女に聞かれたんだよ」
「特に何も」
「正直に伝えたら殺されちまうぞ」
ハールは苦笑して部屋を出た。目でケムトルに「ばらすなよ」と訴えながら。
ケルムトと二人きりになったところで、何かあったのかとノルンが尋ねると珍しく言葉を発した。
「風呂は短めにしろ」




