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その22

 ノルンはこの状況が理解できず、部屋の片隅に呆然と突っ立っていた。狼狽するノルンを尻目に、女は慣れた手つきでシャツのボタンを外していく。


「な、何をするんですか!?」

「何って、ここではすることは一つ。男と女の営みに決まってるじゃない」

「ええっ!?」


 今から行われる行為よりも、服を脱がされて女とばれることがノルンにとっては大問題なのだ。荷物をかき集めると、急いでドアまで逃げていく。


「ごめんなさい!! ぼく、失礼します!!」

「ちょっと!!」


 女が呼び留めるより早く、ノルンは部屋を飛び出し脱兎のごとく娼館をあとにするのだった。



 その夜、ハール達が上機嫌で宿舎へ戻って来た。娼館に半日しけこんで、ついさっきまで酒場で飲んできたという。こちらは肝を冷やしたというのに、のんきな彼等に文句の一つでも言わないと腹の虫が納まらない。


「ハール!! 一体どういうつもりだ!?」

「お前を『男』にしてやろうという先輩の心遣いさ」

「誰がそんなこと頼んだ!?」

「なに怒ってんだよ。さては上手くいかなかったのか?」

「うるさい!!」


 頭から湯気を出すほど怒るノルンに、ハール達は顔を見合わせて肩を竦めた。「最初はこんなものだ」と余計な慰めにまた食って掛かろうとしたところへ、他の隊員から隊長室へ来るようにと告げられた。



 怒り治まらぬまま隊長室のドアをノックすると、中から「入れ」と声がした。そっと扉を開けると、険しい表情のフォルセティが指で『来い』と合図している。

 ノルンが机の前まで来ると、一枚の紙きれがすっと差し出された。よく見てみると請求書である。


「お前、娼館で料金踏み倒したんだってな?」


 この台詞が怒りの炎に水をかけて、ノルンの顔がさっと凍りついた。


「な、なんのことでしょうか?」

「とぼけるな。女将がここまで取り立てに来た」

「でも、結局なにもしなかったし」

 

 耳まで真っ赤にして口ごもると、フォルセティが呆れたとばかりに盛大なため息をついた。


「あのなあ、何もしなくても入館料がいるんだよ。一丁前に色気づきやがって」


 そんなこと言われても、自分こそ被害者だとノルンは心の中でぼやく。更にフォルセティの説教は続いた。


「ただでさえ、あそこの女将はしつこい。俺は散々嫌味を言われたんだぞ」


 その嫌味がこれである。

『いえね、私もみみっちいことは言いたくないよ。隊員さんは命を張って私達を護っているお得意様だ。あんたの顔を立てて、少々のことは目を瞑ってきたけど道理を外れちゃいけないね。踏み倒されたら商売あがったりだ。ガラは悪いが、仮にも国の組織なんだろ? 聞くところによると、新入りだそうじゃないか。何もかも初めが肝心さ、ちゃんと教育しておくれよ。ところで、あんた最近来ないね? うちの子達が寂しがってるよ。なあに、あんたを巡ってあの子達が取っ組み合いした挙げ句、腫れ上がった顔で商売にならなかったことは水に流しているから来ておくれ』


 一気にまくしたてられて、おまけに昔のことまで掘り起こされてフォルセティはげんなりした。もちろんノルンには一部始終は言わないが。


 まるで以前からの知り合いといった口ぶりに、娼館に行ったことがあるのかと尋ねたら「俺も男だ。行って悪いか」とおくびにも出さない。国境騎馬隊長といえども健全な若者でプライベートまでとやかく言われる筋合いはないはずだ。

 開き直るフォルセティに憮然とする。心のどこかで彼は色沙汰に無縁だと思いこんでいたからだ。聖人君子とは言わないが、人の上に立つ者は毅然として潔白でなくてならない。あのセイムダムのように。

 失望の空気を感じ取ったフォルセティは咳払いして「昔の話だ」と付け加えた。


「とにかく、今から払いに行け」

「だったら、ぼくの代わりにお願いします」

「はあ? なんで俺が」

「もちろん代金は払いますから」

「当たり前だ」


 隊長を使いぱしりにするとは恐れ入った部下である。


「ぼく、ああいう所は苦手で……」

「じゃあ、なんで行ったんだ?」

「ハール達に無理やり連れていかれて、それで……」


 あの時の様子を思い出したのか、ノルンの顔がまた真っ赤になった。見たところ、高貴な出身に違いない。世間知らずのご子息がいきなり娼館に連れていかれたらさぞ驚いたことだろう。

 フォルセティはため息ひとつついて椅子から立ち上がった。


「分かった、行ってやるよ。金は?」

「え? いいんですか!?」


 あっさり承諾するとは思わなかったので拍子抜けだ。「お前が頼んだんだろ?」と苦笑いの彼に、請求書通りの金額を手渡す。母やセイムダムに送金する身には大した額である。


「これは貸しだ。あとで返せよ」

「はい」

 

 隊長室を出ようとした際にノルンが振り向いた。


「あの、その娼婦の方に伝言お願いできますか?」

「この際だ、なんでも引き受けてやるぜ」

「お役に立てずすみませんでした、と」


 確かに娼館で女を抱けなかったら役立たずである。フォルセティは笑いを堪えて「早く帰れ」と追い出した。



 ノルンの娼館デビューは、もっとも危険な人物に知れてしまった。

 食堂で朝食を食べていると、厨房から少女が物凄い形相でこちらへ向かってくる。目は吊り上がり、小さな唇と拳はわなわな震えていた。周りには嫉妬のオーラを纏い、百戦錬磨の隊員達も自然と道を開ける。

 ノルンの前に立ち止まり、両手を勢いよくテーブルに突いた。『バンッ!!』と派手に音を立てて、食器が一瞬宙に浮く。


「ノルン!!」

「や、やあ、ミーミル。おはよう」

「おはよう、じゃないわよ!! あんた娼館に……うぐっ」


 朝っぱらから、しかもこんな大勢の場所で口にする言葉ではない。ノルンが慌てて彼女の口を手で塞いで囁いた。


「声が大きいよ」

「ふがふがっ!!」


 口と一緒に鼻も塞さがれてミーミルは窒息寸前だ。無我夢中で振りほどくと、ますます顔が怖い。


「娼館に行ったってほんと!?」


 今度は声を潜めてくれた。


「行ったけど何もなかったんだ。逃げ出して」

「何もなかった……」


 ミーミルが指を顎に置いてぶつぶつ呟いている。間もなくじろりと上目遣いでノルンを見た。


「それ、本当でしょうね?」

「こんなことで嘘ついても仕方ないよ」


 ミーミルは信用したようで、やっと笑顔が戻った。


「そうよね。まだノルンには早いわよね。でも、どうして娼館に行ったのよ?」

「ハール達が連れて……」

「おい、ばか!! 余計なこと言うなよ!!」


 またミーミルの髪が逆立ち鬼と化すと、隣にいたハールが青ざめた顔で首を大きく横に振る。


「今度のお前達のために社会勉強をだな……」

「大きなお世話よ!!」


 ミーミルは持っていたお玉をハールの頭めがけて振りかざした。



 

「あいててて」


 ハールはミーミルの鉄槌によってできたたんこぶを、まさしく腫れ物に触るようにそっと撫でた。


「まだ頭の芯がしびれているぜ」

「大丈夫?」

「お前が余計なこと言うからだろうが!!」

「自業自得じゃないか」


 心配してやっているのに悪態つかれて、ノルンは口を尖らせる。


「しかしアレだな。お前もお目付け役がいたんじゃ、これから大変だな」

「どうして?」

「女遊びもできやしねえ」


 - まったく懲りない人だな。


 ノルンは呆れた。

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