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その21

 無事帰って来たご褒美なのか、ミーミルは朝食に一品付け加えてくれた。周囲のやっかみやハールの冷やかしもあったが、初陣と夜通しの任務で空腹のノルンにはとてもあり難かった。


 食事を済ませて宿舎へ戻る途中、ハールが「ついてこい」と言い出した。


「どこへ?」

「お前はついてるよ。今日はなんと給料日だ」


 だから、出納係の所へ出向くとのことである。ノルンはここに来てまだ一ヶ月経っていないが、日割りで貰えるらしい。

 出納係の場所は長蛇の列ですぐわかった。封筒の中身を確認してにやける隊員がノルンの横を通り過ぎる。


「昨日の戦いがカウントされないのは惜しかったな」


 ハールが残念そうにぼやいた。ようやくノルンの番が回ってきて、受け取った給料袋の中を覗きこむと、十五枚の紙幣と硬貨が入っている。さすが高収入を謳っているだけあって一ヶ月足らずなのにかなりの金額だ。

 初めての給料の使い道はもう決まっている。ユミルの薬や冬に備えて防寒具を買って送りたい。国境騎馬隊があるお陰で、この街の方が安く手に入るし品質もいいのだ。

 - そうだ。薬はエルデイルさんに相談してみよう。あとは街へ行って選ぼう。

 自分の生活費にもいくらか必要なので、ノルンは頭のそろばんで最低限の経費を弾き出した。



 ノルンはその足で医務室を訪ねた。ドアをノックすると「はーい」と間延びした声がしたので、開けると白衣を着たエルデイルが意外そうな顔で出迎えた。


「あら、怪我でもした?」

「あ、いえ。ちょっと相談があって」

「女ってバレちゃった? それとも騎馬隊を辞める?」


 先走った結論に、ノルンは慌ててかぶらを振る。


「どちらでもなくて、実は母のことなんです」

「お母様がどうかしたの?」

「体が弱くて薬を買って送りたいんです」

「もう少し詳しく聞かせて」


 エルデイルは『医者』の顔つきとなり、ノルンに体を向き直った。ノルンがユミルの症状を語ると、相槌を打ちながら机の紙に何やら書き留めている。そして、立ち上がると薬品が並んだ棚から幾つか袋を取り出した。

 

「この薬で改善されると思うわ。経過を見てまた調合しましょう」

「ありがとうございます!!」


 ノルンは渡された薬を大事そうに胸に抱いた。


「お代はいくらでしょうか?」

「ノルンだから格安にしてあげる」


 もちろんタダで譲ってもらおうと厚かましいことは考えていない。ノルンが提示された金額を払おうと財布を手にすると


「まあ!! 素敵な財布ね。ちょっと見せてくれる?」


 ノルンが差し出すと、エルデイルが瞳を輝かせて受け取った。なんの変哲もない布の財布だが、野菊の刺繍が素晴らしかった。装飾にはうるさいエルデイルさえ、本物と見紛うほどの作品に心奪われる。

 ユミルは趣味として刺繍をたしなんでいたが、その腕前は本職の者も舌を巻いた。

 だが、逃亡の末辿り着いた町は貧しくユミルの刺繍など見向きもしない。高尚な趣味より作業着を繕う仕事の方がよほど金になるのだ。そんなゆとりない生活でも、時間を見つけて施した刺繍はノルンの周りに溢れていた。あかぎれの手で一針一針思いを込めて布に描かれたそれは愛情の証でもある。

 

 だから、エルデイルが財布のそれに気づいた時は高揚した。


「まだ使っていない物があるので、よかったら差し上げます」

「ほんと!? いいの?」


 今度はエルデイルが興奮した。滅多にない機会に断る選択肢などない。


「それ、母が刺繍したんです」

「お母様が? 私もいろいろ見てきたけどこれは素晴らしいわ」

「そう言ってくれると、母も喜びます」


 ノルンが薬の代金を渡そうとすると、エルデイルはそれを押し戻した。


「これは立派な物々交換よ。お母様にはもっと元気になって刺繍をしてもらわなきゃ」


 母の笑顔とエルデイルが重なって涙腺が緩みかけた。いち早く察した彼女が、煎じ方を書いた紙と一緒に薬を持たせて医務室を追い出すのだった。



 ノルンが次に向かったのは市場だった。食材から日用品など様々な店が並ぶ通りは、給料をもらった隊員達が至る所で鉢合わせになる。

 ノルンはいくつかの店を回って、ユミルには水鳥の羽で作られたガウン、ヘイムダムに厚手のコートを買った。

 エルデイルの好意のお陰で、満足いく買い物ができたノルンはある人物を見つけた。人ごみから頭一つ飛び出したケルムトである。


「やあ、ケルムトも来てたんだ」

 

 声を掛けると、ケルムトの肩がわずかに跳ねた。その訳はすぐわかった。彼は店先に並んだアクセサリー、しかも女物のそれを眺めてみたのだ。似合わない組み合わせに、見てはいけない物を見てしまったようで罰が悪い。


「えっと、それ素敵だね」


 ノルンの言葉にケルムトは反応を示した。


「……どれがいい?」

「え?」


 頭上から振ってくる低く呟いた声に、ノルンは耳を疑った。ケムトルのものと認識するまでに時間が掛かった。そして、一挙に心臓が早打ちする。


「ぼくに……?」

 

 正体がばれたのか。うわずった声で訊くと、ケルムトは思い切り眉を顰めて否定していた。ほっとしたノルンは改めてアクセサリーを吟味する。格好は男でも、心は少女なので美しい物は嫌いではない。

 ネックレス、ブレスレット、髪留め……、形も用途も違う装飾に目移りする。

 - 母親に贈るのかな? あの顔で恋人ってことはないよね。

 それこそノルンの偏見というものだ。だったらと、赤と青の石が埋めている銀細工の髪留めを選んだ。少し地味だが無難なデザインで、ケルムトも納得したらしく店主に代金を払った。

 

 別れるタイミングを失ったノルン達は、成り行きで一緒にぶらついているとハール達と出会った。


「ノルン、こんな所にいたのか。捜したぞ」

「お前にいい所を紹介しようと思ってさ」

「命の洗濯ってやつだ」

「お前も男ならわかるだろ?」

「いやいや、こいつはお坊ちゃまだから知らんって」


 彼等は代わる代わる言葉を繰り出すが、一致しているのはだらしなくにやけた顔である。


「一体なんのこと?」

「『百聞は一見に如かず』ってな。行くぞ」


 強制連行されるノルンを、行き先が知っているのかケルムトは踵を返して人ごみに消えていった。


 

 賑やかな市場から遠ざかり、狭い路地を曲がって着いた所は蔦が絡まった二階建ての屋敷だった。木製のドアを開けると、むせるような香水の匂いと見覚えある顔がウロウロしている。露出の多い服を着た女と私服姿の隊員達だ。


「ここは?」

「娼館だ。結構可愛子ちゃんが多いんだぜ」

「ショーカンって?」


 尋ねるより早く、一人の若い女がハールの腕を組んだ。大きく胸が空いたドレスは同性のノルンでも目のやり場に困る。


「いらっしゃい。あら、可愛いお客さんね」

「新入りさ。多分初めてだからお手柔らかに頼むよ」

「それはそれは、随分な大役を仰せつかったものね」


 二人の会話を怪訝そうに聞いているノルンの顎を、真っ赤なマニキュアの指がなぞる。


「ふふふ、ほんと可愛い」

「ノルン。怖がることはないから、全てそのお姉さんにお任せするんだぞ」

「へ? え? なに?」


 両脇に荷物を抱えたノルンは、女に案内されてある一室に押し込められた。そこはダブルベッドがあるだけの殺風景な部屋だった。

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