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その19

 闇に紛れた矢が男の耳を掠めた。

 それからは息つく暇もない連射を次々と剣で薙ぎ払う。新たな手応えに、防壁を凝視したが射手の姿は確認できなかった。 

 

 この男の名はシグムント、筋肉で覆われた大がらな体と獰猛は顔つきはまさに争いを好んでいるように見える。国境を脅かす民族の一つ『ヴァン族』の頭で、フォルセティが国境騎馬隊長に就いてから越境はまだ一度もない。

 親子ほどの歳が離れた若造に、ことごとく阻止されて歯がゆい反面血が騒ぐ。


 いくらシグムントが豪傑でも、間髪入れず襲い掛かるフォルセティに一瞬怯んだ。

 生きるか死ぬかー

 一対一で正々堂々という悠長なことは言っていられない、せっかくの好機を逃す手はないのだ。的確に狙ってくる矢とフォルセティの速い太刀筋、これにはシグムントも苦戦を強いられる。

 シグムントが剣を高々と掲げると、それを合図にヴァン族は一斉に背を向けて撤退した。逃さんと追い掛ける隊員達の前に馬上のフォルセティが制止する。


「深追いはするな。こちらも撤退するぞ」


 闇に紛れた敵を追うのは困難で、この先の地形はヴァン族が詳しく待ち伏せされて殲滅もありうるのだ。一時的な感情で仲間を危険に晒すわけにはいかない。

 守るべき者を守るため見栄や虚勢を捨てられる、それが彼の強さでもあった。



 やがて、フォルセティ本隊の帰還でノルン達は戦いの終わりを知った。ヴァン族が早々に退散したのが幸いして、国境騎馬隊員に死者は出なかったが皆疲弊しきっている。


「各分隊長は被害を報告しろ」


 指示を出すフォルセティは、撤収に駆け回るノルンと出会った。白い肌は煤で黒く手の甲にはすり傷で血が滲んでいるが、どうやら重傷ではなさそうだ。部下の無事をこの目で確認して安堵する。

 正直、この新入りの弓術がこれほどの腕前とは想像していなかった。ノルンの援護射撃がなければ、戦いはもっと長引いただろう。

 

「怪我はないか」

「はい。隊長もご無事で」

「お前のお陰で助かった」


 労いの意をこめて頭を撫でるフォルセティに、ノルンは照れ臭くてわざと悪態をついた。

 

「なんだか気味が悪い……」

「はあ?」


 機嫌を損ねた彼が、今度はグシャグシャと荒くかき乱した。貧しくてもせめて身だしなみはちゃんとする、そう母から躾られていたノルンは爆発した髪に口を尖らせる。


「なにをするんですか!?」

「俺からのご褒美だ。ありがたく受け取れ」


 - 全然ありがたくないんだけど!!

 必死に髪を整えるノルンに、フォルセティは声を立てて笑った。戦いから解放された無防備な笑顔がやけに印象的だった。

 


 事後処理のため去っていくフォルセティを見送ると、入れ違いでハール達が駆けてきた。正門を守った彼等もまた無事だった。


「ノルン、大丈夫だったか」

「ハールこそ怪我は?」

「そんなへまはしないぜ。いや、待てよ。怪我したらエルデイルさんに診てもらえるな」


 真剣に悩む彼に呆れていると、槍を担いだケルムトが通り掛かった。


「ケルムトも怪我はない?」


 ケルムトは、ノルン達を見下ろしてかすかに頷く。ハールは、ケムトルの高い位置にある肩を抱いた。


「それにしても今回は呆気なかったな、ケムトル」

「いつもはこんなものじゃないの?」


 ケムトルは返事の代わりに、ハールの腕を無言で振りほどく。


「ああ。あのおっさん、しつこいんだよ」


 若者のハールにしてみれば、四十半ばのシグムントは『おっさん』と呼ばれても仕方がないだろう。


「どんなやつ?」

「ヴァン族の頭なんだけど、筋肉ダルマで疲れを知らない。ありゃ化け物だ」


 ハールは戦った記憶が蘇り顔を顰めた。


「おまけに顔も化け物じみている。なあ?」と、ケムトルの背中を笑いながらバシバシ叩いた。ノルンはまるでヘイムダムだと思った。化け物じみた顔は当てはまらないが。

 

「あいつとやり合えるのは隊長だけだから、向こうもえらく気に入っているみたいでさ」


 実際に見たことがないノルンは想像がつかず、「ふうん」と軽い相槌を打つ。大柄な体は確かに遠目でもわかる人物ではあった。


「よし!! 今夜はノルンの初陣を祝ってやろうぜ」


 ハールが音頭を取ると、どこからともなく隊員達が集まって盛り上がり始めた。主役であるべきノルンの都合はお構いなしで、話はどんどん進んでいく。


「今から!?」

「当たり前だろ? まずは風呂だ」


 この町は温泉地で、部隊の浴場は源泉かけ流しと疲れを癒すにはもってこいなのだ。隊員達はこぞって浴場へ向かうので、出遅れると癒すどころかますますストレスが増す。ハールも駆け出したが、なかなかついて来ないノルンを振り向いて手招きした。


「ノルンも早く来いよ」

「え?」


 ノルンは初陣の時より顔をこわばらせて立ち尽くした。風呂といえば『裸の付き合い』だと、誰かが言っていたのを思い出したのだ。


「ぼ、ぼくはあとから行くよ。ガラールさんの所に寄って弓の調整をしたいんだ」


 狼狽えた様子は、気が逸るハールには気付かない。


「早くしろよ。主役がいないんじゃ締まらんからな」


 この勢いなら、ノルン抜きでも大いに盛り上がるに違いない。どうにかハールをやり過ごして、ノルンは人知れず安堵の息を吐いた。

 - ああ、心臓に悪い。そろそろ限界かも……。

 そもそも女のノルンが、男だらけの騎馬隊にいること自体無理がある。せめて初給料を受け取るまでの辛抱と自分を励ました。



 まだ騒然とする部隊を横切って武具屋へ向かう。ガラールは戦いで傷んだ得物の修理に追われていた。


「こんばんは」

「おう、ノルンか。今夜が初陣だったそうじゃな。で、弓の具合はどうだった?」


 ノルンの無事より自分が調整した得物の方が気になる様子だ。


「だいぶ馴染んできたよ」

「そうか。どれ、貸してみなさい」


 ガラールは弓を受け取ると真剣な目で観察し始める。そして、取ってつけたように「怪我はないか」と尋ねた。


「うん、大丈夫」

「そうじゃろうな。わしが手掛けた得物で死ぬはずがない」


 などと根拠のない理由で一人納得している。このままずっと身を隠していたいが、そうもいかないので武具屋をあとにした。


 ノルンは、宿舎へ帰る途中に浴場を覗いてみた。まだ隊員達が行き来しているので、煤と汗で汚れた身体は当分洗い流せない。よそ見をしながら歩いていたノルンは、なにやら弾力のある柔らかい物にぶつかってしりもちをついた。


「いてっ!!」

「あら、ノルン。大丈夫?」


 ぶつかったのはエルデイルのふくよかな胸で、見上げたノルンに手を差し出している。ノルンはその手を掴んで立ち上がった。


「ごめんなさい」

「いいのよ。ところで、初陣おめでとう」


 にっこりと微笑むエルデイルは相変わらず美しい。


「ありがとうございます。ぼくは防壁で援護していただけなんです」

「フォルが言ってたわよ。『あいつの弓術は大したものだ』ってね」

「フォル?」

「フォルセティのことよ。昔からそう呼んでるの」


 - それならさっき言ってくれればいいのに。

 いや、あの時彼は『助かった』と礼を述べたのに、照れ臭くてはぐらかしたのはノルンの方だった。


 

 



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