その18 -初陣―
数日後、宝石売りは自国に送還されたのち、詐欺の容疑で裁きを受けることで事態は収まった。そして小さな街で起こった出来事は、人々の口伝えに広まりミーミル達の耳にも届くことになる。
ノルンはハール達と厩舎の掃除をしていた。本来は各分隊で持ち回りとなっているが、つい先日まで字見習い扱いだったノルンの日課でもあった。馬を庭へ放す間に排泄物を水で洗い流してデッキブラシで床をこする。かつて馬主の元で働いていたノルンには手慣れた作業だが数が違うので大変だ。
ノルンが疲労がたまった腰を伸ばしていると、入り口から血相を変えて走ってくる少女が目に入った。長い栗毛を靡かせたミーミルである。ノルンの前にピタリと止まり、荒い息を整えると今にも飛び掛りそうな勢いで尋ねた。
「ノルン、捕まったって本当なの!?」
「あ、うん」
「乱暴されなかった!? 怪我はない!?」
いつになく心配する彼女に戸惑いながら頷く。
「大丈夫だよ。隊長も一緒だったし」
「あの人達、国境騎馬隊をばかにしてるから」
ミーミルは散々自警団の悪口を並び立てたのち、「無事でよかった」としみじみ呟いた。
「心配してくれてありがとう」
礼を言うノルンに、「し、心配なんかしてないわよ!!」と赤面したミーミルは言い捨てて走り去っていく。そんな彼女の矛盾する態度も少し慣れてきた今日この頃だ。
「お熱いことで」
近くで一部始終を見物していたハールが茶化すと、ノルンはため息交じりで訂正した。
「ミーミルは、ぼくじゃなくて隊長に気があるんだよ」
「それこそハードル高すぎだろ。ガキ同志お似合いだって」
「くだらないこと言ってないで、さっさと終わらせるぞ」
『ガキ』扱いされたのと根拠のない冷やかしが腹立たしい。ノルンが詰るとハールが馬糞をやけくそ気味に鍬ですくったものだから、近くにいたノルンやケルムトにも飛び跳ねた。服に付いた馬糞の匂いはなかなか消えない、ノルンは目一杯眉を顰めて声を荒げた。
「もっと丁寧にしろよ!!」
「あ、わりい」
少しも反省しない口ぶりのハールを尻目に、ケムトルは布を桶の水に浸して隣で憤慨するノルンに手渡した。
「ケムトルからも注意して」
だが、長身の男は相変わらず無言で拭き始める。怒りもしないし笑いもしない、感情どころか言葉までどこかへ置いてきたようだ。そして、仕事を終えると自分の馬の所へ行くのを見届けて、ノルンがハールへの怒りも忘れて身を寄せた。
「彼は喋れないの?」
「そんなことはないさ。だけどよ、この間なんか矢が腕に刺さっても呻き声もあげないんだぜ」
矢が刺さった瞬間表情がわずかに崩れただけで、あとは何食わぬ顔で参戦していたという。部隊へ引き上げて手当てをしてみると結構深い傷だった、と当時を思い出したハールが身震いした。
人にはいろいろな性格がある、ヘイムダムもどちらかというと寡黙なタイプだ。ハールは明るくおどけているし、フォルセティは……。
- あの人は今一つわからないな。
物事に無関心かと思いきや部下の名誉を懸けて無茶をする、まさに掴みどころがない。
「ここにいる連中はなにかしら事情を抱えている。下手に詮索するなよ」
釘を刺すハールにもあるのかと尋ねると、オレンジ色の髪を撫で回して「まあな」と小さく笑った。
「ハールはどんな事情?」
「だから詮索するなって言っただろ?」
言った傍から訊いてくるノルンの頭を小突く。
- 隊長もそうなのかな。
口にすればまた小突かれるので黙っておくことにした。
部隊が茜色から暗闇に包まれ夜を迎える。何事もなく今日も穏やかな一日が過ぎようとしていた。見上げれば見事な三日月、谷から吹きぬける風が木々を揺らす。
ピーッ!!ピーッ!! ピーーッ!!
深夜に突如鳴り響いた警笛にノルンは飛び起きた。部屋にすぐさま明かりがつき、軍服に着替える者達で騒然としている。
「服を着替えろ!! ぼさっとするな!!」
どこからか聞こえる怒号で、ノルンも慌てて上着に袖を通した。他の部屋から隊員達が一斉に飛び出すなか、ノルンも厩舎に向かいながらハールに尋ねる。
「今の警笛、緊急事態の合図だよね!?」
「ああ。敵襲、いや賊襲か」
ハールはどうでもいい修正を加えた。
「じゃあ、ぼく達も出動を?」
「新人は足手まといになる。東門で第二分隊と合流して援護だ」
足手まといなんかになるものか!!
ノルンの性格ならそんな強気な台詞が聞こえそうだが、今回は反論せず素直に従った。力がない自分が役に立たないことは一年間の逃亡生活で思い知ったからだ。
ノルンは馬で東門へ向かう途中、同じく馬を駆るフォルセティとすれ違った。普段のおどけた表情とは一転、眼光鋭く口を堅く結ぶ姿にノルンもまた自身を奮い立たせる。
到着したハール達は息つく暇もなく、各々各持ち場へ散っていく。
「おい、金髪の新人!! こっちだ!!」
頭上から振ってくる大声に見上げると、中年の男が防壁から身を乗り出して呼んでいた。ハールが「行け」と顎をしゃくったので、よじ登ると数人の隊員達が弓を手にしている。
「お前はここで敵を迎え撃て」
なるほど高い塀の上なら本隊の足手まといにならずに済む、ノルンは納得して指示された場所に移動した。腰に付けた布袋から弽を取り出して装着すると、隣の青年が話し掛けてきた。
「お前、実戦は初めてか?」
「ああ」
「とにかく撃ちまくれ。味方は撃つな」
「努力するよ」
青年は苦笑して、もうじき来るであろう敵襲に備えて前方を見据える。見下ろすと、既にハール達は他の分隊と合流して隊列を組んで待機しているところだった。
間もなく複数の蹄の音が地鳴りとなって近づくにつれて、周囲の張り詰めた空気がひしひしとノルンにも伝わってくる。本隊を肉眼で捉えた時は、毛皮をあしらった服の賊が雪崩れこんで本隊と渾然一体となった。
「構え!!」
先ほどの中年の男が叫ぶと、ノルンを含む数人が弦を引き次の号令を待つ。やがて、松明の明かりに照らされたフォルセティの片腕が高々と上がった。
「放て!!」
本隊が部隊へ撤退すると同時に、矢が一斉に放たれる。第一射は、先列を直撃して戦力を削いだが壊滅には至らなかった。間髪入れず、続いて二組目の射手達が前へ進み出て矢を放つ。
最初は暗闇で位置が把握できなかった賊だが、燃え盛る矢じりで防壁を攻撃し始めた。そのうちの一本が飛びこんだので、隊員が急いで用意しておいた桶の水で消火する。
「怯むな!! 撃て!!」
怯みはしないが、下から這うように迫りくる矢の攻撃を避けながら狙うのは至難の業だ。そんななか
ノルンは、敵が弓を構えるタイミングを見計らって身を乗り出して連射する。それは確実に敵を仕留めて双方をたじろかせた。
《指揮官を仕留めれば士気が崩れる》
大軍と戦う定石をノルンは思い出した。
- 指揮官はどこだ!?
ノルンの眼が、鎧に獣の毛皮をあしらったひと際目立つ男を探し当てた。フォルセティと対峙しているあの男に違いない。ノルンは弦を力一杯引き、全神経をこの矢に集中した。果たして届くだろうか、などと迷いは一切なく己を信じて矢を放つ。
「いけー!!」
ノルンの叫びと共に、矢は闇を裂き唸りをあげて一直線に突き進んだ。