その11 -初任務は命懸け-
ミーミルは、隣で野菜の皮を剥くノルンを横目で観察した。光り輝く黄金の髪にすみれ色の勝気な瞳、男っぽくなく中性的な美しさを放っている。
― 私より綺麗かも……。
女として自信を失いそうだ。
「なに?」
視線を感じたノルンがこちらを見たので、ミーミルは慌てて目を逸らした。
「お、男の子なのに慣れてるって思ったのよ」
「ああ、これ?」と、吊り上げた皮は薄くそぎ取られている。調理場を手伝いに来る隊員のほとんどが、剣捌きは得意でも包丁は苦手だ。ジャガイモがミニトマトくらいの大きさになるのはざらだが、ノルンは見事に包丁を使いこなしていた。
「お母様の手伝いをしていたから」
- お母様だなんて、いい所のお坊ちゃんかしら? そんな顔してるわ。
少なくとも騎馬隊で、自分の母親をそう呼ぶ者はいない。ここにそぐわない大層上品な少年が来たものだ。
二人はその後、会話らしい言葉を交わさず黙々と作業を続ける。やがて、ノルンが大きく背伸びをした。
「終わった?」
「うん」
「じゃあ、お母さんの所へ持っていくわよ」
剥いた野菜の数は同じくらいなのに、二つに分けられたかごの量に差があった。
「男の子なんだから、このくらい平気でしょ!!」と、ミーミルは少ない方のかごをとっとと選んでしまったので、仕方なく残された大量のかごをノルンが背負うことになった。いくら男を装っていても体はれっきとした女なので、よろめきながらリドの元へ運んでいく。
「ご苦労さん。ノルンは帰っていいよ」
ノルンがぺこりと頭を下げて帰っていくのを、ミーミルは自然と目で追った。
「気になるかい?」
「まさか!! あんな細い身体でやっていけるのかなあ」
「さあ、お前も帰って勉強するんだよ」
勉強より調理場の手伝いがしたくてぐずる娘をリドは追い出した。
ノルンが宿舎へ戻る道すがら、紫紺のコートを靡かせて歩くフォルセティと会った。一礼して通り過ぎようとしたノルンを呼び止める。
「ここでの暮らしは慣れたか?」
「はい」
「だったら、お前に初任務だ」
「ぼくにですか!?」
初めての任務と聞いて、ノルンの胸が躍った。盗賊討伐か、それとも密偵か。彼から告げられた任務はいづれも違った。
「食料調達の護衛を命じる」
「遠い所へ行くんですか?」
「いや、隣町だ」
ノルンは唖然とする。子どもでも使いにいける距離を、騎馬隊がわざわざ護衛するのか。
「ぼくのほかに誰が?」
「お前一人だ。明朝七時に調理場の前に集合、いいな」
良く言えば『護衛』、悪く言えば『荷物持ち』。期待していた分、急降下な現実にノルンが食い下がる。
「ちょっと待ってください。ぼくも前線に出たい」
「俺達は騎馬隊だ。馬を持っていないやつがどうやって戦う?」
痛い所を衝かれて、ノルンは言葉に詰まった。ハールから聞いた初月給を参考にして、母親への仕送りを差し引くと馬が買えるのはまだ先の話である。良し悪しに囚われなければ買えないこともないが、それこそ騎馬隊を名乗るなら立派な馬に乗りたい。
「馬が手に入ったら、その時はまた考えてやる」
横を通り過ぎる彼に、ノルンは渋々と一礼した。
「随分と意地悪ね」
フォルセティが振り向くと、長い髪を一つに束ねたエルデイルがこちらへ歩いてくる。
「盗み聞きとはあまりいい趣味じゃないな」
「失礼しちゃうわ。たまたま通りかかったら聞こえたのよ」
エルデイルが隣りに並んだ。ヒールを穿いているせいか、彼との身長差はさほどない。
「馬が買えるなら、こんな所に来ないわ」
馬が買えない境遇を責めるつもりはない。そのくらいの事情はフォルセティも折り込む済みだ。
「まさか、このまま下働きさせる気じゃないでしょうね?」
「ここは実力と運がなければ死ぬ。お気に入りの坊やを殺したいのか?」
狼眼に睨まれて、エルデイルは肩を竦める。
「あの子は死なない。少なくとも実力はあるもの」
「ひったくりを捕まえたくらいでか?」
呆れるフォルセティに、「そのうち分かるわ」と意味ありげに笑った。
その夜、ノルンは明日の任務に備えて弓の手入れをしていると、別の任務を終えたハールとケルムトが部屋へ帰って来た。
「聞いたぜ。明日、初任務だってな」
からかい半分激励半分のハールに、ノルンは面白くない表情を向ける。
「ただの荷物持ちだよ」
「俺達の胃袋はお前の護衛にかかっているんだ。頑張れよ」
真剣な顔で言うものだから余計わざとらしく聞こえるが、ハールの言葉はまんざら嘘ではなかった。
「最近、若い女ばかり狙って連れ去る事件が起きている。俺達も動いているがまだ捕まらない」
ハールは軍服を脱ぎ捨てると、ベッドに寝転んだ。
「どうして若い女の人ばかり狙うの?」
ノルンがぐっと身を寄せると、ハールはその美しさにごくりと唾を飲みこむ。
こいつが女だったら、即抱くんだけどなあ。
むさ苦しい男所帯でうんざりしているとはいえ、美男子を抱く趣味はハールにない。
「そりゃ、オバサンより若い女の方が使い道があるからさ。お前も男なら分かるだろうが」
女のノルンにはさっぱり分からなかった。
「ケルムトは分かる?」
― おい、よりによってあんな堅物に話を振るなよ。
案の定、ケルムトはノルン達を一瞥するだけで無言だ。
「とにかく油断するなよ。国境を抜けられたら厄介だぞ」
国境を破って他の国へ逃亡したら、入国手続きやら捜索許可やらで早くても二週間はかかる。その間に、誘拐された女達は遠くへ売り飛ばされてしまうのだ。
それを聞かされたノルンの表情が引き締まった。どんな些細な任務でも全力でまっとうする、それがヘイムダムの教えでもあった。明日はミーミルも一緒だ。自分が護らなければと使命に燃える。
翌朝、早目に朝食を済ませてノルンは調理場の前に来た。
「おはよう。よろしく頼むよ」
少しばかりお洒落な格好のリドが、ノルンの肩を叩いた。隣には完璧なおしゃれ着のミーミルもいる。辺りを見回すと、二人の女が立っていた。
「みんなで四人ですか?」
「今日は買い付けだから、うちらで充分さ」
どうやら、大量の荷物は持たずに済みそうだ。隣町までは徒歩十五分なので馬は使わない。出発しようとしたところへフォルセティがやって来た。
「可愛い隊員を借りていくよ」
「ああ」
そして、背中に弓を背負ったノルンに首を巡らす。
「ノルン、油断するな」
「はい」
ただのお供ならそれに越したことはない。皆を無事部隊へ連れて帰ることが大事なのだ。
フォルセティは、初任務となるノルンとリド達が小さくなるまで見送った。
隣町に着くと、既に朝市で賑わっていた。ノルン達がいるグレイプニルより店数が多く、ミーミルは大きな瞳を輝かせてきょろきょろと辺りを見渡す。
「お母さん、あの雑貨屋へ寄ろう!!」
「先に用を済ませてからだよ」
母親に窘められて、ミーミルは頬を膨らました。
「少しくらいいいじゃない」
「ミーミル、リドさんの言うことを聞いて」
「なによ、偉そうに。人さらいなんて私が退治してやるんだから」
あまり危険を認識していないミーミルは、さらに口を尖らせる。
― 隊長が同行していたら、きっと聞き分けがいいんだろうなあ。
早くもひと波乱ありそうだ。