表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/62

その10

 ノルンが入隊して二週間が過ぎた。サイズが合わなかった軍服もだいぶ体に馴染んできている。

 馬の世話や調理場の手伝いなど未だに下働きだが、衣食住タダで給料ももらえるのだから文句はない。宿舎へ遅く帰るので、夜勤者だけ気を付ければ入浴も怪しまれずに済ませられる。のんび湯につかりたいところだが、そうもいかなかった。

 騎馬隊の任務も、今のところ街のいざこざを仲裁するくらいで平和そのものだ。巷の噂とかけ離れて大きな騒ぎもなく、気構えていたノルンは拍子抜けである。

 だからといって、いつ国境を破る者達が現れるとも限らないので鍛錬は欠かせない。各々の得物で行うのだが、ノルンのそれはガルーラに預けたままだ。調整の仕上がり具合を窺おうと武具屋へ行く。


「こんにちは」と声を掛けたが、作業中で聞こえないのか返事がない。更に大きな声で呼ぶと、中から出てきたのは老人ではなく長身の隊員だった。


「あ、ケルムト。君もいたのか」


 ケルムトは相変わらず無口で細く鋭い目で見下ろしたが、ノルンも彼の不愛想をとりわけ気にもしなかった。


「ガラールさん、いる?」と尋ねると、ケルムトは小さく頷く。横を通り過ぎる彼から鉄の匂いがした。

 話し声が聞こえたのか、前掛けをしたガルーラが奥から出てきた。


「ノルン、来とったか」

「こんにちは。弓の様子を見に来ました」

「出来とるぞ。試し打ちをしてみるか?」

「はい」


 弓を受け取ったノルンは、ガラールに連れられて裏の方へ回った。短く刈られた草むらと遠くにある大木に下がっている的がある。しばらく使われておらず、弓を得物とするのは今はノルン以外にいないという。

 ノルンは弽を手につけて矢筒から一本の矢を抜くと、目を閉じてすうっと深呼吸した。こうしているとヘイムダムの教えが耳元に蘇る。

 やがて、おもむろに目を開けて弓を構えた。数十メートル先の的を見据えて、キリキリと弦を引き一気に矢を放つ。風を裂き一直線に駆け抜けたが、惜しくも的の中心からだいぶ反れた。

 だが、ノルンは落胆しない。最初の一射は感触を確かめたのだ。新しく調整されてどのくらいズレが生じるのか、自分なりに修整して頭に書き換える。ガラールも分かっているのか、詰らず黙って見ていた。

今度は矢筒から数本まとめて抜くと地面に突き刺す。


 ここからのノルンは凄かった。ゆっくり構えたのは最初だけで、間髪入れず放たれる矢は的へ吸い込まれていく。息つく暇も与えず正確な動作に、ガラールから感嘆の声が漏れた。

 すべて射終えたところで、ノルンは残心を解くと「ふう」と大きく息をした。それを見届けて、ガラールが的へ歩み寄る。ほとんどが中央に命中する成果に、彼はつい笑みがこぼれた。これまでいろいろな騎士に出会って確信する、この子は弓の名手になると。

 ガラールが抜いた矢をノルンに渡して尋ねた。


「ノルン、流鏑馬やぶさめをしてみらんか? 馬を連れて来い」


 ノルンの表情が一気に曇り首を横に振った。馬の世話はしても、相棒ともいえる自身の馬はいない。結局、馬も持たずまいだと告げると、老人は憮然とした。


「馬がおらんとな? それを早く言わんか」


 ガラールが何か言おうとした時に、ちょうどハールの呼ぶ声と重なった。


「お前、こんな所で油を売っていたのか。調理場のオバサンたちが騒いでいたぜ」


 ノルンはハッとして武具屋の壁時計を見ると、調理場の手伝いの時間が過ぎている。慌てて弓を背負い、矢筒を肩に掛けた。


「もう行かなきゃ。ガラールさん、ありがとう」

「おい、まだ話は終わっとらんぞ」

「また来ます!!」


 一礼して慌ただしく走り去るノルンに、ガラールはぶつぶつと言いながら見送った。


「ほんと、あいつにはお優しいこと」


 隣に並んだハールが、自分と明らかに態度が違うと不満を口にする。


「俺とノルン、この差はなんだろうな!?」

「まず、あやつはわしを『じいさん』と呼ばん」

「じいさんなんだから仕方ないだろうが」


 禿げた頭に白髪が辛うじて生えている姿、誰がどう見ても『じいさん』だ。本当のことを言われて、年甲斐もなく拗ねているのかとハールは呆れた。


「『お兄さん』とでも呼べばいいのかよ。厚かましいにもほどがある」

「だから、わしはお前は好かんのじゃ」


 ハールの頭を小突きたいところだが、あいにく背が届かず腹いせに脛を蹴る。


「いってー!! 怪我したらどうするんだよ!?」

「エルデイルに診てもらえばいいじゃろう」


 すると、ハールのしかめっ面が消えて笑顔が広がる。


「その手があったか!! じいさん、ありがとよ」


 ハールが嬉々して診療所の方角へ駆けていった。憎まれ口を叩かれたかと思ったら礼を言われて、ガラールは小さな目を丸くした。



 ノルンは急いでエプロンに着替えて調理場へ入ると、出会い頭に人にぶつかった。


「キャッ!!」

「うわっ!!」


 尻もちをつくほどの衝撃に、二人の顔が同時に歪む。


「大丈夫?」

「大丈夫なわけないでしょ!! どこ見て歩いてるのよ!?」


 甲高い怒号が辺りに響き、リド達がこちらへやって来た。


「ごめん。急いでいたものだから」

「気をつけなさいよ!!」


 怒り治まらぬ人物は、ノルンと同年代の少女だった。ふわふわの長い髪、くりっとした大きな瞳とふっくらとした白い頬は紅潮している。横柄な口を利かなければ間違いなく可愛い。


「って、あなた誰? 見慣れない顔ね」

「新入りのノルンだよ。で、これがうちの娘のミーミル」


 リドが紹介すると、ノルンは改めてミーミルを見た。たてよこがっちりとした母親とは正反対で、ミーミルは小柄で線が細い。着ている服は高価ではないが、エプロンドレスが彼女の雰囲気に合っていた。

 ミーミルは腕組みして、冷めた目をノルンに向ける。


「あなたがノルン? お母さんから聞いてはいたけど、ほんと女の子みたいね」

「綺麗だろ? 男の子にしておくには勿体ないよ」


 実際女であるノルンは、母子の会話を素直に喜んでいいのか迷うところだ。


「騎馬隊は顔じゃないのよ。隊長みたいに逞しくないと」

「隊長? フォルセティ隊長のこと?」

「そうよ。どこの隊長より素敵なんだから」


 フォルセティを語るミーミルは、口調に刺々しさはなく恍惚の表情である。乙女心に縁がないノルンは、彼女の変わりようについていけなかった。

 

「ミーミルは隊長がお気に入りなのさ」


 リドが小声でノルンに囁くと、ミーミルが「余計なことは言わないで」と口の形だけで母親に文句を言った。

 - 隊長か。そういえばあれから会っていないな。

 街の食堂での乱闘騒ぎ以来、面と向かって話をしたことがない。ハールやケルムト達は会う機会があるだろうが、下働きで日が暮れるノルンは見掛けるくらいだ。自分もいつかあの狼眼ウルフアイの隊長と前線に出る日がくるだろうか。それにはまず馬がいるので、初給料で買おうと楽しみにしている。


「おしゃべりはこのくらいにしときな。ミーミル、ノルンと一緒に野菜の皮を剥いておくれ」

「ええ!? 私がノルンと?」


 ごねてみたが、母親の鋭い一瞥に「はーい」と間延びした返事をして包丁を手に取った。


「ほら、早くやるわよ」


 頬を膨らますミーミルから微妙に距離を取って、ノルンも皮を剥き始めた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ