親切な銀河系
大学時代の友人、ギーク博士と16年ぶりに出会ったのは、NYで開かれた世界科学者会議でのことだった。
しし座L77星での生態調査を終え、私は久々に地球で休暇を取ったところだった。
そこで昔の同僚たちに会ったり、大学や政府関係者にコネをつけて予算獲得の下準備をしておくのも悪くないと考え、NYまで足を伸ばしたのである。
そこで見たものは、大勢の人々に取り囲まれて笑っているギークだった。
彼は孤独な男のはずだった。マッドサイエンティストを絵に描いたような怪異な風貌で、異様な長身。禿げ頭で、いつも自信ありげにニヤニヤ笑っている。科学者としてのプライドが高く、他人にはあまり関心を抱かない。
べつに悪人というわけではない。だが敬遠されるタイプである。私にとって彼は唯一の友人ではないが、彼にとって私はそうだったはずだ。
そのギーク博士が、なにやら多くの人々に取り囲まれてちやほやされている。酒や料理を必要以上に彼にサービスしようとしているし、研究予算に不足はないか、いくらでも言ってくれなどと豪儀なことまで口々に言われている。
「どうしたんだ。今日のギークはやけに人気だな、ギークのくせに」
私は隣の同僚に尋ねた。
私が宇宙にいる間に、何か功績をあげたのかもしれない。しかし普通のパーティならともかく、地球一流の科学者たちが集まる世界科学者会議の二次会である。ちょっとやそっとの発見や発明で、ここまでされることは考えにくい。それほどの功績なら、宇宙に出ていた私にだってニュースが飛び込んできたはずだ。
さあ? と友人は肩をすくめた。
そこで私は人ごみを縫って、彼に直接聞いてみることにした。
「それはだな、これが原因だ」
ギーク博士は答えて、ワイン色の液体が入った小ビンを取り出した。ビジネスマン用に売られているスタミナドリンクの三分の一くらいの大きさの、本当に小さなビンだ。
「その液体が、何か重要な研究の産物なのかい?」
「幸せを呼ぶドリンクだ。まて帰るな」
なぜか私は、その出来の悪いジョークに愛想をつかして離れていくのをやめ、素直に彼に振り返った。
「……と言うと?」
「これは私の発明でな。親切誘発剤なのだ」
私はギークの顔を見た。
が、彼の表情からは、心から自分の発明を自慢したいという気持ちしか見て取れず、私を担いでやろうという気配は微塵も感じられなかった。
「これを飲んだ奴にはな、誰でもとても親切にしたくなるのだ。そいつの望みをぜひ手伝いたいという気分にさせてくれる。いま、君は私の言う事を信用していなかったのに『帰るな』と言ったら従っただろう。それが効果だよ」
そう言われれば、確かに私も、本気で去ろうとしていたのに振りかえった理由を、自分では説明できない。
「疑うなら試してみろ」
そう言って、彼は私にそれをくれた。
どうやらそれは有効だったようだ。
私はいたるところで、あらゆる人から親切を受けまくった。最初は気分が良かった。が、必要以上に親切を受けまくる。意味も無く座席を譲られるし、何の列に並んでも前の人が順番を変わろうとする。逆にこちらが申し訳ない気分になるのだ。
実際、ばつが悪い。
普通の人間にとって、フェアでないと思っている利益を得るのはきまりが悪いものなのだ。いや、悪人が不当に利益を貪る時でさえ、自分の悪知恵の出来に対する満足感が、きまり悪さを帳消しにしているに過ぎないのではないだろうか。こういう利益を「薬の効果で勝手にやっていること」とあっさり割り切れるのは、他人のことなど気にしない、まさにギーク博士のような人だろう。
いいかげん気疲れがしてきたので、私はギークに電話をした。
「分かった。君の発明の効果は十分実証されたよ。効果を消してくれ」
「消す方法なんてないが」
「おい!!ふざけるな!!」
「いいじゃないか。副作用はないはずだし、他人が利益を寄こしてくれるようになるだけだろう。何の問題もないはずだ」
やっぱりそういう奴だった。健全な人間関係を築いている者の精神的な負担というものを、何も理解していない。
一方的に切られた電話は、私が途方にくれている間にまた鳴った。ギーク博士からではなく、宇宙調査局からの電話である。
また宇宙に行かないかという話だ。新発見の地球型惑星の調査員に推薦されたのだ。その惑星は地球型も地球型、大気成分も地球そのままで、宇宙服の必要すらないという珍しい星だった。そんな珍しい惑星に、単独調査に行けるというのである。
なんという幸運――いや、これすらも薬の効果なのかもしれなかった。私は、少々一人になりたい気分になっていたから。
ライバルはみな辞退した。そればかりか全ての候補者が、ぜひにと私を推薦してくれたらしい。実に申し訳ない話だ。
そういうわけで私は今、この星にいる。
環境は地球そっくりなのに、地球とは大いに異なる進化を遂げた様々な動植物。一秒一秒が、知的好奇心を満たす驚異の連続。これだから宇宙はやめられない。地球の人間関係に(贅沢きわまる意味で)疲れていたので、一人になれるのも嬉しかった。
ふと、向こうの空から何か巨大なものが飛んでくるのが見えた。
飛行機? いや、文明を持つような知的生物はいないはずだ。
望遠鏡を自分の目に当てるより早く、それは私のいる位置からほんの200メートルほどしか離れていない岩の向こうに、轟音とともに着陸した。
それは、ティラノサウルスを五十倍に大きくして、趣味の悪いSF映画のデザイナーがごてごてと飾りを付けたような怪物だった。背中には刺々しい背びれがあり、頭にはツノが何本も生えている。コウモリのような翼まである。この惑星の食物連鎖の頂点に立っているであろうことは、一目で見てとれた。
ひとことで言うと「宇宙怪獣」と呼ぶのがふさわしい。
私は岩陰にへばりついたまま、息を殺していた。見つかったら終わりだ。手持ちできる武器で追い払えるような動物ではない。
ズシン、ズシン。
そいつが歩くだけで、地震のような衝撃が足元から伝わって来る。
だが、その音は少しずつ小さくなっていった。どうやら私に気付かずに離れて行ったようだ。
「ふーーーーーーっ」
一気に緊張が解けた私は、地球から持参した貴重なタバコを取り出した。
が、どうやらライターを落としたようであった。思わずため息をついた。火が欲しいな、と思った。
その途端に手元が、何か大きなものの蔭になったように暗くなった。
あの怪獣が岩から身を乗り出し、こっちを見つめていた。奴が口をぱっくり開けた時、にっこり笑ったように私には見えた。
次の瞬間、五千度の炎が私のタバコと、私を焼き尽くした。