四、
クリスマスを四日後に控えた土御門家の庭には、クリスマスツリーが飾られていた。セシアはその根元に腰かけ、空を見上げている。
近くに白羽の姿は無い。彼は今、雪美に連れられて買い出しの手伝いに行っている。翼も、雪美が一緒ならば大丈夫だろうと判断し、外出を許可した。
というより、ここ最近、弓削光からの接触が特にないため、クリスマス以降は、自由気ままに過ごしてもらおうかと検討しているらしい。
ここ数日を思い出しながら、セシアが微笑んでいると、一人の来客があった。
普段から護と月美にかまってもらっている小学生だ。しかし、この日は少し様子がおかしかった。
どこか、空ろな眼をしている。
「……ドシタノ?」
「……セシアお姉ちゃん?」
「そうだケド……何かご用カナ?」
セシアが答えると、小学生の目が怪しげに光った。それを見た瞬間、セシアは本能的な部分が警鐘を鳴らしていることに気づいたが、すでに遅かった。その光を見ていると、セシアの意識はすっと闇の中へと落ちていった。
――しら、は……
セシアの意識が落ちたことを確認すると、小学生はその場に倒れ込んだ。
そして、タイミングを計ったかのように一人の男が土御門邸の門をくぐり、セシアに近づいて行った。
白羽が、いや、土御門邸の全員が弓削光を甘く見ていたことを痛感したのはそれから数時間後だった。
「……まさか、子供を使ってくるとは、な……」
翼はそう呟き、護と月美の方を見た。
二人とも黙っている。しかし、その目は言い知れない怒りに満ちている。おそらく、自分たちが普段親しくしている子供を利用されたことにいらだちを覚えているのだろう。
無関係の人間を、平気で巻き込んだことに、腹を立てているのだ。
「……護さん、月美さん。俺、行きます」
二人の沈黙を破ったのは、白羽の一言だった。
「……わかった。だが、俺も行くぞ」
そう言って、護は立ち上がる。翼はそれを止めなかった。白羽も同様だ。
今の護を止めることはできない、そう、心の奥底で感じ取ったからだ。
弓削光がどんな人物かは知らない。だが、彼女のやっていることが、多くの未来ある命を失わせていること、そして、セシアの慈愛に満ちた心を壊してしまいかねないことを知ってしまった。
そして、セシアを取り戻すために、無関係の人間を巻き込んだ。
それだけで、護の怒りに火をつけるには十分だ。そして、それらの行為は月美の怒りにも火をつけてしまっていた。
「……護、私も行く」
「わかった」
護は二つ返事で答えた。
危険だから、と言って止めはしない。護も、月美の怒りが十分にわかっていたのだから。
だが、月美も行くと言い出した時、翼は二人を止めた。むろん、行くこと自体に反対しているのではなく、事前の準備もなしに特攻を仕掛けようとしていることが目に見えていたから止めたのだ。
「そのままいくのはやめなさい。しっかり準備してから、な」
君たちには先行してもらうことになるが、私も零課の人間に連絡し次第、現地に向かう。
そう言って、翼は呪具の類を保管している倉庫へと、二人を案内した。
三人の背中を見送り、白羽は単身、土御門邸を後にした。
陰陽師である彼らには、呪具の準備が必要だろう。だが、超能力者である白羽に必要なものは特にない。強いて言うならば、防刃ベストの類や安全靴のようなものが欲しかったが、そうもいっていられない。
いや、むしろ今は準備している時間すら惜しい。
焦る気持ちを抑えられず、白羽は土御門邸を出て、風に舞い、空を駆けだした。
その数分後、支度を整えた護と月美は屋敷の外を出たが、そこに白羽の姿がないことから、先に行ったことを察した。
「……白羽君、無理しないといいんだけど……」
「それを祈ることが無理ってものだろ……あいつ、俺たちよりも頭に血が上っている状態だったし」
護はセシアがいなくなったことを知った時の白羽の様子を思い出しながら、月美に言葉を返す。月美は、それを思い出し、それもそうか、とそっとため息をついた。
そう話していると、翼が電話を片手に持って、屋敷から出てきて、護に声をかける。
「保通からだ……お前に話があるそうだ」
「……保通さんから?」
護は翼から受話器を受け取り、スピーカーモードに切り替え、話し始める。
「保通さん、代わりました。護です」
『あぁ、すまないね。音が割れているから、スピーカーモードか……月美さんが近くにいるのかな?』
「あ、はい。います」
迷惑でしたでしょうか、と月美が問いかけると、保通はかえって都合がいいといって、そのまま月美も聞くように言ってきた。
『弓削光の研究の目的がわかってね。知らせておこうと思ったんだ』
君たちが研究所に乗り込むか乗り込まないかは知らないが、知っておいて損は無いと思ったからね、話しておくよ。
保通がそう言い、弓削光の実験の真相を語り始めた。
その内容は、彼女自身の正義を何が何でも実現させようという強い信念を感じさせるものがあった。
しかし、それでも二人は彼女が正しいとは思えなかった。
「保通さん。たとえ、保通さんが調べたことが、彼女があれほど過酷な実験を行う理由だったとしても……」
『わかっている。そういうところはお父上譲りだと言うことも、ね』
だから君は、君の信念を貫きなさい。たとえ、その選択をした先にどんな困難が待ち構えていてもね。
保通はそう言うと、幸運を祈る、と言って電話を切った。
どうやら、翼が今の状況を伝えていたらしい。
受話器を翼に返し、護は右手で刀印を結ぶ。いや、結ぼうとした。言霊を唱えようとした時、翼が声をかけ、それを制止したのだ。
「零課の人間が研究所に向かうにはまだ少し時間がかかりそうだ……暴れることは構わないが、術でむやみに人を傷つけるなよ」
「……わかっているよ……」
土御門家の家訓、なんだから。
翼の忠告に、護は眉をひそめながら答える。
土御門家の家訓には、いや、土御門家に連なる術者全員に課せられた戒めとして、「術を以て人を傷つけることなかれ」、というものがある。
陰陽師が行使する術はいずれも人を異形の存在から守るためのもの。時には己の力で、時には神の力を借りて行使する術は、どれも強力で普通の人間がその身に受ければ、たちまち彼岸と此岸のはざまへといざなってしまう。それゆえ、術を用いて守るべき人を傷つけてはいけない。
「……『我、力振るうは守るため。人と人の世の安寧を守らんがためなり』……」
護は右手に力を込め、事あるごとに教えられてきた言葉をつぶやく。そして、意を決したかのように右手で刀印を結び、言霊を紡ぐ。
「かの者のゆく道、指示せ、アビラウンケン!」
護が紡いだ言霊に応じて、普通の人間が見ることのできない、光の轍が土御門の屋敷から伸びていく。
これが、セシアを連れていった人物がたどった、いや、正確には「セシアがたどった」道の痕跡だ。
「月美、しっかりつかまってろよ」
「うん!」
護が差し出した手を、月美はしっかりと握り、うなずく。月美に握られた手をぎゅっと握り返し、護は再び言霊を紡ぐ。
「風神……」
しかし、その前にふわりと体が宙に浮く。
見ると周りの草が風になでられているかのように、さらさらと動いている。護は周囲をきょろきょろと見渡すと、透き通るような青い髪の毛をした青年が傍らに立っている。
十二天将、木将青龍だ。
「青龍……手伝ってくれるのか?」
「さっさと行くぞ。姫をちゃんとつかんでおけよ」
そう言うと、風は三人を持ちあげ、そのまま上空へと投げ出し、そのまま空中で轍の跡を追うかのように移動を開始する。
「十二天将って、こんなこともできるんだ……」
月美が目をキラキラと輝かせながらそう呟くと、護はみんながみんな、こんなことをできるわけではない、と説明する。
十二天将は、陰陽五行の属性一つに属している。そのため、十二体の神格は土将、火将、水将、木将、金将の五つに分類される。ちなみに、青龍は木将、朱雀は火将だ。
そして、風を操ることができるのは、風の属性を持つ「木」の属性を担う将、すなわち木将のみだ。
青龍の他には、もう一体の木将、六合しか風を起こすことはできない。
そう説明していると、青龍がふっと笑みをこぼした。しかし、護と月美がそちらを見ると、すぐに表情を戻し、光の轍を追う。
轍の先は、もうすぐそこまで見えていた。
護たちが研究所に到着する数分前、研究所施設内では黒いスーツを身にまとった人物が数名集められていた。
彼らが向いている方向には、白衣をまとった弓削光が立っていた。そのいで立ちを見て、招集された理由を知っている。
「……零課の人間がこちらに来ている」
その一言だけで、彼らは何をすべきか理解できた。要するに、この研究施設の秘密を守るため、零課の人間に「対処」することが今回の任務だ。
光の言葉を聞いて、黒スーツたちは一斉に敬礼し、それぞれの持ち場へと走り去った。
彼らがこの場を去ると、光は身をひるがえし、奥にある部屋まで歩を進めた。
そこには、いくつもの巨大なモニターがあり、画面には一つの部屋の、様々な角度からの映像が写されている。
その中心には、眠っているセシアの姿があった。
「……コネクト・テレパス……」
この力があれば、この力を解明できれば、私の目的に一歩近づくことができるかもしれない。
光は白衣のポケットにしまっている自分の手をぎゅっと握り、セシアを見つめていた。
実験開始の合図をしようとした瞬間、部屋に仕掛けられていた警報装置がけたたましい音を立てる。光の予想が正しければ、所内では侵入者を告げるアナウンスが流れているはずだ。
「……来たか」
光はにやりと笑い、モニタールームを出て、別の部屋に移動する。
彼女とて、零課やセシアをかくまっていた土御門の襲撃を予想していなかったわけではない。この日を、この事態を予想して布石は打っておいた。
光は足早に、侵入者を「歓迎」するために用意した部屋へと移動していった。