四、
翌日。
護と月美は普段通り、バス停までの道を歩いていた。
翼からは、零課の人間で素質の有無にかかわらず、孤児を集めて、研究を行っている人間がいないかどうか、噂程度でも集めてくれるよう、知り合いに頼んできた、と伝えられている。
その時に見えた、二つの人形のような何かは、気にしていなかった。というよりも、ある程度の予想はしていたので、なるようになったか、程度にしか思っていない。もっとも、このあとあの二人がどうなるのかは想像もしたくないのだが。
「あ、護兄ちゃん、月美姉ちゃん」
「おはよー」
「おっはー!」
途中、土御門邸によく遊びに来る小学生たちが挨拶してきた。護と月美は、微笑んで挨拶を返す。
小学生たちはそのまま走り去っていくが、護と月美の方を何度も振り向いて、手を振っている。月美はその様子が微笑ましくて、笑顔で手を振り返す。
「……あいつら、最近どうしてるんだかな」
「うん……念のため、っていうのはわかっているけど、やっぱり少しさみしいね」
休日になればほぼ確実に遊びに来る小学生たちだったが、白羽とセシアを土御門邸で保護してからこっちは、できる限り、部外者の出入りを少なくしている。そのため、最近は近所の子供たちが遊びに来させていない。いつ、どこで土御門邸に二人がかくまわれていることが漏れるかわからないから、仕方のないことだとわかっている。しかし、やはり寂しさはある。
「まぁ、全部終わらせれば、また普段通りに戻るさ」
「……そうだね」
護の一言に、月美はうなずく。
何年かはわからないが、長い間、二人が弓削光によって拘束されていたことは確かだ。だからこそ、二人には今通り過ぎて行ったような小学生たちと同じように、本当の笑顔で過ごしてもらいたい。
そのためにも、この一件を早く終わらせなければならない。
「お~い」
ふと、前を見るとバス停で待っていた清ともう一人の友人、平野明美が手を振っていた。
月美はそれに手を振ってこたえ、走り寄っていく。護はその数歩後ろをゆっくりと歩いていく。
色々あったが、護と月美の一週間が、また普段通り始まった。
その頃、土御門邸からかなり離れた都心にあるビルのオフィスで、一人の女性がいらだちを隠すことなく、書類を眺めていた。
「そう……あの二人、しくじったのね」
よりにもよって、翼のタヌキおやじに捕まるなんてね。
毒づきながら、女は書類をデスクに投げる。書類を持ってきた男は、その様子を見て、申し訳なさそうに頭を下げている。
「なにも、あなたを責めているわけじゃないの。あなたの失敗じゃなくて、あなたの部下の失敗でしょ?気にしなくていいわよ」
「しかし、光様にご迷惑をおかけしたことは事実」
「ええ。そうね……大損害だわ」
光と呼ばれた女性は、はっきりと男に言ってのける。光は椅子から立ち上がり、男性に近づき、肩に手を置く。
「けどね、私は最初からこうなるかもしれないことはわかっていたの」
「……と、いいますと?」
光は男の質問にはっきりと答えた。
「土御門家はね、一言で言えば化け物よ」
「化け物、ですか?」
男は、光が普段ならば絶対に使わない単語に、思わず聞き返した。
光はうなずいて続けた。
「土御門家って言ったら、安倍晴明の子孫よ。当然、葛の葉の血をひいている」
安倍晴明にまつわる伝説で最も有名なのは、信太森の妖狐、葛の葉を母に持つという逸話だ。そして、安倍晴明を祖先に持つということは、当然、今の土御門家の人間にも、かなり薄いだろうが、狐の血が流れている。
つまり、人の皮を完全にかぶっているが、中身は人間ではない。人と狐の合いの子だ。
「な……なるほど」
男は光の説明に納得したかのようにうなずいた。納得はした、だが、同時に恐怖も感じている。これから自分たちがやろうとしていることに対する、化け物からの報復を。
だが、光はそんな様子は露ほどにも見せない。むしろ、面白がっているようにも見える。
「さて、次はどんな手を打とうかしらね」
男は、光のその横顔を見ながら、あるいは、彼女の方が化け物なのではないだろうかと思えた。
土御門邸の地下室。その一室に二つの影があった。一つは剃髪の男、もう一つは長髪の男だった。それは、先日土御門邸を偵察していた弓削光の配下だ。
「おい、生きてるか?」
「なんとか、な」
剃髪の語りかけに、長髪はかすれた声で答える。どうやら、二人ともかなり消耗しているらしい。あれから翼に連行され、ここで少しばかり激しい尋問を受けていたようだ。
尋問の内容は、零課が行っている研究の内容、そして超能力者の育成および能力開発の研究を行っている研究施設についてだ。もちろん、陰陽師である彼らに嘘は通用しない。
何か一つ、質問に答えた時点で、盟神探湯を行い、事の真偽をはかる。陰陽師が行うそれは、拷問具と嘘発見器を兼用した術と言っても過言ではない。二人の足のやけどがそれを物語っている。
「しかし……これはある意味でチャンスだな」
「ああ、結界の中ならのぞき見ることも可能のはずだ」
剃髪はそう言うと目を閉じ、意識を集中させる。しかし、彼の千里眼に移るものは、ここに拉致される前に土御門邸を偵察した時に見たものと同じ、闇だ。
「ここも、か」
「部屋そのものが強力な結界になっているのか……」
さすがに想定外だ。
結界内部に入れば、土御門邸の様子を探れると思ったのだが、どうやらそう簡単には偵察をさせてくれないらしい。
「さて、どうしたものかな……」
「……何を考えている?」
剃髪のつぶやきが聞こえたのだろう。いつの間にか現れた老人が二人に声をかける。
その声を聞いて、二人は一瞬、びくりと体を震わせる。声をかけてきた老人は十二天将が一柱、土将・天空だ。そして、彼は翼と共にこの部屋で尋問を行っていた。それも、かなりあくどい精神攻撃を行ってくる。
「……まぁ、これ以上お前らを尋問しても無駄と言うことが分かったからな」
釈放だ。
翼のその一言と共に、天空は何かをぶつぶつと呟く。そのつぶやきが止まるとともに、剃髪と長髪の意識は途切れていった。
白羽とセシアは護と月美がいない間、土御門邸の客間から極力出ないようにしていた。もちろん、土御門邸の内部なら自由に出歩いてもかまわないことになっている。というより、二人は正式に土御門家の客人という扱いになっているため、屋敷の出入りも基本的には自由だ。
しかし、どこで弓削光の部下が見張っているかわからない状況で、護と月美が近くにいない状況で外に出歩くことはできるだけ避けておきたいのだ。
なにより、白羽はセシアの体調が気になっていた。熱は引いたので、ひとまずは安心しているが、少しばかり不安なのだ。
「……寝てばかりも、あきたヨ」
「といってもなぁ、護さんと月美さんがいないときに出歩くのも……」
「わかてるケド、あきたのはシカタないでショ?」
「……まぁ、な」
先ほどから白羽とセシアはこんなやり取りを続けていた。
セシア自身、暇で仕方ないのだろう。何より、いつまでも眠ったままではお世話になっている土御門邸の人々に申し訳ないと感じているのだろう。それは、白羽も同じことだが、翼からしばらくの間、部屋から出ないように言いつけられている。
なんでも、土御門邸を見張っていた超能力者を二名、捕獲したそうだ。おそらく、その尋問を行っている間に能力を使って、白羽とセシアが土御門邸に滞在していることが露見することを避けようとしているのだろう。
自分たちの身に関わることだから、白羽自身がほんの少しの理不尽を感じていても、セシアがどれだけわがままを言っても、今回ばかりはどうしようもない。
「まぁ、翼さんか十二天将のだれかが合図を送るまでの辛抱だよ」
「うん……ワカタ」
セシアは少しうつむいて、そう答えた。
白羽はセシアのそんな様子を見て、彼女の頭をよしよしとなでる。セシアは少しくすぐったそうに微笑んだ。
――おい、小僧ども
ふと、頭の中に響く声があった。セシアのものではない。その証拠に、セシアもキョトンとしている。それに構わず、声はなおも頭の中で響き続けた。
――翼がもう出ても大丈夫だと言っていたからな、その合図だ
どうやら、声は十二天将のものらしい。そして、これが翼から言われていた合図のようだ。
白羽はどこに向かってというわけではなく、礼を言い、念のため、先に自分が下に降りるとセシアに話し、部屋を出る。
一階に下りると、待ち構えていたかのように翼が階段のすぐそばに立っていた。
「終わったよ、もう降りてきて大丈夫だ」
「……ありがとうございます」
白羽はそう言って、セシアを起こしに再び二階へと上がった。
その様子を翼は後ろから、優しげなまなざしで見つめている。
「翼、あの二人のここ数日の記憶はしっかりと消しておいた。それから、言われた通り、土御門邸には『誰もいない』という暗示も、な」
「すまないな、天空」
どこからか現れた老人に対し、翼は礼を言った。天空はたっぷりと蓄えたあごひげを右手でそっとなでながら、翼を見つめる。
まだなにか、と視線で問いかけると、天空は片方の目を見開き、翼に問いかけた。
「御主、あの者たちを殺さなくてよかったのか?」
「……それも、考えましたよ」
しかし、彼らを始末することがどれだけ罪深いか、そして、それをしたことで周囲の人間がどれだけ傷つくか、翼はそれを考え、手を下さなかった。
何より、ここで彼らをどうこうすれば、弓削光から買わなくてもいい恨みを買うことになる。
それは、今のところは何としてでも避けたい。
翼がそう説明すると、天空はそっとため息をつき、ではな、と言って姿を消す。どうやら、彼らが本来存在する世界、異界に戻ったらしい。その様子を見届けた翼は窓の外を眺める。
紅葉の時期もとうに過ぎ、今にも雪が降ろうとしている感じの空だ。しかし、翼はその蜘蛛の流れる先が、はたして平穏なものになるかどうか、不安に思えて仕方がなかった。