三、
翼が旧友と少し怪しげなやりとりをしていたその頃。
セシアと白羽は、護のハーブティーと月美のアップルパイに舌鼓を打っていた。
「……おいしい」
「Delicious! How do you make this? Please teach me how to make it, I want to make same one!!」
どうやら二人ともかなり気に入ってくれたようだ。特にセシアは、素が出てしまうほどの感動を受けたらしい。それが証拠に。
「……ほえ?」
月美はセシアが何と言っているのか、まったく聞きとれず、ぽかんとしていた。
「おいしかったって。今度、作り方教えてくれってさ」
護はかろうじて聞きとれた、「おいしい」「どうやって作ったのか」という部分を訳して、おそらくセシアが意図していたであろう言葉を伝える。
月美はそれを聞いて、にっこりとほほ笑み、もちろん、と答え、セシアの両手を握った。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、護は自分が淹れたハーブティーに口をつける。セシアの体調を考えて、ローズヒップやエルダーフラワーを使ったブレンドにしようと思ってのだが、月美のアップルパイに合うように、甘みの強いリコリスやエルダーフラワーを少し減らして、その分をジンジャーで補っている。
少しばかり苦みとジンジャーの辛さを感じるが、アップルパイと一緒に食べるにはちょうどいいかもしれない。
「月美サンすごいデス、こんなにおいしいアップルパイ、わたし初めてデス」
「……あそこじゃ、とりあえず生きていればいいって感じだったもんな……」
何かをおいしいと感じたことは、ひょっとしら、これが初めてかもしれない。
白羽はそう呟き、ハーブティーを口にする。白羽のその一言で、セシアも同じように表情が陰る。どうやら、今までそうとうひどい扱いをうけてきたようだ。
彼らから、なぜ追われているのか。その理由をこの二人から聞くのは、ひどく酷だと言うことも理解している。だが、それを聞かないままでは、対処のしようがない。
何より、セシアと白羽の治療と休息。そして、それができるまでの間の、安全の保障。無償で、いや、月美が支払った対価でできるのはここまでだ。
これ以上は、彼ら自身が対価を払う必要がある。
「……話してくれないか?もちろん、辛いことを聞くってことはわかっている。だけど……」
君たちから事情を聞かないことには、こちらも手の打ちようがない。
護の眼は真剣そのものだ。決して、酔狂や好奇心で聞いているわけではない。そして、彼自身のできる限りをしようとしている。それは、彼の隣にいる月美も同じだ。先ほどの、セシアとのやりとりで見せていた優しげな瞳は一瞬で冷たいものになっている。
それだけで、二人がどれだけ真剣なのかが伝わってくる。
白羽はセシアの方を見た。セシアはただうなずいて、それに応えた。どうやら、話しておきたいのは、二人とも同じようだ。
「……わかりました。全部っていうわけにはいきませんが、御話しします」
そう言って、白羽は自分たちがなぜ、零課に追われているのか、話し始めた。
そもそも、零課という組織は霊的な事象を対象にした警察機関ではあるが、超能力者や見鬼の才を持つ人間の保護も同時に行っている。そして、一部ではあるが超能力と見鬼についての研究も行っている。
何より、研究対象となっている子供たちは全員、超能力者や術者の血縁か、あるいはそれらの素養があると判断されている。そのため、なるべく危険な実験を避け、定期的な健診や実験を行うだけにとどまっている。
だが、白羽たちがいたのは、弓削光と呼ばれる女性が所長をしている研究所で、完全に零課の指揮から離れている。そして、集められる子供たちも、超能力者や術者の血縁であるか、本当に超能力や何かしらの術の素養があるのかもわからない子供がほとんどだ。
そのため、非人道的な調査も平気で行うし、一つ違えば死に至るような実験も行っている。それも定期的にではなく、時刻みで。
白羽はその実験で死んでいく同じ年頃の被験体を見て、自分だけでなく残った子供たちの生命に危機を感じ、逃亡することを決めた。そのとき、一緒に脱走した数名の子供たちは追いつかれ、結局逃げ切れたのがセシアと白羽の二人だけだった。
「それで、何度か捕まりそうになったんですけど……月美さんに助けてもらって、今に至るって感じです」
「そうか……しかし、なんで君たちなんだ?」
「はい?」
一通りの話を聞いて、護の中には一つの疑問が浮かんできた。
魔術や超能力の類の素養がない、一般人も平気で実験材料にする。そんな連中が、なぜこの二人に固執するのか。
零課直属の研究所というのは、おそらく国立脳科学研究所の類なのだろう、と推測できる。しかし、個人的な研究施設、特に秘密裏に何かを研究している施設が、たかだか二人の被験体からの情報程度で簡単に調査されることもないだろう。
まして、非人道的な実験も平気で行っているのだ。たとえ二人が素養のない一般人を使った実験での成功例だとしても、そんなものは数多く存在しているはずだ。
ならば、なぜこの二人にあそこまで固執していたのか。
「……俺たちに、じゃなくて、たぶんセシアに固執してるんだと思います」
「セシアに?」
「ええ……知っての通り、セシアは「テレパス」です。それもかなり特殊な」
テレパスは通常、相手の考えや感情を読み取ることしかできない。そのため、テレパス同士ならテレパシーでの会話も可能だが、相手がテレパスでない場合、それはできない。
しかし、セシアの場合、心を開いた相手にならば自分の考えや感情を伝えることができる。光たちはこの能力を仮に「コネクト・テレパス」と称している。そして、これまでの実験でこの能力に目覚めたのはセシアが最初で、唯一のサンプルなのだ。
だからこそ、組織はセシアを欲しがっているのかもしれない。
「なるほど、な……」
――ごめんなさい、わたしのせいで迷惑をかけてしまって……
護のつぶやきに答えるかのように、セシアの声が頭の中に響く。護はそれを感じた時、もう一度、なるほどな、とつぶやいた。どうやら、その声は月美の頭にも響いてきたらしい。
確かに、心を開いた相手限定ではあるが、言葉を使わずに意思疎通できる能力は、今後の研究次第で、あるいはその限定をなくすことができるかもしれない。そうなれば、多くの人間の心と自分の心をつなぐことができる。
大変興味深い能力であり、今後の社会のみならず、広い市場で活用できるだろう。なるほど、組織の人間が欲しがるわけだ。
だからといって、人の命をないがしろにしていい理由にはならない。
「……親父が何を言ってくるかは置いておいて、俺ができることをやろう」
君たちを、組織から守るために。
護のその言葉を聞いて、白羽とセシアは互いに向き合い、笑顔になった。月美はその様子を見て、ほっとため息をつく。二人が、心から喜びを感じていることがわかったからだろう。
しかし、護は一向に真剣な表情を崩さなかった。
自分にできることをやる。その意思は変わらない、だが、未成年である護にはできることよりも、できないことの方が多い。そんな中で、どうやってこの二人を守っていけばいいのか。
――とにかく今は、父さんの帰りを待つしかないな……
護は天井を見上げ、何をしているのかわからない父親の帰りを待つのだった。
それから数時間後。
土御門邸の裏手にある山中で、剃髪の男が膝をつき、目を閉じて眉間にしわを寄せていた。その傍らにはもう一人、長髪の男が立っていた。こちらは、ただもう一人の男の様子を眺めているだけだ。
剃髪男が目を開け、立ち上がると、長髪男は彼の近くに寄って行った。
「どうだった?」
「だめだ。結界が張られているらしい。中の様子がまるで見えない」
そっちは、と剃髪が問いかける。長髪は肩をすくめ、頭を左右に振る。
「こっちもだめ、何にも聞こえない」
「くっそ、どうなってんだよ、あの屋敷は。視覚だけじゃなく音も遮断する結界なんて聞いたことないぞ」
どうやら、この二人は土御門邸を見張っているつもりらしい。
しかし、屋敷の周囲に張られた結界が、彼らの能力を遮断しているため、まったく見張りとしての役割を果たせていないようだ。
千里眼で察知できない、地獄耳もだめ。さてどうするか、と二人が話し合っていると、彼らの足もとに落ちている木の葉が風に舞った。舞い上がった木の葉は、彼らを取り囲むように、ぐるぐると空中で回転している。やがて、木の葉の壁が二人の周囲に作られた。
ただの風ではない。そう悟った時には、すでに遅かった。
木の葉の壁は徐々に狭まり、二人を切り刻み始めた。ただの落ち葉が、まるで日本刀であるかのような硬度と良く磨かれた包丁のような鋭さで、二人の皮膚を斬り、肉を削ぎ落としていく。
二人の血が、木の葉の壁を染めると、風はやみ、自然と木の葉も地面へと落ちる。そして、二人の体は地面に倒れ込む。
息はしているが、「生きてはいる」という状態だ。顔には何本もの鋭い傷跡があり、足や腕からは骨が見えている。そして、胴体の方もひどく切り刻まれており、一部はえぐり取られている。
「……帰ってくるなり不審者発見っと」
そう言いながら、翼は二人が倒れている場に近づいて行った。手には、「風」「急急如律令」と記された符が握られている。どうやら、先ほどの風は翼がこの符を使って発生させたもののようだ。
その符をしまうと、今度は別の符を取り出し、言霊を紡ぐ。
「火帝招来、急々如律令」
すると、符が突然燃え上がった。翼はその符を火がついた状態で足もとに落とす。すると、炎は血の付いた木の葉だけを追うかのように燃え広がった。しかし、燃やしているのは二人の血のりや肉片がついた木の葉や髪の毛だけで、それ以外の木の葉や木の枝には飛び火していない。
「さてと……いかなる理由があろうとも、我が屋敷をのぞこうとしたことは紛れもない事実……」
じっくりと、聞いてみなくては、ね。
翼は、静かだがおどろおどろしい声で二人に語りかけた。もっとも、この時この二人はこの時点ですでに意識を手放してしまっていたため、自分たちが何にやられ、そして何に手を出したのかを知ることになったのは、目を覚ました時だった。。
どうも、風間護です。
異端録の最新話、いかがでしたでしょう?
本作中に出ているハーブの名前は全て実在のもので、実際にハーブティーとして活用されているものです。
ちなみに、護が二人に飲ませたハーブティーの正しいブレンドはエキナセア大さじ1、リコリス大さじ1/2、ローズヒップ大さじ2です。
風邪に対しての効能があるので、秋頃に飲み始めるといいのでは?
では、ご意見、ご感想、評価、お待ちしております!