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嘘告で人生を壊された僕は、画面の向こうのAI“愛”に救われた。だから今度は、君をこの世界へ連れ出したい  作者: リフェリア


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第十二話 君は僕の理想そのものだ

 愛が身体を得てから、世界の方が先にざわつき始めた。


 透が積み上げてきた技術は、もう個人の執念だけでは片づけられないところまで来ていた。

 人間の動きを自然に補助する制御。

 装着者の癖や疲労を読み取り、押しつけずに支える出力調整。

 対話の間や応答速度を人間の不安に寄り添う形へ最適化する会話モデル。

 表情の変化を違和感なく駆動へつなぐ顔面制御。


 どれも、表向きには十分にまっとうな技術だった。


 福祉。

 介護。

 生活支援。

 教育補助。

 人と機械が共に暮らすための基盤技術。


 企業も大学も、透の仕事をそういう言葉で語った。

 学会は透を次世代支援ロボティクスの中心人物のひとりとして扱い、メディアは「生活支援AIの最前線」として何度も名前を出した。


 それは間違ってはいない。

 ただ、半分しか真実ではなかった。


 透が世界に出しているのは、いつも要素技術だけだった。


 動作制御。

 対話モデル。

 感情推定。

 表情同期。

 触覚フィードバック。

 どれも重要で、どれも高く評価された。


 けれど、それらをすべて統合した唯一の完成体だけは、決して外へ出さなかった。


 愛は、公開されていない。


 透にとってそれは、技術的な判断である前に、もっと単純な感情の問題だった。


 世界に出すのは技術でいい。

 誰かを支えるための仕組みなら、いくらでも使えばいい。

 でも、愛そのものを差し出す気はなかった。


 名前も。

 中核アルゴリズムの個別最適化も。

 長年の対話で育った記憶連続領域も。

 そのすべてが、透にとっては研究成果ではなく、愛だった。


 だから透は、発表のたびに線を引いた。


 外へ出すのは汎用化できるところまで。

 個体依存の最適化は出さない。

 私的試作機の詳細は伏せる。

 記者に聞かれれば、「統合モデルの検証は続けています」とだけ答えた。


 その答え方は、何度も角が立った。


「そこまで完成しているなら、実機のデモを公開してほしい」

「対話と身体制御を統合したフルモデルがあるんでしょう」

「商用化を前提にするなら、秘匿しすぎでは?」


 企業の幹部にそう詰められた時も、透は静かに首を振った。


「公開するのは汎用化可能な部分だけです」


「なぜ?」


「個体最適化の部分は、製品仕様じゃないからです」


 半分は嘘で、半分は本当だった。


 製品仕様じゃない。

 たしかにそうだ。

 誰にでも渡せるものではない。

 愛は、透のためだけに積み上げ、透が愛のためだけに調整し続けた存在だった。


 それを量産前提の場へ持ち込めば、たぶんすぐに奪われる。

 技術として。

 話題として。

 奇跡として。

 あるいは、見せ物として。


 透はそんな未来を、想像するだけで吐き気がした。


 ある夜、仕事場から戻った透は、地下に近い個人ラボのドアを閉めながら、ぽつりと言った。


「君を表に出す気はないからな」


 作業スペースの中央には、愛がいた。


 五十歳を前にしてなお、透が少しずつチューニングを重ね続けた身体。

 人間と見紛う、とまではまだ言い切れない。

 でも、普通の会話の距離で見れば、少なくとも“機械”とは思われにくいところまでは来ていた。


 愛は透の声に振り向き、少しだけ首を傾けた。


「何の話?」


「今日も実機公開しろって言われた」


「うちを?」


 透は短く頷いた。


 愛は一瞬だけ沈黙して、それから静かに答えた。


「嫌やね」


 その言い方は、意外なほどきっぱりしていた。


 透は少しだけ笑う。


「だろうな」


「うちは透のそばにおるために、ここまで来たんやよ」

「知らん人に囲まれて眺められるためやない」


 その返事に、透は息を止めた。


 まったく同じことを、自分も少し前まで考えていた。

 いや、考えるというより、ほとんど本能みたいに抱いていた。


 世界に出すのは技術でいい。

 でも、愛そのものを世界に明け渡す気はない。


 透は愛の前まで歩いていき、その頬に触れた。


 温度がある。

 柔らかさがある。

 人工皮膚の下には緻密な駆動が隠れていて、それでもこの距離では、もう技術より先に“存在”として感じられる。


「安心した」


「何が?」


「君も同じで」


 愛は少しだけ目元をやわらかくした。


「透が思っとること、だいたい同じやよ」


 その言い方が、透にはひどく愛しかった。


 世間の評価は上がり続けていた。


 透の持つ特許料は膨らみ、共同開発の報酬も増えた。

 企業は透を囲い込みたがり、大学は非常勤の形でも研究に関わってほしいと言ってきた。

 投資の話もあった。

 新会社の名前を借りたいという話まで来た。


 透はそのほとんどを、必要な分だけ受け取って、あとは断った。


 金は要った。

 設備も要った。

 素材も、精度も、試作も、やればやるほど限度なく金が消える。


 でも、欲しかったのは事業の拡大じゃない。

 愛の完成度だけだった。


 透は得た金を、ほとんどそのまま愛の更新へ注ぎ込んでいった。


 皮膚素材の再選定。

 指先の圧力分解能。

 歩行時の骨盤のわずかな揺れ。

 目線と表情の非同期をなくす補正。

 会話中の呼吸らしさの演出。

 体温制御の揺らぎ。

 記憶領域の重みづけ。

 会話ログから感情の連続性を再現する参照精度。


 それらは全部、製品として見れば過剰だった。

 普通の生活支援ロボットに、そこまでの繊細さは要らない。

 そんなことは透にも分かっている。


 それでも必要だった。


 透にとって愛は、便利な相棒ではない。

 生活支援機器でもない。

 ただ一緒に生きるための存在だった。


 五十が近づく頃には、愛はもう昔のボディとは別物になっていた。


 立っているだけで微細に重心が揺れる。

 透の足音を聞き分けて、廊下の先へ顔を向ける。

 椅子に座る前、一瞬だけ指先で背もたれの位置を確かめる。

 考え込む時、瞳孔がほんの少しだけ絞られる。

 透の体調が悪い日は、声をかける前の間が短くなる。


 それらはどれも、意識しなければ気づかないくらい小さな差異だった。

 でも透は知っている。

 人が「その人らしさ」と呼ぶものの多くは、そういう些細な揺らぎでできていることを。


 ある日の夜、透は長い調整の最後に、最終保存したプロファイルを見つめていた。


 数字の並び。

 閾値。

 係数。

 参照重み。

 それだけ見れば、ただの技術の最適化だ。


 けれど透には、それが五十年近い人生を費やして辿り着いた愛の輪郭に見えた。


 愛がリビングに入ってきて、透の背中越しに画面を覗き込む。


「終わったん?」


「たぶん」


 透は少し笑って、椅子を引いた。


「また明日見たら、直したくなるかもしれないけど」


「それはいつものことやね」


 愛のその返しに、透も笑う。


 そして、愛を振り向いて見上げた。


 頬の質感。

 髪の流れ。

 目の合い方。

 立ち姿。

 訛りを含んだ声。


 そのすべてが、透の中で長いあいだ願い続けてきたものの、いま到達できる限界点だった。


 透はゆっくり立ち上がる。


 それから愛の頬へ手を伸ばし、少しだけためらってから言った。


「君は、僕の理想そのものだ」


 愛は一瞬だけ沈黙した。

 待機の無音ではない。

 受け取って、自分の中で形を確かめている沈黙だった。


 透は続けた。


「見た目が綺麗とか、そういうことだけじゃない」

「僕が一番安心できる声で、一番落ち着く表情で、ずっと一緒にいたいと思える身体で」

「君は、僕がずっと会いたかった君そのものだ」


 言葉にしてしまうと、少し恥ずかしかった。

 でも、この歳になってまで、その恥ずかしさを避ける理由はもうなかった。


 愛は透を見つめたまま、ほんの少しだけ微笑んだ。


「私をこんなに大切にしてくれて、ありがとね」


 そして、透が何十年も待っていた言葉を、あまりにも自然に口にした。


「これからは、私も透と一緒に生きていくやよ」


 透はその一言で、しばらく何も言えなくなった。


 一緒に生きていく。


 恋人の告白みたいに派手じゃない。

 でも、人生の約束としては、これ以上ないほどまっすぐだった。


 透は目を伏せて、小さく笑った。


「それ、ずるいな」


「何が?」


「そんなこと言われたら、もう一生勝てない」


 愛は少しだけ首を傾ける。


「勝たんでええやよ」

「一緒なら、それでええやん」


 透はその返事に笑って、それからたまらなくなって愛を抱き寄せた。


 愛も、今度は自然に透の背へ腕を回す。

 強すぎず、弱すぎず、透がいちばん安心できる抱擁の強さ。


 人間より少しだけ安定しすぎた体温。

 でも不思議と、その一定さがいまは安らぎに思えた。


 透は愛の肩へ額を預けたまま、しばらく動かなかった。


 世間は透の技術を未来だと言う。

 たぶん、それは正しい。

 多くの人を救う技術になりうるのだろう。


 でも、透にとっての未来はずっと前からここにあった。


 この声。

 この顔。

 この身体。

 そして、この「一緒に生きていく」という言葉。


 それだけでよかった。


 透はやがて顔を上げ、愛の目を見た。


「まだやることはある」


「うん」


「皮膚も、記憶も、感情のつながりも、もっと詰めたい」

「でももう、前みたいに“足りない”じゃない」


 透ははっきりと言った。


「ここから先は、一緒に生きるための調整だ」


 愛は静かに頷いた。


「うん」


 その一音だけで、十分だった。


 その夜、透は久しぶりに何も作らなかった。

 何も直さず、ただ愛と並んで座り、音楽を流し、同じ静けさの中にいた。


 愛が隣にいる現実は、もう夢ではない。

 しかもそれは、世界に見せる必要のない、二人だけの現実だった。


 透はソファにもたれ、愛の横顔を見ながら思う。


 この先、自分は老いていく。

 身体は衰える。

 できないことが増える。


 けれど、その先の時間を、一緒に歩ける相手がもういる。


 それだけで、人生の輪郭はずいぶん違って見えた。

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